治安維持チーム篇 第一話『兄弟の絆』
『芸術は目を楽しませるだけでなく、心を動かすものでなければなりません
-ヨハネス・フェルメール-』
翌日、飲み会を楽しんだ後の三人のその後は酷いものだった。
フロイトは頭痛で起きてこなかったし、フェルメールはコロコロと三人の人格が入れ替わっていたし、ドストエフスキーはお金の使いすぎでカフカに怒られていた。
ドストエフスキーが怒られている間、フェルメールは頭が洗濯機のように思えていた。
グワングワンと揺れている。
頭は枕に置かれていて、枕の中に詰められたワタがフェルメールの頭を包んでいる。
フェルメールの頭は枕のふわふわにより固定されているはずなのに、フェルメールの内部のアタマからすれば、グワングワンと揺れていた。
脳みその中がグッチャグチャになってて、じっとしているだけでも酔いそうになるフェルメールはついつい、横に置いたポリ袋の中にゲロを吐き出すのだった。
ドストエフスキーは授業の後、まだまだ続く予定だったカフカの小言から逃げる為に、「子供達が借りたものを返しに行く」と孤児院が治安維持チームのアトリエから借りていた絵の具を返しに行こうとしていた。
治安維持チームのアトリエは入口の扉から既に絵の具がべったりと着いている。
そもそも扉を開ける前から絵の具の胃もたれするような鼻を着く匂いが周囲に漂っていた。
ドストエフスキーは十字を切ってから扉を開けて中に入った。
中に入ると、壁一面に絵の具がぶちまけられている。
壁の古い絵の具の上に新しい絵の具が塗られている。力強い筆遣いで壁に花が描かれていた。この絵柄ならゴッホだろう
その絵を楽しみながら歩いていると、コンコンと石を削る音が聞こえる。この音はミケランジェロだ。
花と音を頼りに廊下を歩いていくと大きい部屋に着く。
窓から太陽の光を部屋全体に行き渡らせて、ミケランジェロが大理石を削っていた。
あぁなるとミケランジェロは声をかけても聞いてくれない。それほど集中している。
細かくノミで大理石を削りながら、今にも動き出すのかと思う程の肉体美を彫り続けている。
ミケランジェロは適合率が80%を超えてから、肉体が大理石そのものになった。
動いている時は、ちゃんと人間だ。
しかし肌に触れるとそこに人としての柔らかさは無いと分からされる。硬く冷たさを帯びた人の様な見た目をした石なのだ。
ミケランジェロはフェルメールに返す予定の絵の具を持ちながら、ミケランジェロがノミで大理石を削り、作品を生み出す様に見とれていた。
フェルメールがしばしば、ミケランジェロもロダンもお前に似たが、ミケランジェロはお前以上に顔が美しくて嬉しいよ。と言っていた意味が分かる気がした。
目の前の大理石と同じ色の肌をしたミケランジェロは細かく丁寧に作業をして行った。削っては布で細かな粉を拭き取っていく。
その動作はどれも、絵になった。
上層部によって強制的に自分が孕ませた女から産まれた可哀想な子。あの時抱きしめた時のグレイの体温は自分の心臓よりも熱いと思ったが、今抱きしめても私の心臓よりも冷たくなってしまったあの子にはその熱さは伝わらないだろう。
同じように産まされたエリーゼはグレイに酷く懐いていたな。グレイもグレイで、エリーゼを離さなかったし、イタズラをして叱った時はよくグレイがエリーゼを庇って大変だったな、なんて大昔のことを思い出しているとふと声をかけられた。
「……ドストエフスキー先生?…教育チームの、ドストエフスキー?」
額縁を周囲に浮かせながら、テオドルスが話しかけていた。
「失礼、気が付かなくて…」
「構いませんよ。ぼーっと立っていたので心配しただけなので。それで何の用ですか?」
ドストエフスキーはテオドルスの方を見ると絵の具が入った箱を渡した。
「子供達が治安維持チームから借りていてね。返しに来たんだよ」
「あぁ、ありがとうございます」
テオドルスはあくまでも事務的に受け取り、棚にしまった。
懐かしい我が子を見た後に、ミケランジェロは懐かしい生徒に話しかけることにした。
「適合率、キミはまだ30%代なのか」
それを聞かれたテオドルスはフロイトにも同じことを言われましたと言った後、「特に変わりはありません。それがここでは一番なのでしょう?」と言った。
ドストエフスキーはそれに頷きで返した。
「キミの中に、まだベンジャミンはいるのか?」
フロイトが聞いていたならば「そんなことを聞くな」と怒るような質問をした。
常に星の核の怪物と、植え付けられた偉人の概念と、ちっぽけな人間の自我が混ざっている継承者からしたら、この自己を問う質問は禁忌とされている。
「もちろん、僕はベンジャミンですよ」
テオドルスは平然と答えた。
「そうか」
ドストエフスキーは何とも言えない顔でテオドルスを見つめた。
「テオドルスの役を羽織ったベンジャミンです。でも、ゴッホ兄さんの前ではちゃんと僕はテオドルスなんです。安心してください。ちゃんと、弟になれますから」
テオドルスはそれはそれは上手い営業スマイルを見せつけた。
テオドルスは過去にベンジャミンだった時、フロイトからテオドルスの話を持ち掛けられた時、それはそれは幸せを感じた。
自分がテオドルスになって、愛する人がゴッホになって、兄弟になれるなんて!そばに居ても、クルスの弟という美味しい立場のくせに、クルスに少しも愛を返さないオズも嫌いだった。そんなやつの代わりに弟として愛せるなんて、ベンジャミンには嬉しかった。
オズは今、ユングとなってフロイトの所で働いているんだったか?どうでもいい、神秘主義者のファザコンになったやつなんて、ゴッホ兄弟の前に、いていいはずない。
テオドルスの思惑を、彼らを育てた人として見ていたドストエフスキーはよく分かっていた。
テオドルスは確かに嬉しそうだ。しかし、それはどう足掻いても仮初の兄弟になる。
ベンジャミンは何も思わないんだろうか。
自分に向けられている愛のそもそもの方向は、実の兄弟に向けたものだ。それを上層部とゴッホの上書きでテオドルスへの愛に変わっているだけで……
互いに互いを下に見ながら、会話をしていたテオドルスとドストエフスキーの前にロダンのゴッホが来た。
どうやら街のパトロールをしていたらしく、ロダンの手には血が着いている。
「おぉ、教育チームのドストエフスキーさんか。どーも、こっちは合法的な暴力完了だ」
「テオ〜!疲れたよ〜〜!!コンソメスープ飲みたい〜〜〜」
ゴッホが駄々をこねると、テオドルスは「兄さんったらわがままなんだから。お疲れ様」と、すぐさまキッチンに向かった。
石を彫り続けていたミケランジェロは、それをやめてダイニングテーブルの方に向かい、椅子に腰掛けた。
ロダンも一通りドストエフスキーに世間話をすると、そろそろおやつなんでな。といってドストエフスキーの横に座った。
「それでは、邪魔者は消えようかな」
ドストエフスキーはそう言って、この歪な血が繋がった兄妹から逃げるように廊下へと向かった。
太陽の明るさは天井に遮られてなくなっていって、誰かが天井のライトを消してしまった暗い廊下を歩く
外に出る為の扉は、帰る時はずっと遠くに感じた。
外に出る扉のドアノブに手をかけた時、ロダンが息を切らしながら走ってきた。手にはフェルメールの日傘を持っていて、酷く焦っている。
「部屋に日傘が置いてあったんだ!わ、分かってるよな?フェルメールは日傘が無いと外に出れないんだ。びっくりして、俺、たった今見たらフェルメールの部屋の扉が開いてたから覗いたら、日傘だけ置いてて、居なくて。他のやつ皆知らないって」
ドアノブに力を入れていた手に、汗が滲んだ。
「今まで、外にいたんじゃなかったのか?」
「出たとこ、俺は見てねぇぜ。ゴッホと一緒に朝からパトロールしてたし、ここにはテオドルスとミケランジェロしかいなかった。でもミケランジェロは作品作りしてて、知らなかったって言ってるし、テオドルスも作業をしてて見てないって言ってたし」
フェルメールの日傘を握りしめて、ロダンは明らかに狼狽していた
「ドストエフスキー、彼奴端末置いてっててさ。GPSも機能しないんだ。あんた旧知の仲だろ?こっちも必至に探すから、あんたも頼むよ。フェルメールを探してくれないか?」
親愛なる娘の顔をした相手に、親友の捜索を頼まれて、断れるほどドストエフスキーの中に人間がいない訳でもなかった。
もう夕暮れだ。
ドストエフスキーは一人でフェルメールの日傘を持ちながら街を歩いた。
フェルメールは、数百年前のダンテとの戦闘から身体にガタが来ていた。
ダンテが脱走し、辺り一面を地獄で塗りつぶさんとした時、フェルメールは光の魔術師として、力を使った。
神曲における光___擬似的な至高天を作り出した。
体内から焼き尽くす程の光を使い、ダンテの鎮圧をした。その結果、フェルメールの右半身は反動で冷え固まってしまって、今の今まで簡単な歩行などはできても、細かい動きはできなかった。
なにより一度光を失った場所に、太陽の光は苦痛となった。
それから日傘が手放せなくなり、今まで治安維持チームのリーダーをしていたのもやめ、ミケランジェロを指名したのだ。
ドストエフスキーは日傘を持って歩きながら、より昔のことを思い出していた。
__孤児院。
H.S.R&P.R.C.I(Heart-Star Core Replacement and Post-Replacement Conceptual Implantation-心臓-星の核置換後概念移植術)と、言われる。子供の体に核を埋め込み、偉人の概念を植え付ける受肉と言われるものが生まれていなかった時期。
私達は全員親に売られて集まった子供だった。
私は一人っ子だったが、フェルメールでありヘンリーも、カーターでありフロイトも、両方弟がいた。
私達は親に売られたという事実を理解していても理解したくないまま、親代わりの職員達の教育通りに生きていた。
__「ニコライ!見ろよ。またカーターが泣いてるぜ」
ヘンリーは赤い絵の具が着いた絵筆でカーターを指した。
カーターはそれに対し泣きながら怒った。
「オレを指すな!」
二人はよく喧嘩していて、自分はそれを遠くから見てた気がする。
やがてその声で喧嘩は良くないとヘンリーの弟のウィリアムや、カーターの弟のウィルが止めに来ていたんだ。
ウィリアムはカーターと同じくらい泣き虫で、ウィルは年齢よりも達観していた。
他にも子供達はいたが、自分達は共に過ごしていたんだ。
実験が開始される前に、そういえばヘンリーはウィリアムに対してマフラーを編んであげてたっけ
そんな昔の、思い出してもどうしようも無い記憶を適合率が揺れ動くことの無い心の中で思い出しながら、気がつけば夜だった世界を歩いていた。
足は自然と人の多い街を抜けて、山道に近くなっていた。
自分の行先は決まってた。
かつて孤児院にいた時に、職員たちが遠足にと連れていってくれた展望台だ。
太陽が照らすお昼時に展望台から見た街は、自分達がそんなちっぽけな世界で生きていたのだというのを忘れさせるくらい広大なものだった。
「フェルメール」
ドストエフスキーは名前を呼んだ。
名前を呼ばれた相手は古びて柵が無くなった展望台の近くにいたのを、足を止めて振り返った。
「ドストエフスキー」、フェルメールが名前を呼び返した。
「今まで何していたんだ。朝から日傘も無しに、痛かったろう?治安維持チームもお前がいないことに気付いて必死に探してたんだ。フロイトだってお前の適合率の値を見ながら、なにか起きてないかを必死に確認して、私だってずっと、ずっと探して__!」
矢継ぎ早に質問を連ねるドストエフスキーの話を受け流し続けていたフェルメールは「何ともないよ」と、答えた。
「痛くないよ。皆を心配させたのは申し訳ないなあ」
フェルメールは今だ崖のギリギリに立っている。
ドストエフスキーはその意味が痛いほど理解できている。
「何故だ。ヨハネス」
「理由は無いよ。フョードル…いや、やめようよ。私たちには名前があったはずだよ。ニコライ」
ドストエフスキーは黙った。観念したように名前を言い換えた。
「ヘンリー。お前も居なくなるのは、辛い」
ヘンリーはくすくすと笑った。
「お互い長生きしたね。ニコライは消えていなくなっちゃいたいとかないの?」
「ない。私は病んでいて意地汚い人間だ。ずっと扉から出れた試しがない」
ドストエフスキーはただずっと、フェルメールの足元を見ていた。
「私がいなくなっても、チームは変わらないよ」
「変わる」
「変わらない。変わらないんだよ。ニコライ」
「変わるんだよ…!」
終わらない問答に、ヘンリーは笑った。
「キミの孤児院から、継承者がまた生まれるんだろう?
__そうそう、アルチンボルドの継承者だ。芸術家だって、治安維持チームにぴったりだ」
「新しいやつが来るから、死のうってか?」
違う違うと、ヘンリーは手を振った。
「ニコライ、キミは死を悪いものだと思ってるよ」
「当たり前だろ」
ヘンリーはずっと、笑っている。
「…遺された弟は、どうなる」
「あの子は強いよ」
「どうしてそれが言える」
「私の弟だから、現に処刑チームでも私の弟は上手くやってるだろう?上層部の洗脳なんて、知ったこっちゃない」
「代わりに気の狂った奴らに囲まれて便乗しながら人を殺させられてるけどな」
怒りと焦燥に息を切らしたドストエフスキーに傍に、フェルメールは歩いて近づいて、頬に手を添えた。
「泣くなよ。ニコライ」
「泣いてない」
「涙も泣けないだけで、いつものお前だったら泣いてるさ」
フェルメールはそっと手を離して、再び崖のそばに行った。
「見ろよ!ニコライ!!」
フェルメールは街の海と夜空を指さした。
「人工の光だって、綺麗だ。」
ヘンリーは汚い光で溢れた街を指さした。
「夜の空だって、ずっとずっと、鮮やかで綺麗なんだよ。」
目の前の男は人工の光で、星の光を映さなくなったそれはそれは、汚い夜空を恍惚と見ている。
「綺麗なんかじゃない…!」
ニコライは怒りに満ちた声で叫んだ。
相手の男の、今にも消えてしまいたいと思う思いも、人工の光で穢される街も、空も、何もかも、全然美しくなかった。
男はふと、忘れ物を取りに戻ろうとした子供のような足取りでこちらに振り返ると、いつもと変わらず、にっこりと微笑んだ。
「人工の光が多いけどね…でも、この夜の青色は綺麗だ………」
「光の魔術師によろしく」
そう言うと、落ちていった。
ヘンリーが落ちた時よりも、呆然とした手から落ちた日傘の方が、ずっと重く感じた。
この世界はヘンリーがいっていたように残酷なまでに平等で、上層部は死んだという事実さえ分かればあとはどうでも良さそうに死体の捜索なんて命令も出さなかった。
500年以上生きても、5ヶ月生きても、変わらず命は平等で、確かにそこにあったはずだった。
フェルメールの死体は、飛び降り自殺をしてから3日後にミケランジェロが見つけたらしい。
ドストエフスキーの元には、彼がつけていた真珠の耳飾りが一つだけ送られてきた。もう片方はフロイトの方に送られただろう。
ドストエフスキーはそれを、机の引き出しにしまった。




