第九話『新生』
『恐れることはない。宿命は取り上げられることはない。
それは贈り物なのだ
-ダンテ・アリギエーリ-』
カミュが入院して一週間が経った。
少し長い休暇というもので、カミュはその代わり映えのしない日々をベッドの上で過ごしていた。
朝、昼、夜に食事が来て薬を飲む。そして朝にはナイチンゲールが体調を確認してくる。
体温と脈拍、呼吸数とSPO2、血圧を測る。
息苦しさの有無と席や痰が出るかどうかをいつも聞かれる。
カミュはそれに対し出る時は出る、息苦しさはある時はある。あった時の具体的な状況や時刻を伝えるようにした。
確かに結核の症状は出ている。それも毎日、しかしそれも続けば日常となるものでカミュにとっては特別なにか悪いことが起きているという異常を感じさせるものではなかった。
代わり映えのない毎日をベッドの上で過ごしている。
この日々を、謹慎中のセオドロスも送っているのだと思いながらカミュは特別何をするわけでもなく天井を見た。
自分はこの日々を退屈だと思う。
しかしあの子はそうは思わないのだろうと思えば思うほど、自分がどれだけセオドロスという一人の人間を理解していないかを思い知らされた。
退屈な日々の中で彼と自分で違う所は、面会者がいるということか、横で下手くそな林檎の剥き方を披露してくれたサルトルがまた椅子に座ってどうでもいいような話をしている。
どうでもいいような話も、彼にとっては自分と会話する為に必要なもので会話をすることこそ、自分を自分としてこの現実に繋ぎ止めておけるものなのだろう。
「セオドロスは相変わらず?」
「そうだ。何も変わらないよ」
「そうか…」
カミュは窓の方を見た。目線の先には青い空と、施設に出入りする人々や遠くの方には孤児院が見える。
「そろそろ戻れそうなものだけれどね」
カミュは自分の身体の全身を見て、深呼吸をした。
「確かに結核の症状自体はあるよ?でもね、それは前々から持っていなければおかしかったはずのものだし、私としては…少し、ほっとした。結核の症状が出た時、ゼルチュルナーに説明された時……この先結核の苦難があるという恐怖より、なんだかこれが正しい事なんだって、思ったんだ」
サルトルはそれを黙って聞いていると、カミュを哀れみのような目で見た。
「病気を患っていて、正しいも何も無いよ。アルベール」
カミュはそれを聞くと、少し黙った後にため息を着いた。
翌日、ナイチンゲールとノストラダムスから許可を得たのでカミュは病院内を歩いていた。
時々喉に突っかかる痰の感触は息を詰まらせるのに十分であったが、それも慣れたものでしばらくすると大丈夫であると落ち着かせられた。
廊下を走るとさすがに怒られはしたが、走った時の呼吸困難感と、いつもベッド上で襲ってくる呼吸困難感は、前者の方が気持ちのいいものだった。
走って怒られて、安静にしていろとベッドに寝かされたカミュはいつも通りに来たサルトルの世間話を聞いていた。
いつも通りはいはいと聞き流していた時にサルトルの持つ端末からアラームが鳴った。
その音は適合率が異常上昇した時の音ではなく、また別の音であったがサルトルがその音を聞いて電源を入れるまで、いつも以上に緊張していたのが目で見て分かった。
「ジャン=ポール…?」
小声で名前を呼んだカミュよりも、サルトルの方が小さな声で呟いた。
「セオドロスの受肉をするだと…?」
その病室はやけに静かになった。騒がしいのは端末から溢れたアラームの音だけで、サルトルはそれをすぐに消した。
「セオドロスの受肉だって、このタイミングで__」
それよりももう一つ疑問がある
「誰を受肉するんだ?」
サルトルは画面を信じられないようなものを見る目で見つめ続けて、文字をただ読んだ。
文字を一つ一つ読んでいくだけで、意味は理解していないのだろう。いや、できていないのだ。
「ベアトリーチェ……神曲の、ベアトリーチェを受肉させる…と」
「はぁッ!?」
カミュは大声を出した。
「あの子にベア…トリーチェ!?神曲の…救いの象徴…の?なん、なんで!?に、似ても似つかない。受肉だって成功するはずない。」
サルトルは少し考えて一つの結論に思い至った。
「成功させないのが狙いだろう」
カミュは言葉を詰まらせた。言わなくてはいけない「何故そんなことを」という否定の言葉を出さなくてはいけない。しかしショックと共に喀血がその言葉を言わせるのを留めた。
意図を察してか、サルトルはカミュへティッシュを渡しながら話を続けた。
「受肉に失敗__核と偉人の概念と、己の自我も保てないとそのまま肉体は崩壊する。それが…上層部の狙いだろう」
カミュは血を吐き切ると、まだ気管にへばりついている血を顧みずにゲホゲホと咳き込みながら抗議をした。
「せ、せめて、じゃあ、ふ、普通に殺……さないのか…?!なんで、わざわざ…そんな真似ッ」
「……倒した堕ちた星の核の中には、どの偉人にも共通点を見出だせない物がある。そんな核は保有していればいるほど、保管しておく為の場所と時間がかかる。開発チームのコルトやパラケルススはその核を使って武器や薬を制作してはいたがそれでもだ」
カミュは次にサルトルが何を言うかを大体察してはいたが、黙って待っていた。
「その邪魔な核を入れて、崩壊させた後に殺して処理をする……豚に残飯を食わせた後にそれをステーキで食うようなものだ」
カミュはその答えを聞いて、苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
「そんなの許せるわけないだろう」
「許されてしまう。ここでは」
カミュはすぐにベッドから立ち上がり、扉へ向かった。
「どこに行く気だ?」
「セオドロスの所に行くんだよ。ここで待ってるだけなんて嫌だ。それに___まだ、話せば止めてくれるかもしれないし」
カミュのこの思いをサルトルは意味の無いものだと分かってはいたが、とりあえず着いていくことにした。
入院中の継承者、それも教育チームという立場が低い所にいる人単体と、司令チームが一緒にいるのとでは上層部の話の受け入れやすさが違うと判断したからだ。
セオドロスは代わり映えのしない部屋でずっとベッドに寝転がっていた。
毎日本を読んでは、届けられる食事を全部食べてまた戻している。
謹慎処分を受けているものの、特段何も変わらないと思っている日々はセオドロスに反省をするも何にするのもそれが必要と思えるような思いを持たせるのには至らなかった。
子供達の声が聞こえる。大人の声も聞こえる。
いつもとどこか違う雰囲気を思わせる外の世界への扉を、セオドロスは開ける気にはならなかった。
ただ勝手に開けられた扉の先に見えた人物は今まで見たことがない服を身にまとっていた。
「セオドロス、受肉の儀式を開始する。着いてこい」
セオドロスは拒絶する理由もなかったので、素直について行った。
周りの子供達は見知らぬ大人に連れられて歩くセオドロスを見てヒソヒソと話し始める。
「あれ上層部の職員だ」
「アイツ、要らないことしまくってついに処分されるんだろ?」
「やった〜」
「もう少し早くからしてくれれば良かったのに」
「彼奴に合う偉人も居ないんだからね」
「継承者にだってなれやしないんだから」
セオドロスは子供達のわざと聞こえさせている話を聞きながら、自分は受肉の為に今呼ばれているんだけれどもなと思いながら歩いていった。
孤児院を出て、子供達とお別れをする前に
セオドロスは無言で中指を立てて出ていった。セオドロスなりの今までありがとうである。する必要もなかった行為をセオドロスはなんとなくすることにした。
孤児院を出てしばらく歩く。
上層部の職員と、ドストエフスキーが横についてセオドロスは特に何も考えずに歩き続ける。
やがて前からいつもよく聞いていた声が聞こえてきた。
「__待ってください!」
カミュだ。
カミュは酷く息を切らせながら、上層部の職員の顔を見た。
「まだ、まだこの子は13歳です。いや、子供だからとかでもないですが、この子はまだどの偉人を継承させるかまだ試作中で、まだ考えてて…!ベアトリーチェなんて、受肉が成功するはずなくて…!」
カミュは涙ながらに訴えたが、上層部は無視をした。
「決定した事だ」
「そんな…ッ!」
カミュは狼狽えた。近くにいたサルトルはそんなカミュの様子を見ながら補足をするように「成功もしないだろう事をわざわざする理由が分からない。そもそもとして完成者としてダンテがおぞましい怪物になっているのに、なぜベアトリーチェを受肉させようとするのかも分からない」と、伝えた。
しかし上層部は一貫として訴えを聞き入れなかった。
カミュが尚も冷静にしている上層部とセオドロスに近付こうと手を伸ばす。
上層部は手を挙げて誰かに向けて指示を出した。
「デカルト、威嚇と射撃」
すると発砲音がした後に手を伸ばしていたカミュの手を少し切り裂いて、上層部の職員を守るようにデカルトが現れた。
「っデカルト……!お前…!」
デカルトは何も言わず、ただ武器を向けた。
「抵抗するのならそれ相当の対応をする」
上層部は手を下ろすとデカルトを傍に置いたまま受肉をする為の地下施設へ向かうエレベーターへと歩いていった。
当然セオドロスはついて行く。
通り過ぎる時にカミュと目が合ったセオドロスは、かける言葉も思うものも、何も出てこないのならば何も無いままにするしかないと、目を逸らして職員について行った。
エレベーターには職員とセオドロスだけが乗り込み、遠くの方ではサルトルに動きを止められているカミュが居て、エレベーターの入口近くにはドストエフスキーが立っていた。
開くボタンを押しながら上層部の職員はドストエフスキーへ受肉が決定した事の書類を手渡すと、開くボタンを押すのを止めすぐに閉じるボタンを押した。
扉が完全に閉じられるまで、ドストエフスキーは上層部の職員に対してお辞儀をしたまま顔をあげることはなかった。
扉が閉まり、釣り上げられるように体が下がっていくのを感じながらエレベーターが下がっていくのをモニターの数字がF1…F2…と数字が上がっていくので確認していた。
やがてエレベーターの扉が開き、職員が歩き始める。セオドロスはそれについて行って、どこか個室に入らされると、目の前にカプセルがあるのが見えた。
スピーカー越しに職員が告げる。
「カプセルの中に服を脱いで寝転びなさい」
そう告げられたと同時にカプセルの中が開いた。
セオドロスは服を脱いで棚に畳んでおくと、枕と思われるところに頭を乗せて寝転ぶと、カプセルが閉まったと同時に手足、首に拘束具のようなものが締められる。
頭からマスクのようなものがおろされて口と鼻にピッタリとついた。
しばらくして睡魔が来ると、目を閉じる事にした。
心臓部分が切り裂かれ、たいせつなものが抜き取られる感覚がした。
それはすぐに別の暖かさ__とてつもない熱さを伴う物体を埋め込まれる感覚で塗り替えられた。
物理的にいえば心臓で、精神的にいえば心が、なくなった途端に別のものを入れられた。今入れられたのが心なら、自分はやっと人の気持ちを知って、人並みの感情を出せるのだろうか?
セオドロスがそんな願いを込めながら、ただひたすらに心臓に埋め込まれたものの熱さを感じていると、脳の奥からじわじわと何かが見えてくるのを感じた。
赤い服と青い服の二人の男性。赤い服の人間と、共に星を巡る
そして最後に見た天の光は____
「神の愛…」
セオドロスはそう呟くと、自分の身に纏われている弊害を取り払った。
カプセルの扉のガラスを腕で割る
空気を取り込む為に水中から水面へと移る時のようにバキバキとガラスを割ってカプセルの外に出た
冬の朝はすぐ喉が渇くから、水でも飲みたいなと思っていると、スピーカーから大きな声で叫ばれる。
「失敗した…ッ!?なんだあの姿は…!」
「おい、おい!実験体!動くな!」
セオドロスはその言葉通りに動くのを止める事もなく、声を無視して扉を開いて外に出た。
部屋の外ではカミュやサルトル、フロイトなどが待っており、モニターで様子を見ていたようだった。
まるで病院で家族が受ける手術を不安そうに見守る人達のようで
セオドロスが扉を開けたことを知って、カミュ含め全員何人かはセオドロスの方を見たが、すぐに目を逸らすか信じられないようなものでも見るような目を見せた。
するとフロイトがため息をついてシッシッとセオドロスを部屋に戻るように指示した。
「_服を着てくれ」
セオドロスはその言葉で服を着ていなかったのを思い出すと、部屋に戻って服を手に取った。
その時に見えた自分の両手は、まるで黒い鎧でも着ているかのように硬い金属のようで、セオドロスは服を着ようとしたと同時に自分が人間ではなくなっていることに気がついた。
『新生 (著:ダンテ・アリギエーリ)
若い頃に出会ったベアトリーチェ・ポルティナーリに激しい恋心を抱いたダンテ。しかし結ばれることはなく彼女は程なくして病気により亡くなってしまう。その悲報を受けたダンテは彼女との出会いと別れ、そしてその悲しみから新たに生まれ直し精神的な成長をするまでを書いた。
神曲へと繋がるこの本は、ダンテにとって重要な本の一つである』




