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第6話「裏市場に狐は笑う」


 若者たちを家へ返し、宿場町の騒ぎがようやく落ち着いた頃には、空はすっかり夕焼けに染まっていた。


 宿に戻った一行は、広間の一角を借り切るようにして、ここまで集めた書類を机の上へ広げていた。


 徴税の帳簿。

 徴発名簿。

 救援物資の発送記録。

 神殿への寄進控え。

 押収した通達書の写し。


 紙の山はもう、ちょっとした役所くらいの量になっている。


「……多いですね」


 シルヴィアが疲れた声で言った。


「多いのう」


 ミツクニは湯呑みを傾けながら、のんびりと頷く。


「腐っておるところほど、無駄に紙が増えるものじゃ。隠すための紙、誤魔化すための紙、責任を押しつけるための紙。書けば正しく見えると思うのじゃろうな」


「実際、見慣れぬ者は騙されます」


「じゃが、見慣れておる者には、むしろ臭う」


 スケイルが淡々と書類を仕分けている横で、ハチは紙束を前に死んだ魚のような目をしていた。


「ねえ、これ絶対あたしの担当じゃないよね?」


「当然です」


「だよね! よかった!」


「おぬしには別の役目がある」


「えっ、あるの?」


「ある。おぬしが見た荷、買った物、聞いた値段、行商人の噂。それを全部思い出してもらう」


「うわ、一気に面倒くさくなった……」


「面倒くさいのはお前の頭の中だろうが」


「ひどっ」


 カクタスが笑う。


 だがミツクニはすでに、別の紙を指先で弾いていた。


「徴税強化通達。徴発命令書。救援物資の差替え許可。全部、出どころが似ておるのう」


「執政代理府の番号ですね」


 シルヴィアが紙を覗き込む。


「形式は少しずつ違いますが、発行系統は同じです。正規の王都布告ではなく、執政代理府から地方役所や代官へ直接流している内部命令に近い」


「叔父上の机から伸びた糸が、地方の首に巻きついておるわけじゃ」


「問題は、その糸を誰が運んでいるか、だな」


 スケイルの一言で、場が少しだけ静まった。


 そこへ、窓の外から小石がこつんと当たる音がした。


 ハチがびくっと肩を跳ねさせる。


「な、何!?」


「石じゃ」


「分かってるよ! 何で飛んできたのって意味!」


 カクタスが窓を開けると、外の夕闇に小さな影が揺れた。


 それは猫のように軽やかに塀の上へ飛び乗り、窓枠へ片足をかける。


「相変わらず鈍いわねえ、坊ちゃんたち」


 女だった。


 深い頭巾の下から覗く口元に、いたずらっぽい笑みが浮かんでいる。衣装は派手すぎず地味すぎず、町に溶け込む色合いだが、胸元と肩の線だけが妙に目を引いた。


 シルヴィアは眉をひそめる。


「……またあなたですか」


「また、とはご挨拶ね」


 ギンはするりと窓から中へ入ってきた。足音がほとんどない。


 ハチが身を乗り出す。


「うわ、やっぱりすごい! 狐のお姉さんだ!」


「お姉さんはよしなさい。まだ若いんだから」


「じゃあ狐の美人さん!」


「それは悪くないわ」


 ギンは笑ってから、ミツクニの机の上にひらりと紙片を二枚置いた。


「その番号、追ってみたわ。流れの中継点は次の町の裏市場。正規の商人じゃなくて、闇に片足突っ込んでる連中が運んでる」


「裏市場、か」


「昼の顔じゃ見えないわよ。夜になってからじゃないと」


 ミツクニは紙片を見て、軽く頷いた。


「うむ。ご苦労」


「言葉だけ?」


「では、団子でもつけようかの」


「安いわねえ」


「団子はうまいぞ」


 いつものように飄々としている。


 それが逆に、ギンの肩の力を抜いているようでもあった。


 シルヴィアはじっとそのやり取りを見ていた。


 前にも感じたが、この女とミツクニの距離感は妙だ。軽いのに、軽くない。ふざけているようで、互いの手札はきちんと把握している。


「今夜、行くんですか」


 問いかけると、ミツクニは視線を上げた。


「うむ。夜の市場なら、夜の者に案内してもらうのが早い」


「つまり私ね」


 ギンが肩をすくめる。


「もちろん、真面目な騎士さんが来ても止めないけど。ちょっと目立つでしょうね、その銀髪」


「私は別に、目立ちたくて目立っているわけでは」


「分かってるわよ。でも裏の連中って、匂いに敏いの。堅い人はすぐ分かる」


「……それは、褒めているのですか」


「全然?」


 ハチが噴き出し、シルヴィアのこめかみに青筋が浮いた。


 ミツクニがそこで、机の上に指をとんとんと落とした。


「よし。今夜は二手じゃ。わし、スケイル、シルヴィア殿は表から市場へ入る。カクタスとハチは宿場の外れで荷の流れを見張れ。ギンは中へ」


「おっけー」


「ヤッシュは?」


 スケイルの問いに、ギンが口の端を上げる。


「おじさんは先に潜ってる。たぶん、もう酒場で一杯やってるんじゃない?」


「働いているのか飲んでいるのか、どちらなのですか」


 シルヴィアが眉を寄せる。


「両方よ。あの人、杯を傾けてる時の方が目が冴えるんだから」


 ミツクニは小さく笑った。


「頼もしいことじゃ」


     ◇


 夜の裏市場は、昼の町とまるで別の顔をしていた。


 表通りから外れた川沿いの倉庫街。昼には閉じていた木戸が半開きになり、奥から灯りが漏れている。


 狭い路地には酒と香辛料と獣脂の匂いが混じり、物を運ぶ男たちが足早に行き交っていた。どの顔も、まともな商売人のようでいて、目だけがまともではない。


「……たしかに、昼とは違いますね」


 シルヴィアが低く言う。


「法の匂いがせぬじゃろう」


「秩序がない、という意味ですか」


「いや。秩序はある。表に見せぬだけでの」


 ミツクニは路地を見渡した。


「腐ったところほど、内輪の掟だけは妙に整っておるものじゃ」


 スケイルが一歩前を歩き、雑踏の中の導線を切る。


 ただ歩いているだけで、人の視線が集まった。


 特に女たちの目が、よく止まる。


 酒場の扉にもたれていた女が、スケイルを見た瞬間、ぱっと表情を明るくした。


「あら、いい男。ねえ、道に迷ったの?」


「迷っていない」


「冷たいのねえ。そういう顔、嫌いじゃないけど」


「そうですか」


 スケイルは一瞥だけして進もうとした。


 だが別の店の女給が、今度はわざとらしく籠を落とす。


「あっ」


 果物が石畳に転がった。


 スケイルは無言でひとつ拾い、籠へ戻した。


 女給は頬を染めて微笑む。


「ありがとう。お礼に一杯どう?」


「不要だ」


「名前だけでも」


「不要だ」


「本当に冷たいのね」


「急いでいる」


 スケイルは短く返し、歩き出した。


 その背を、女給は名残惜しそうに見送る。


 ハチがここにいたら大騒ぎしていただろう。

 シルヴィアですら、少し呆れた顔になった。


「……慣れているのですね」


「望んで慣れたわけではありません」


 スケイルの声は低い。


「顔がいいのも大変なのですね」


「他人事のように言わないでください」


「他人事ですから」


 ミツクニはほっほっと笑った。


「おぬしの顔も、たまには役に立つのう」


「若。今のところ、邪魔しかしていません」


「そうでもない」


 ミツクニの視線は、スケイルに近づいた女給の店先へ向いていた。


 先ほど女給が落とした籠の中には、果物の下に小さな荷札が混じっていた。スケイルが拾った時、彼はそれを見逃していない。


 荷札には、見覚えのある鳥の印。


 金色の鶸。


 スケイルは歩きながら、低く言った。


「右手の倉庫。金鶸の印がありました」


「うむ。やはりこの辺りか」


 女たちの視線を浴びながら、スケイルは心底うんざりした顔をした。


 その顔がまた妙に整っているせいで、通りの向こうから別の女が見惚れる。


 シルヴィアは思わず小さく呟いた。


「これは……面倒ですね」


「分かっていただけましたか」


 スケイルの返答は、珍しく少し疲れていた。


     ◇


 裏市場の中央には、即席の酒場めいた一角があった。


 樽を机代わりにし、粗い布を掛けただけの席。そこでは商人、荷運び、何をしているのか分からぬ女たちが酒を飲んでいる。


 その隅の席に、灰色混じりの髪をした男がいた。


 ヤッシュだ。


 昼間よりくたびれた上着。手元の安酒。半分眠そうな目。


 だが、眠そうなのは顔だけで、ミツクニが視線を向けると、男は杯を持つ指だけで小さく机を叩いた。


 右奥の席。


 短い合図だった。


「知り合いですか」


 シルヴィアが半眼で問う。


「たぶんのう」


「またそれですか」


「説明すると長いのでの」


「してください」


「そのうちじゃ」


 ミツクニはしれっと流し、ヤッシュが示した右奥の席へ視線を向ける。


 そこには、腹の出た中年商人がいた。


 派手な指輪、よく笑う顔、しかし笑っていない目。


 周りに女を侍らせているが、そのうちの一人が、見覚えのある頭巾を被っている。


 ギンだった。


 彼女は今や、そこに最初からいた女みたいな顔をしている。


 商人の隣にぴたりと座り、酒を注ぎ、笑い、わざと肩が触れる距離で囁いている。仕草の一つひとつは柔らかい。だが、その目だけは水面の下の刃物みたいに冷静だった。


「……あれは」


 シルヴィアの声がわずかに詰まる。


 ギンが杯を持ち上げる。


 袖がさらりと落ち、白い肩が灯りの中にのぞいた。商人の目がそこへ吸い寄せられる。ギンはわざと遅れて袖を戻し、くすりと笑った。


「おじさま、そんなに見たら飲みづらいわ」


「これは失礼。美人がいると、ついなあ」


「口がお上手。でも私、上手いだけの人って嫌い」


「じゃあ何なら好きなんだい?」


「秘密を持ってる人かしら」


 シルヴィアは思わず言葉を失った。


 あまりに自然だ。自然すぎて、見ているこちらの方が落ち着かない。


 ミツクニは湯気のない薄い酒を一口だけ飲んだ。


「ようやる」


「楽しそうですね」


「うむ。楽しんでおるな」


「そういう感想になるんですか」


「嫌そうにやるよりよほどよい」


 その頃には、ギンはすでに商人の指へ軽く触れ、爪先で椅子を寄せていた。


 距離は近い。


 声音は甘い。


 だが、あくまで下品にはならない。相手に「自分が優位だ」と勘違いさせるための距離だった。


「でも困るわ。私、ここ数日ずっと北の荷が少なくて困ってるの。前はもっと回ってたのに」


「北?」


「ええ。徴発だか何だかで若いのを集めてるって噂の辺り。あそこ、最近は物も動いてるでしょ?」


「……へえ。そんなことまで知ってるのか」


「商売女は耳が命だもの」


「なら、お前さんにゃ教えても損はないか」


 商人は完全に気をよくした顔で、胸を張った。


「北の荷は今、王都の《金鶸商会》がまとめて押さえてる。代官も神殿も、橋の連中も、あそこに噛んでるのさ。で、その許可を出してるのが――」


「執政代理府、でしょ?」


 ギンが先に言うと、商人は一瞬だけ目を丸くし、それから下卑た笑みを浮かべた。


「おっと、そこまで知ってるなら話が早い」


「ねえ、じゃあ帳面、見せてくれない?」


「欲張りだな」


「欲張りなの、嫌い?」


「嫌いじゃないねえ」


 その会話の間に、ギンの指先は商人の懐へ滑り込んでいた。


 紙切れ一枚。ほんの小さな帳面の切れ端。


 彼女は相手の膝へ手を置いたふりをして、それを袖の内へ消す。


 その一部始終を見ていたシルヴィアは、つい息を止めていた。


「……ああいうことまでしなくても」


 思わず漏れた声に、隣のスケイルが小さく肩をすくめる。


「しなくて済むなら、していません」


「ですが」


「勝てる手を使っているだけです」


 その言い方が、余計にシルヴィアを黙らせた。


 やがてギンは、大して名残惜しくもなさそうに商人から離れた。


 男はまだ未練がありそうだったが、今夜のところはそれ以上追わないらしい。ギンは客たちの間をすり抜け、そのまま一行の席まで戻ってきた。


「お待たせ」


 当然のようにミツクニの隣へ腰を下ろす。


「《金鶸商会》。王都では中堅だけど、最近急に羽振りがよくなってる。北の徴発地、救援物資、橋の関税、全部あそこが荷を噛んでるわ」


「ほう」


「おまけに、執政代理府の特別許可証つき」


「やはりかの」


「やっぱり知ってた?」


「疑ってはおった」


 ギンは袖の内から帳面の切れ端を抜き取って机に置いた。


 そこには荷の種類、運搬先、そして商会印が走り書きされている。


 シルヴィアがそれを見て、目を細めた。


「……ここまで露骨に」


「露骨だから儲かるのよ。皆、“どうせ上とつながってる”って思った時点で黙るもの」


「だからといって、あのやり方は」


「何?」


 ギンはにこりともせず、まっすぐシルヴィアを見返した。


「ああいうやり方までしなくても、とでも言いたいの?」


「ええ」


「勝てる手を使って何が悪いの」


 酒場のざわめきの中で、その言葉だけが妙に鮮明に響いた。


「私は、相手が口の軽い男なら口を開かせるし、目の軽い男なら目を奪う。それだけよ」


「誇りの問題です」


「誇りで帳面が開くなら楽でしょうね」


 ぴしゃりと言い返され、シルヴィアは言葉に詰まる。


 ギンの目はからかっているのではなく、本気だった。


 表で剣を振るうのが騎士なら、裏で口を割らせるのが自分だと、そう言っている。


 そこでミツクニが、机を指先でとんとんと叩いた。


「どちらも必要な手じゃよ」


 二人の視線が彼へ向く。


「表で立つ者も、裏で崩す者もおらねば、世は正せぬ。剣だけで済むなら苦労はないし、色気だけでも済むまい」


「……」


「……」


「ただし」


 ミツクニはゆるりと目を細めた。


「手段を使う者が、自分の線を忘れた時は危うい。ギン、おぬしはそこを忘れてはおらぬ。シルヴィア殿もまた、己の誇りを捨てておらぬ。どちらも、軽んじるものではない」


 しばしの沈黙ののち、ギンが肩をすくめる。


「相変わらず、うまく面倒なところを拾うわねえ」


「面倒とは心外じゃな。必要なものを必要と言うておるだけじゃ」


「その言い方が、いちばん厄介なのよ」


 ミツクニはそこで初めて、ギンへ正面から目を向けた。


「よう働いたのう」


 そして、ごく自然に、その頭へ手を伸ばす。


 ぽん、と軽く撫でられた瞬間、ギンの背後で何かがぴくりと動いた。


 頭巾の下から覗いていた尻尾だった。


 本人は何でもない顔をしようとしていたが、二度目に撫でられた時には、今度こそ誤魔化せなかった。


 ふわりと毛が膨らみ、尻尾が左右へ大きく揺れる。


 ハチが最初に反応する。


「うわっ、尻尾!」


「見ないで」


「見えるよ!」


「見えても言わないのが礼儀よ!」


「今、自分で言ったよ!?」


「うるさいわね!」


 カクタスが肩を震わせ、スケイルはわずかに目元を緩める。


 シルヴィアも、さっきまでの張りつめた空気を保てなくなった。ほんの少しだけ、口元が緩む。


 ギンはそれに気づいて、じろりと睨んだ。


「騎士さんまで笑うの?」


「……笑っていません」


「その顔で?」


「笑っていません」


「嘘つき」


 そこで、少し離れた席から低い声が飛んできた。


「騒ぎすぎだ、狐娘」


 ヤッシュだった。


 相変わらず酒杯を片手に、面倒そうな顔をしている。


 だがその机の上には、すでに別の帳面が開かれていた。いつの間に拾ったのか、別口の荷札もいくつか並んでいる。


「おじさん、見つけたの?」


「北の荷は《金鶸商会》。南の流れは神殿の横流し。両方とも執政代理府の保証つきだ」


「やっぱり」


「やっぱり、じゃねえ。思ったより太えぞ、この線は」


 ヤッシュはそう言って、杯をぐいと煽った。


「地方の役人や代官の小遣い稼ぎじゃ済まん。王都の誰かが、最初から仕組みで回してる」


 ミツクニは、ギンが抜いてきた切れ端と、ヤッシュが拾った荷札を並べた。


 同じ商会名。

 同じ許可番号。

 同じ執政代理府の印。


「……綺麗すぎる報告書の裏で、ずいぶんと器用に稼いでおるようじゃな」


 その声音は穏やかだった。


 だが、知る者なら分かる。


 ミツクニは本気で腹を立てている時ほど、こういう声になる。


 ヤッシュは目だけでそれを確認し、鼻を鳴らした。


「どうする」


「どうするも何も、追うしかあるまい」


「なら、次は神殿だな」


「おじさん、もう決めてるの?」


「決めてるんじゃねえ。向こうが勝手に繋がってきてんだ」


 ミツクニは小さく頷いた。


「よろしい。では明日からは、少し病の匂いも嗅ぐとしようかのう」


 シルヴィアがその言葉に目を上げる。


「神殿へ行くのですか」


「うむ。救援物資を食い、若者を削り、橋を絞る。そこへ病人まで乗せるなら、なかなかよく出来た腐り方じゃ」


「笑い事ではありません」


「笑ってはおらぬよ」


 ミツクニは静かに答えた。


「じゃが、どこまで繋がっておるか見届けねばならぬ。ここで止まるには、もう線が太すぎる」


 酒場の外では、川風が夜気を運んでいた。


 裏市場の灯りは揺れ、人々は笑い、値をつけ、荷を動かす。そのどれもが商いに見えて、その奥では別の金が流れている。


 偽りの支配は、いつも表向きだけは整っている。


 だからこそ、裏を剥がさねばならない。


「さて」


 ミツクニは立ち上がった。


「今夜はこのあたりで引くとしよう。十分に獲れた」


「団子も?」


「団子もじゃ」


「やったー!」


「仕事の後の甘味って最高よねえ」


「おぬしはさっきまで酒を飲んでおったじゃろう」


「別腹よ」


「便利な腹じゃな」


 ギンの尻尾は、もうとっくに落ち着きを取り戻していた。


 だが、ミツクニが立ち上がる時にもう一度だけ肩へ軽く触れると、先の方がぴくっと反応する。


 ハチが見逃すはずもない。


「また動いた!」


「見ないでって言ってるでしょ!」


「見えるんだもん!」


「それ以上言うとつねるわよ!」


「いたっ、まだつねってないのに痛い気がした!」


 カクタスが笑い、スケイルはやれやれと立ち上がる。


 その時、さきほどの女給がまたスケイルに近づいてきた。


「あの、本当に一杯だけでも……」


「不要だ」


「せめて、明日もこの辺りに?」


「いない」


「では、お名前だけ」


「不要だ」


 スケイルは淡々と断り続けた。


 女給は残念そうに肩を落としたが、その拍子にぽつりと呟いた。


「金鶸の荷、明け方にはもう出ちゃうのに……」


 スケイルの目がわずかに動く。


「どこへ」


「え?」


「その荷はどこへ向かう」


 女給は、彼が初めてまともに反応したことに少し頬を赤らめた。


「神殿町よ。病人が増えてるから薬草がいるって。でも、薬草にしては箱が重そうだったわ」


「そうか」


 スケイルは短く頷き、戻ってきた。


 シルヴィアが目を丸くする。


「……また情報を?」


「望んで得たわけではありません」


 スケイルはいつも通りの無表情だった。


 だが、わずかに疲れている。


 カクタスがにやりと笑った。


「いいじゃねえか。顔で稼げる男」


「やめろ」


「照れるな照れるな」


「照れていない」


 ミツクニは愉快そうに笑った。


「よいではないか。剣も顔も、使えるものは使う。ギンと同じじゃな」


「若。それは少々、不本意です」


 ギンがくすりと笑う。


「あら、私と同じ扱いは嫌?」


「嫌というより、面倒が増える」


「正直ねえ」


 シルヴィアは少し遅れて席を立ち、最後にヤッシュの方を見た。


「あなたも、来るのですね」


「最初から来てる」


 ぶっきらぼうな返事だった。


「表に立つのはお前らだ。俺は後ろで臭いを拾う。そういう役目だ」


「……そうですか」


「何だ」


「いえ。思っていたより、ずっと変な一行だと思っただけです」


 ヤッシュは片眉を上げ、それから小さく笑った。


「今さらだな、騎士殿」


 その言い方には少しだけ、仲間として認める響きが混じっていた。


 夜の裏市場を背に、一行は宿への道を戻る。


 北の徴発。

 橋の通行税。

 救援物資の横流し。

 そして王都の《金鶸商会》と、執政代理府の許可印。


 点はもう、点ではなくなっていた。


 ミツクニは夜空を見上げ、小さく呟く。


「叔父上。ずいぶんと、手広くおやりになっておるようじゃのう」


 答える者は、もちろんいない。


 だが、その沈黙の向こうで、次の騒ぎはもう待っている。


 病と信仰の顔をした、新しい腐り方が。

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