第5話「薬を囲う神殿」
宿場町の朝は早い。
まだ霧の薄く残るうちから、荷馬車が軋み、店の戸板が上がり、人の声が少しずつ通りを満たしていく。
だが、その活気の底に、どこか重いものが沈んでいるのを、ミツクニは昨日の時点で感じ取っていた。
若い男たちが徴発され、戻りが少ない。
それだけでも十分に嫌な話だ。
だが、もっと嫌なのは、町の人間がそれを「仕方ないこと」として飲み込みかけている空気だった。
恐れは、長く続くと日常の顔をする。
ミツクニは、それをよく知っていた。
「徴発先は北外れ、でしたね」
宿の前で馬具を整えながら、スケイルが確認する。
「うむ。まずはそこへ向かうとしようかのう」
ミツクニがそう答えると、ハチが干し肉をくわえたまま手を挙げた。
「その前に朝ごはん追加してもいい?」
「だめです」
即座にシルヴィアが却下した。
「何で!? 腹が減っては世直しできないって言ってたじゃん!」
「今それを言うのは私です」
昨日の酒の件が嘘のように、シルヴィアの声はよく通った。
顔色はまだ少し青い。だが、目はもう酔っていない。むしろ、二日酔いと羞恥を規律でねじ伏せているような顔だった。
ミツクニはそれを見て、くすりと笑う。
「うむ。よいぞ、シルヴィア殿。二日酔いでもよく締まっておる」
「褒められている気がしません」
「半分は褒めておる」
「半分は何なんですか」
「自業自得じゃな」
「……返す言葉もありません」
カクタスがぶはっと吹き出した。
「隊長殿、昨日の勢いはどこ行った!」
「その呼び方をやめなさい!」
「やめろって言う元気があるなら大丈夫だな!」
「大丈夫ではありません!」
騒がしいやり取りの中、ミツクニは懐にしまった紙片へ軽く指先を触れた。
昨夜、ヤッシュの赤布苦無に結ばれていたものだ。
――徴発名目。北外れの倉庫。戻り少なし。
短い。
だが、十分だった。
余計なことを書かないのが、あの男らしい。
「行くぞ。腹は、まあ、後で何とかしよう」
「ええー……」
「徴発されている若い者たちが飯を食えておるか分からぬ時に、自分だけ腹いっぱいというのも、座りが悪いじゃろう」
「……う」
ハチが干し肉をもぐもぐしたまま黙った。
根が悪い子ではない。
そこが、この少女の扱いやすいところでもあり、危なっかしいところでもある。
◇
北外れへ向かう道は、町の賑わいが途切れると途端に荒れ始めた。
荷車の轍が深く刻まれている。人の出入りは多いはずなのに、手入れされた様子がない。
街道整備のための徴発だと言うなら、まずこの道から直すべきだろう。
だが、その気配は皆無だった。
「整備、ねえ」
カクタスが鼻を鳴らす。
「整えるどころか、潰してるじゃねえか」
「人手を集めている理由が“整備”ではない証拠でもあるのう」
ミツクニが静かに言う。
「若者を集めるなら、兵か、荷運びか。あるいは、その両方か」
スケイルの見立てに、シルヴィアの表情が固くなる。
昨夜から、彼女はあまり昔の話をしていない。
だが、似たような匂いを嗅いでいるのは明らかだった。
やがて一行は、街道脇の林に人の気配を見つけた。
スケイルが手を上げる。
全員が足を止めた。
「……三人。いや、四人か」
「兵ですか」
シルヴィアが問う。
「違う。足音が軽すぎる」
ミツクニは馬を降りた。
「出てくるとよい。こちらに害意がないなら、いきなり斬ったりはせぬ」
しばしの沈黙。
やがて、茂みの向こうから、ぼろ布を巻いた若者が現れた。
ひどく痩せている。
手には粗末な短剣。
後ろからもう三人、同じような顔色の悪い若者たちが続いた。
いずれも二十にも届かぬくらいだ。
盗賊を名乗るには、あまりに頼りない。
「金を……置いていけ」
先頭の若者が震える声で言った。
脅しのつもりだろう。
だが、声よりも手の方がずっと震えている。
ハチが小声で呟いた。
「……この人たち、全然強そうじゃない」
「見れば分かる」
スケイルが淡々と返す。
「そういうことじゃなくて!」
カクタスが一歩前へ出た。
それだけで、若者たちはびくりと肩を跳ねさせる。
「お前ら、盗賊向いてねえぞ」
「う、うるさい!」
「いや、本当に向いてねえ。腹減って足もふらついてる奴が、どうやって荷車を襲うんだ」
「だ、黙れ!」
飛びかかってきたひとりを、スケイルが半歩でかわし、手首を軽く払う。
短剣が地面に落ちた。
別の若者はカクタスに突っ込んだが、大盾で軽く押し返されて尻もちをつく。
最後のひとりは、シルヴィアの前でぴたりと止まった。
剣筋を見て、勝てないと悟ったのだろう。
立ち尽くしたまま、唇を噛みしめている。
「……もうよい」
ミツクニが言った。
「これ以上やっても、怪我を増やすだけじゃ」
若者たちが、息を呑む。
ミツクニは彼らの顔を順に見た。
痩せた頬。
土に汚れた服。
乾いた唇。
そして、怯えと空腹に濁った目。
「腹が減っておるのであろう」
「なっ……」
先頭の若者が、目を見開いた。
ミツクニはハチの荷車を見た。
「干し肉はまだあるかの」
「えっ、あるけど」
「出してやるとよい。金はわしが払おう」
「……いいの?」
「腹を満たした後の方が、話は聞きやすい」
ハチは一瞬だけ迷い、それから荷台に飛びついた。
干し肉と固いパンを抱えて戻り、若者たちの前へどさっと置く。
「ほら! 盗るより、もらった方が早いよ!」
ひどく雑な言い方だった。
だが、若者たちはそれにすがるように食いついた。
見れば、指先まで痩せている。何日まともに食べていないのか分からぬ食べ方だった。
シルヴィアは、その様子を見て目を伏せた。
短剣を握らせたのは、この者たちの悪意ではない。
飢えだ。
そして、飢えに追い込んだ誰かだ。
◇
林の中の開けた場所で、若者たちはようやく話し始めた。
先頭だった青年は、名をロイと名乗った。
宿場町で馬の世話をしていたらしい。役人に徴発され、北外れの作業場へ送られた。
最初は街道整備だと聞かされていた。
だが、実際は違った。
「石運びと木材運び、それに……兵の訓練みたいなことまでやらされた」
「兵の訓練?」
シルヴィアが顔を上げる。
「領主の私兵だよ。新しく集めてるんだ。俺たちみたいな徴発組にも、槍の持ち方だけ教えて……逃げたら今度は“盗賊崩れ”だって言って」
「戻れた者が少ないというのは」
「病気になったり、潰れたり、逃げたり……逃げた奴は手配される。家族には罰金だ」
別の若者が歯を食いしばった。
「俺の弟、十四だぞ……なのに連れてかれたんだ」
「若ければ若いほど動くからな。荷物みたいに使いやがる」
ハチが、珍しく黙ったままロイたちを見ていた。
シルヴィアの拳が、膝の上で硬く握られている。
「徴発命令書は誰の名義でしたか」
彼女が問うと、ロイは首を振った。
「文字なんて読めねえ。でも、役人は“上から正式に来てる”って」
「家族に渡された紙は残っておるかの」
ミツクニが尋ねる。
「母親が持ってる。町に戻れば……」
そこでロイは、はっと顔を上げた。
「戻ったら、俺たち捕まるんじゃ……」
「その手配は、もう当てにならぬ」
ミツクニが静かに言った。
「少なくとも、わしらが動くまではの」
その言い方に、ロイは困ったような、信じたいような顔をした。
シルヴィアは唇を引き結んだまま、しばらく黙っていた。
やがて、低い声で言う。
「……昔、似たような命令がありました」
全員の視線が彼女へ向く。
「民の移送と、治安維持を兼ねた徴発でした。私は、従えば被害を抑えられると信じた。露骨に逆らえば、もっと大きく潰されると思って……」
「結果は違った、と」
ミツクニの声は穏やかだった。
シルヴィアは頷く。
「命令は拡大解釈され、移送先では多くが使い潰された。私は、現場の全てを見られなかった。いいえ……見ようとしきれなかった」
短い告白だった。
だが、その重さは十分だった。
ハチが何か言いかけて、やめる。
カクタスも茶化さない。
スケイルはただ、静かに周囲を警戒していた。
ミツクニは、それ以上掘らなかった。
「ならば今度は、違う結末にすればよい」
それだけだった。
けれどシルヴィアは、その一言に救われたように、一度だけ深く息を吸った。
「……はい」
◇
ロイたちに案内させ、一行は北外れの作業場を見張れる丘へ出た。
下には木柵で囲まれた広い敷地がある。
確かに石材も木材も積まれてはいる。だが、中心にあるのは訓練用の杭、槍立て、そして粗末な兵舎らしき小屋だった。
「街道整備じゃなくて、私兵育成場だな」
カクタスが吐き捨てる。
「徴発した若いのに荷運びさせて、使えそうなのは槍を持たせる。使えなきゃ潰れるまで運ばせる……胸糞悪い」
スケイルは柵の切れ目と見張りの配置を確認している。
「正面門に四人、裏手に二人。見張り台に弓が一」
「中の人数は?」
「ざっと見で二十。徴発組は十数人ほど」
ハチが小さく言った。
「こんなの、町の人は知らないのかな」
「知っていても、全部は見えておらぬじゃろう」
ミツクニは目を細めた。
「徴発とは、外から見れば“お上の仕事”に見える。法の顔をしておれば、人は疑い切れぬ」
シルヴィアは、丘の下で重い荷を運ばされている若者たちを見つめた。
その中に、年端もいかぬ少年がいる。
肩で息をし、転びかけ、兵に蹴られて立たされる。
彼女の目つきが変わった。
「あんな子まで……」
過去のどこかで見た光景が、現在の景色と重なる。
命令書。
整った文面。
正しそうな名目。
そして、その紙の向こうで潰される人間。
シルヴィアは息を吸った。
今度は、見ている。
今度は、届く場所にいる。
「止めるぞ」
ミツクニの声は静かだった。
だがそれだけで、全員の空気が切り替わる。
「スケイル、見張りを無力化。カクタス、正面を崩せ。シルヴィア殿は徴発組の保護を最優先。ハチは鍵と名簿を探せ。余計なところへ突っ込むな」
「余計なところってどこ!?」
「おぬしが突っ込みそうなところ全部じゃ」
「多いなあ!」
「分かっておるならよい」
ハチはむっとしたが、すぐに頷いた。
「……やるよ」
「うむ。頼むぞ」
その一言に、ハチは少しだけ胸を張った。
◇
最初に崩れたのは、見張り台だった。
スケイルの投げた短刃が、台の上の男の帽子だけを弾き飛ばす。
驚いて身を乗り出したところへ、次の一撃で弓が手から落ちた。
致命傷にはならない。
だが、もう戦力にはならない。
「敵襲――!」
叫び声が上がるより早く、カクタスが正面柵へ突っ込んだ。
「どけぇぇい!」
大盾が木柵をまとめてへし折り、内側へなだれ込む。
私兵たちは慌てて槍を構えたが、そんな即席の陣は一撃で乱れた。
カクタスは人を殺さぬ絶妙な力加減で、槍ごと兵たちを吹き飛ばしていく。
「カクタス殿! 力加減を!」
シルヴィアが叫ぶ。
「してる! してなきゃ壁まで飛んでる!」
「基準がおかしい!」
そう言いながらも、シルヴィアは真っ先に徴発組の側へ走った。
「伏せなさい! こちらへ!」
拘束されていた若者の縄を切り、倒れた少年を抱き起こす。
その少年は十四、五ほど。
顔は土に汚れ、熱もあるようだった。
「歩けますか」
「……わ、わかんねえ」
「大丈夫です。私がついています」
その時、監督役らしい男が怒鳴った。
「何をしている! そいつらは逃亡奴隷だ! 捕えろ!」
「奴隷ではありません!」
シルヴィアの声が鋭く飛んだ。
その瞬間だけ、場にいる全員が彼女を見る。
「徴発名目で連行し、労役を強い、逃げれば盗賊に仕立てる。そんなものは法ではない!」
監督役の男が鼻で笑った。
「法だろうが。治安のため、街道のため、領地のためだ」
「都合のいい言葉で飾るな」
その言葉は、シルヴィアではなく、ミツクニのものだった。
彼は歩いてくる。
若い顔のまま、しかし背負っている空気だけが場違いなほど重い。
「守るためと称して若者を潰し、逃げれば賊に仕立てる。便利な言葉じゃのう、“治安”とは」
監督役は怯まず、逆に大声を張った。
「この施設は領主直轄だ! お前のような小僧が口を挟むことでは――」
その時、ハチの甲高い声が響いた。
「鍵見つけた! あと名簿も!」
彼女は小屋の中から帳面を抱えて走り出してきた。
「うわ、すごい。年齢まで書いてある! 十四、十五、十六って、子どもばっかじゃん!」
監督役の顔色が変わる。
「それを寄こせ!」
「やだよ! これ証拠でしょ!」
「ハチ、走れ!」
ミツクニの指示で、ハチは名簿を抱えて一気にシルヴィア側へ駆けた。
追いすがろうとした兵の前に、スケイルが無言で立つ。
「通すと思うか」
「くっ――!」
短い攻防の末、兵たちはまとめて地に伏した。
残るは監督役と、奥から出てきた責任者格の男だけだ。
立派な上着を着ているが、目つきは獣じみている。
「貴様ら……どこの差し金だ」
「差し金ではない」
ミツクニが静かに言った。
すると、カクタスがミツクニの横へ進み出る。
背の荷から、黒塗りに金の縁取りが施された小箱を取り出した。
場の空気が変わる。
スケイルが剣を収め、姿勢を正す。
シルヴィアも、徴発された少年を支えながら静かに背筋を伸ばした。
カクタスは箱を胸の高さで開いた。
中に収められていたのは、金と蒼で象られた聖印。
勇者家直系の統治印。
王国の正統を示す、最終通告。
カクタスの声が、作業場の空気を震わせた。
「控えおろう!」
空気が凍った。
徴発組の若者たちでさえ、その重さを本能的に感じ取ったらしい。
監督役は膝から崩れ落ち、責任者格の男は二歩、三歩と後ずさった。
「せ、聖印……なぜ、ここに……」
ミツクニは聖印の横に立ち、責任者格の男を見据えた。
「領主補佐リッケルト、と申したか」
その声が、静かに場を支配する。
「若者を徴発の名で集め、労役に沈め、逃げれば盗賊として手配した罪」
「ち、違う! それは領地防衛のためで――!」
「街道整備と偽り、私兵訓練と資材搬送に使い潰した罪」
「私は命令に従っただけだ!」
「都合のよい言葉じゃな。命令、治安、防衛。そう唱えておれば、潰された者の骨まで軽くなると思うたか」
ミツクニは一歩近づいた。
「守るとは何じゃ。支えるとは何じゃ。おぬしらは、若い者の腕も脚も未来も、領地の道具としか見ておらぬ」
リッケルトは汗を滲ませながら、なお言い募る。
「領地は人手不足なのだ! 多少の無理をせねば回らん!」
「ならばまず、上でふんぞり返っておる者から働かせるがよい」
カクタスが吐き捨てた。
「こんなガキを潰しておいて“多少”だと? 寝言は寝てから言え!」
ミツクニは責任者を見下ろした。
声は荒げない。
けれど、その静けさが逃げ道を塞いでいく。
「民を守る責を持つ者が、民の子を食い潰す」
黒い瞳が、細くなる。
「軽いとは、申すまいな」
リッケルトはついに膝をついた。
「お、お許しを……! 私は、ただ領主様のために……」
「慈悲は、潰された者と残された家族に向けるものじゃ」
ミツクニの声には、怒鳴り声よりも重い断絶があった。
「おぬしには裁きが要る」
◇
その日の夕方、徴発された若者たちは町へ戻った。
宿場町の入口では、家族たちが半信半疑の顔で待っていた。
やがて荷車とともに帰ってきた息子たちの姿を見つけた瞬間、あちこちで悲鳴のような泣き声が上がる。
「ロイ!」
「兄ちゃん!」
「生きて……!」
抱き合う家族。
泣き崩れる母親。
弟にすがる幼い妹。
ハチはそれを見て、鼻をすすった。
「……こういうの、ずるい」
「何がじゃ」
「泣くつもりなかったのに、こっちまで泣きそうになるやつ」
「それはまあ、よいことでもある」
ミツクニはそう言って、町へ返すための名簿と押収物をシルヴィアへ渡した。
彼女はもう迷わず、それを受け取る。
「町役場へ引き継ぎます。手配の取り消しと罰金命令の撤回も、こちらでまとめて書かせます」
「うむ。頼んだぞ」
「はい」
その返事は、以前より少しだけ強かった。
もう、命令に押し流されていた騎士ではない。
自分で選び、自分で動く騎士の声だった。
一方、スケイルは作業場から押収した書類を整理していた。
その中のひとつを見つけ、黙ってミツクニへ差し出す。
「若」
「どれ」
受け取った文書には、資材搬送と人員配置の指示が記されている。
末尾には、小さな印。
見慣れた封蝋印だった。
勇者家執政代理府。
ミツクニの目が細くなる。
「……やはり、ここにもか」
「線がつながってきましたな」
「うむ」
橋の徴税。
救援物資の横流し。
若者の徴発。
形は違えど、どれも同じ流れに乗っている。
叔父の名がついた命令が、地方をじわじわと痩せさせているのだ。
シルヴィアが戻ってきた時、彼女はその文書に一瞬だけ視線を止めた。
「それは」
「上の印じゃよ」
ミツクニは紙を畳んだ。
「綺麗な報告書の裏で、ずいぶん働き者のようじゃな、叔父上は」
冗談めいた調子だった。
だが、その目は少しも笑っていない。
シルヴィアは黙って、その横顔を見た。
この人はいつも穏やかだ。
けれど今、静かな怒りが確かにある。
民を見て、傷を見て、数ではなく顔を見て怒る人だ。
だからこそ、自分はついていくと決めたのだと、あらためて思った。
「さて」
ミツクニは空を見上げた。
夕日が、宿場町の屋根を赤く染めている。
「まだまだ先は長そうじゃのう」
「ええ」
シルヴィアは頷いた。
「ですが、今度は逃しません」
「うむ。頼もしいのう」
ハチが袖を引っ張った。
「ねえ、今夜こそごはん多めでいいよね? 今日は本当に頑張ったよね!?」
「おぬしは毎回そこへ着地するのう」
「大事なことだもん!」
「それは否定せぬ」
カクタスが笑い、スケイルはやれやれと肩をすくめる。
町にはようやく、当たり前の声が戻り始めていた。
若者の帰還を喜ぶ声。
泣き声。
笑い声。
人の暮らしの音だ。
その音を背に、ミツクニは小さく呟く。
「通さねばならぬものを通し、守らねばならぬものを守る。それだけのことが、どうしてこうも歪むのかのう」
答える者はいなかった。
だが、その歪みを正すための旅は、確かに一歩ずつ進んでいた。
地方の小さな不正の裏に、大きな濁りがある。
その輪郭は、もう隠しきれなくなりつつある。
旅はまだ、終わらない。




