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第3話「橋を絞る悪い役人」



 橋が見えると、ハチはだいたい浮かれる。


「見て見て見て! 大橋だよ大橋! 橋のある町ってね、人も物も集まるから儲かるんだよ! あたし知ってる!」


 荷車の上でぴょんぴょん跳ねながら、ハチは街道の先を指さした。


 たしかに立派な橋だった。


 幅広い川に堂々と架かる石橋で、欄干には古い装飾が施されている。遠目にも、かつて交易で栄えた町だと分かる造りだった。


 だが、ミツクニは目を細めた。


「ふむ」


「何かございましたか、若」


 隣を歩くスケイルが問う。


「橋は立派じゃが、町の顔はあまり景気がよくないのう」


 橋へ向かう荷馬車は少ない。


 行き交う商人も、どこか肩を落としている。橋のたもとの露店も開いてはいるが、威勢がない。人はいる。建物も残っている。だが、金の流れが途中で詰まっている町の空気だった。


 カクタスが鼻を鳴らす。


「橋ってのは、通すためにあるんだ。こんな顔した町になるってこたぁ、どっかで絞ってる奴がいるな」


「絞る?」


 ハチが首をかしげる。


「絞るって、何を?」


「そりゃお前、財布だろうが」


「うわ、最低!」


「最低なのは俺じゃねえ!」


 相変わらず賑やかだ、とシルヴィアは小さく息を吐いた。


 旅に加わってまだ日は浅い。だが、少しずつこの一行の調子は分かってきた。


 カクタスは騒がしいが、見ているところは案外きちんとしている。


 スケイルは必要なことしか話さないが、常に全体を見ている。


 ハチは――正直、まだ判断に困る。


 商人としての目はある。庶民の空気にも敏い。だが、食べ物が絡むと判断力が干し肉一枚分くらいまで薄くなる。


 そして、ミツクニだけは最初から変わらない。


 若い顔だが、老人のように笑う。


 軽く見えて、誰よりも深く見ている。


「とりあえず、渡るとしようかのう」


 一行は橋のたもとの関所へ向かった。


     ◇


「通行税だ。人頭税二枚、荷車は積載量に応じて追加。保存食、乾物、加工肉には保存税。布地には織布税。香辛料には贅沢税だ」


 関所役人は、さも当然のように言った。


 ハチがぽかんと口を開ける。


「……えっ?」


「聞こえなかったか?」


「いや、聞こえたけど意味が分かんない! 保存税って何!? 干し肉がおいしそうだからお金取るってこと!?」


「違う!」


「でも名前が悪いよそれ!」


 関所役人のこめかみに青筋が浮いた。


 ハチの荷車には、干し肉、小麦粉、乾燥果実、小物類がぎっしり積まれている。旅の途中で仕入れたものを、橋の向こうの市場で売るつもりなのだろう。


 だが提示された額は、どう考えても小商人が払える水準ではなかった。


 シルヴィアは無言で掲示板の通達文に目をやった。


 古びた木板に貼られた羊皮紙。王国法の抜粋が記され、その下に追加徴税の項目が並んでいる。一見すると、もっともらしい。


 だが、よく見れば妙だった。


「……この条文」


 シルヴィアは一歩前に出た。


「何だ、女」


「これは橋梁維持費の臨時徴収条項です。本来は、洪水または破損により修繕が必要な場合に限り、期間限定で課されるもの。恒常的な税ではありません」


 役人が鼻で笑った。


「細かいことを言うな。上からの通達だ」


「加えて、保存税などという名目はこの条文には存在しません。勝手に付け足している」


「上からの通達だと言っている!」


 ぴしゃりと返されても、シルヴィアはひるまなかった。


「ならば、その原本を見せてください」


 その瞬間、関所役人の目がわずかに泳いだ。


 ミツクニはそれを見逃さなかった。


「ほう。原本は出せぬかの」


「うるさい! 通るなら払え、払わぬなら戻れ!」


 役人の語気が一段荒くなる。


 ハチが荷車にしがみついた。


「戻れって言われても、橋の向こうの市場で売るつもりだったんだけど!? ここ通れなかったら今日の売上ゼロなんだけど!?」


「知るか」


「ひどっ!」


 カクタスが半眼で役人を見る。


「主、こいつ殴っていいか」


「まだいかん」


「まだ、ってことは後ならいいのか?」


「そう短気では、統治は務まらぬよ」


 ミツクニは穏やかにそう言ってから、関所の先に目を向けた。


 橋の向こうでは、荷を抱えた商人たちが同じように止められ、諦めた顔で小銭を差し出している。払えぬ者は引き返し、橋のたもとの露店はどこも閑散としていた。


 橋はある。


 だが、人も物も流れていない。


 ミツクニは静かに言った。


「なるほど。町が痩せるわけじゃ」


 声は軽い。


 しかし、目は笑っていなかった。


「少し話を聞くとしようかの」


     ◇


 町へ入った一行は、まず市場の端にある茶店へ腰を下ろした。


 橋がある町は本来、通過する人間の腹を満たし、荷を売り買いし、そうして回る。


 だが今は客足が鈍い。


 茶店の主人も、湯を注ぎながら何度もため息をついていた。


「商売あがったりですよ」


 主人は声を潜めた。


「橋を渡るだけであれだけ取られちゃ、誰だって回り道を選びますさ。けど回り道は山賊も出る。だから仕方なく払う者もいる。そうすると今度は儲けが消える。荷は減る、人は寄らない、店は死ぬ……って具合でね」


 シルヴィアが静かに尋ねる。


「橋の修繕は行われているのですか」


「見たことありませんねえ」


 主人は苦笑した。


「橋なんざ、ここ何年もびくともしてませんよ。丈夫なのが取り柄みたいな橋ですから」


 ハチが通行札を見ながら、げんなりとした顔をした。


「じゃあ何で保存税まであるの……」


「さあねえ。お上は何でも名前をつけりゃ取れると思ってるんじゃないですか」


「最悪!」


「最悪なのは今さら気づいたお前だ」


「うるさいなカクタス!」


 いつものように言い合いを始める二人をよそに、ミツクニは机の上に置かれた通行札を指で弾いた。


「ふむ。集めた銭はどこへ流れておる?」


「そりゃあ関所役人と町役場でしょう。で、たまに代官の使いが来て帳簿を持っていくって話です」


 その言葉に、スケイルの目がすっと細くなる。


 ミツクニは穏やかに頷いた。


「シルヴィア殿、どう見るかな」


「通達文は偽物とまでは言いません。ですが、本来の法の一部を都合よく切り取っています。さらに追記部分の筆跡が違う。後から書き足した可能性が高いです」


「帳簿も見たいのう」


「素直に見せるとは思えませんが…」


「ならば、見せたくなるようにしてやればよい」


 ミツクニは茶を一口飲み、ふっと笑った。


 その笑い方を見た時、シルヴィアは少しだけ関所役人に同情した。


 たぶん、もう逃げられない。


     ◇


 役場に乗り込むと、町役人は最初から嫌そうな顔をした。


 丸い顔に薄い髭。指先にはインクがついているが、働き者のそれではない。帳簿をいじる者の汚れだった。


「関所の徴税について確認したい」


 シルヴィアがそう切り出すと、役人は机から顔も上げずに言った。


「正式な通達に基づく徴収です。問題ありません」


「では原本を」


「保管中です」


「では徴収帳簿を」


「外部には見せられません」


「では橋の修繕計画書を」


「……後日で」


 そこまで言われて、ハチが呆れたように口を尖らせた。


「何にも見せる気ないじゃん」


「黙っていなさい、小娘」


「小娘だけど、正しいこと言ってるもん!」


 役人が立ち上がる。


「こちらも忙しいのです。よそ者に説明している暇は――」


「ほう。忙しい割に、帳簿の数字は暇そうじゃのう」


 静かな声に、全員がそちらを見た。


 ミツクニが、役人の机の端に置かれていた帳面をいつの間にか開いている。


「勝手に触るな!」


「表紙が開いておったのでの。で、ここじゃ」


 細い指が一行を叩く。


「関所修繕費。先月、先々月、その前も、その前も同額で計上されておる。橋に毎月まったく同じ額の修繕が必要とは、なかなか器用な橋じゃな」


「そ、それは定期保守で……」


「ならば施工記録があるはずじゃろう。誰が直した。どこを直した。何を買った」


「そ、それは……!」


 シルヴィアがすかさず別の帳簿を取り上げる。


「こちらの徴収額もおかしい。関所の税収は増えているのに、町の備蓄放出量は減っています。つまり、入った金が町に戻っていない」


「違う! それは上への納付が――」


「どこへ?」


 スケイルの一言は短かったが、刃のようだった。


 役人の喉が鳴る。


「……だ、代官府へ」


「その先は?」


「し、知らん!」


「うそだね」


 ハチが机の脇に置かれた木箱を指さした。


「だってそれ、まだ封も切ってない通行札の束でしょ? 町で使う分っていうより、どっかに追加で送る分じゃないの?」


 役人が凍りつく。


 カクタスがにやりと笑った。


「へえ。腹減ってるだけかと思ったら、たまに頭も回るじゃねえか」


「たまにって何!」


「褒めてるだろ」


「褒め方が雑!」


 ミツクニは小さく頷いた。


「十分じゃ。隠すには数が多すぎたのう」


 役人はついに机を蹴って駆け出した。


 奥の棚から書類袋をひったくり、裏口へ走る。


「逃がすか!」


 カクタスが吠えるより早く、スケイルの体が動いた。


 剣の柄が役人の膝裏を打ち、男は無様に転がる。書類袋が床に散らばった。


「ひ、ひぃっ!」


「怪我は軽い。運が良かったな」


 スケイルは淡々と告げた。


 床に広がった紙束を、シルヴィアが次々と拾い上げる。


 そのうちの一枚で、彼女の目つきが変わった。


「ミツクニ様」


 彼女が差し出した通達書には、橋梁維持の臨時徴収に関する文面と、その末尾に小さな番号が記されていた。


 ――執政代理府徴税強化通達・第三七号。


 ミツクニの目が、すっと細くなる。


「やはりの」


 役人は床に這いつくばったまま、ぶるぶると震えている。


「し、知らなかったんです! 上から来た通達で! 従えば取り分をやると……」


「取り分、とな」


「は、橋を渡る連中なんて皆よそ者ですし、少しくらい取っても――」


「橋とは、通すためにあるのじゃ」


 ミツクニの声は穏やかだった。


 だが、その穏やかさがかえって重い。


「人と物を繋ぎ、町を生かし、先へ先へと流すためのものじゃ。それを喉首に巻く縄に変えるとは、なかなか見下げ果てた真似をしてくれる」


 役人は言葉を失った。


 その時、カクタスがミツクニの横へ進み出た。


 背の荷から、黒塗りに金の縁取りが施された小箱を取り出す。


 場の空気が変わった。


 スケイルが剣を収め、静かに背筋を正す。


 シルヴィアもすぐに姿勢を改めた。


 カクタスは小箱を胸の高さで開く。


 中に収められていたのは、金と蒼で象られた聖印。


 勇者家直系の統治権を示す、王国最高位の証である。


 カクタスの声が、役場の壁を震わせた。


「控えおろう!」


 町役人の顔色が紙のように白くなった。


「せ、聖印……!」


 その場にいた町兵たちが、慌てて膝をつく。


 ミツクニは聖印の横に立ち、静かに役人を見下ろした。


「まだ言い逃れをするかの」


「い、いえ……!」


「よろしい」


 ミツクニは頷いた。


「ならば橋の上で集めた銭、町の民に返せる形で吐き出してもらおう」


 役人は力なく床に伏した。


 小さな町の、小さな関所。


 だが、そこで奪われていたものは小さくない。


 人の往来。


 商いの息。


 町が生きるための流れ。


 それを止める罪は、決して軽くはなかった。


     ◇


 その日の夕方、橋のたもとには珍しく人だかりができていた。


 関所の追加徴税は無効。


 違法に上乗せされていた分は、商人たちへの返戻と町の備蓄に回す。


 役場の前でそう布告されると、最初は半信半疑だった者たちも、やがて顔を見合わせ、少しずつ声を上げ始めた。


「本当に……通れるのか?」


「金を取られずに?」


「今夜のうちに橋を渡るぞ!」


 露店の主人が泣きそうな顔で笑っている。


 茶店の主人は、今度は本当に忙しそうに湯を沸かしていた。


 止まっていた町が、少しずつ動き出す。


 その様子を見て、ハチは大はしゃぎだった。


「やったー! じゃあ今のうちに干し肉買う! 今なら普通の値段でしょ!?」


「さっきまで銭をむしられて泣きそうだった奴が、よくそんなに切り替えられるな」


「切り替えの速さが商人の命だもん!」


「命が軽いなあ……」


「軽くないよ!」


 カクタスとハチのやり取りに、シルヴィアは思わず肩を震わせた。


 カクタスがそれを見逃さない。


「何だ、今笑ったか」


「……笑っていません」


「嘘つけ」


「笑っていません」


「ほら主、隊長殿、ちょっとずつ丸くなってきたぜ」


「誰が隊長殿ですか」


 その言い返しが、少しだけ柔らかい。


 ミツクニはそれを見て、ふっと目を細めた。


 シルヴィアはまだ、自分を完全に旅の一員だと思えてはいないのかもしれない。


 だが、笑い方を思い出し始めている。


 それだけでも、悪くない。


 ミツクニは橋の欄干に寄りかかり、先ほどの通達書をもう一度開いた。


 夕陽の中で、その番号が赤く染まる。


 執政代理府徴税強化通達・第三七号。


 これで三度目だった。


 最初の街の悪代官。


 次の町の救援物資。


 そして今度は関所の徴税。


 手口は違う。


 だが、流れは同じところへ向かっている。


「若」


 スケイルが静かに近づく。


「例の番号ですか」


「うむ。綺麗すぎる報告書の裏には、やはり綺麗でない金の流れがあるようじゃ」


 ミツクニは紙を畳んだ。


「橋を絞る。村の救援を売る。次は何を痩せさせるつもりかのう」


「どのみち、ろくなものではありますまい」


「じゃろうな」


 シルヴィアが隣へ来る。


「……ミツクニ様」


「何じゃ?」


「先ほどの通達番号、王都でも見たことのない形式でした。通常の法令通達ではありません。執政代理府の内部命令系統に近いものです」


 ミツクニは小さく頷いた。


「教えてくれて助かる」


「いえ。私も、知っておくべきことを知らなかっただけです」


 その言い方には、まだ少し自責が混じっていた。


 けれど、もう俯いてはいない。


 ミツクニは川面を眺めながら言った。


「知らなかったなら、これから知ればよい。見えなかったなら、これから見ればよい。旅とは、そういうものでもある」


 シルヴィアは一瞬だけ黙り、それから小さく息をついた。


「……はい」


 夕陽が橋を照らしていた。


 本来、橋は人を通すためにある。


 町を生かすためにある。


 ならば、そこに立つ者もまた同じだ。


 人を繋ぎ、守り、先へ通す。


 それが権威であり、法であり、騎士であるはずだった。


「さて」


 ミツクニは踵を返した。


「次の町へ行くとしようかのう。どうやら、まだまだ嗅がねばならぬ臭いがある」


「おーっし! その前に干し肉!」


「まだ言うか、お前は!」


「腹が減っては世直しできないもん!」


「その理屈だけは否定しづらいのが腹立つな……」


 賑やかな声が、橋の上に響く。


 こうして一行は、また次の町へ向かった。


 地方の小さな不正の裏に、もっと大きな濁りが流れていると知りながら。


 旅はまだ、始まったばかりだった。

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