↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
29/30

第二部 第29話 若君の名が歩き出す



 王都を出て、十日が経った。


 街道の先をスケイルとギンが歩き、その後ろにミツクニとシルヴィア。


 ハチは道端の露店を見つけるたびに隊列を外れ、最後尾ではカクタスが大きな荷を背負っている。


 ヤッシュの姿だけは、朝から見えなかった。


「ミツクニさん、あそこあそこ! 干し芋売ってます!」


「まだ昼飯から一刻も経っておらんぞ」


「お腹と時間は別です!」


 ハチが荷物を揺らして走っていく。


 シルヴィアが小さくため息をついた。


「先ほどの町でも同じことを言っていましたね」


「食い物に対する集中力だけは一流じゃのう」


「だけって何ですか!」


 ミツクニは笑った。


 旅は続いている。


 ラウフェルドを成敗してから、二週間ほど。


 王都の後始末を残った者たちへ託し、一行はまた街道へ戻っていた。


 前と変わったことが、一つある。


 名前が、先に歩いている。


     ◇


 街道沿いの休憩所で、老婆が煎餅を売っていた。


 ハチは干し芋を買ったついでに、いつもの調子で話しかける。


「この辺りって、最近どうです?」


「前よりはいいねえ。役人が妙に大人しくなってさ」


「役人が?」


「聖印の若君がこの辺りまで来るって噂があるんだよ。悪い役人を片っ端から懲らしめて歩いてるってね」


 老婆は、しわだらけの顔をほころばせた。


「おかげで、うちみたいな年寄りでも少し安心して商売できるよ」


 ハチが目を丸くする。


「聖印の若君って、もしかして――」


「ほっほっ」


 ミツクニが穏やかに遮った。


「それは良かったですな」


 老婆へ軽く頭を下げ、一行は歩き出す。


 カクタスが胸を張った。


「そうだろうそうだろう、うちの主は――」


「うむ。噂というのは、歩くのが早いのう」


「お、おう」


 少し拍子を外された顔をしながらも、カクタスは満足そうだった。


 隣を歩くシルヴィアだけが、ミツクニの横顔を見ていた。


 嬉しそうでもない。


 困っているようでもない。


 ただ、考えている。


     ◇


 昼前、一行は街道沿いの町へ入った。


 市場では、布屋の商人が仲間へ声を潜めていた。


「聖印の若君が来る前に、権利書だけは整理しとかないとな。変なところを突かれたら面倒だ」


 道端では、農民の老人が鼻を鳴らす。


「来てくれても、うちみたいな外れの村までは来ないさ。遠い話だよ」


 宿へ入れば、主人がミツクニを見るなり目を輝かせた。


「もしかしてミツクニ様ですか! ちょうどよかった! うちの町にも困った役人がおりまして、ぜひひとつ――」


「まずは部屋を借りたい。飯も頼む」


「あっ、はい!」


 主人は慌てて頭を下げた。


 荷を置くなり、ハチが首を傾げる。


「みんな、ミツクニさんに会ったこともないのに」


 シルヴィアがミツクニを見る。


「名前が、先に歩いていますね」


「うむ」


 ミツクニは苦笑した。


「ならば追いつかねばならん」


「名前に?」


「名前に、恥をかかせぬようにな」


     ◇


 昼過ぎ。


 市場を見に行っていたハチが、小走りで戻ってきた。


「ミツクニさん。なんか変です」


「ほう」


「この市場、最近やたら摘発が増えてるんですって。ちゃんと証文を持ってても連れていかれた人がいるって」


「摘発された者の数が増えた、と」


「はい」


 ミツクニが目を細めた。


「誰かが急に働き者になったようじゃな」


「いいことじゃないんですか?」


「真面目に働いた結果ならのう」


 ちょうどその時、市場の向こうが騒がしくなった。


 人だかりができている。


 一行が近づくと、役人たちが若い行商人を囲んでいた。


「この品物、出所が怪しい。不正商売の疑いがある」


「違います! ちゃんと仕入れ先の証文があります!」


「それはこちらで確認する。それまで来てもらう」


「だから、その証文を見てください!」


 二十代ほどの若い男だった。


 荷車には布と薬草。


 差し出した紙を、役人はまともに受け取ろうともしない。


 ミツクニは人だかりの外から見ていた。


 証文を調べない。


 事情も聞かない。


 とにかく捕らえることだけを急いでいる。


 そして役人たちの少し後ろ。


 油で髪を撫でつけた、痩せた中年の男が立っていた。


 妙に新しい官服。


 腕を組み、顎で役人を急かしている。


 ミツクニの視線が止まった。


「スケイル」


「見えています」


 すでにスケイルは動いていた。


 役人の前へ出る。


「その証文、拝見してよろしいですか」


「何者だ、貴様」


「通りすがりです」


「関係ない者は引っ込んでいろ!」


「なら、確認すれば済む話でしょう」


 役人が言葉に詰まった。


 若い商人から証文を受け取り、スケイルが一読する。


「仕入れ先。日付。品目。商人印」


 紙から目を上げた。


「問題ありません」


 役人の顔色が変わる。


 後ろの男が、舌打ちをした。


「おぬし」


 ミツクニが男を見る。


「この者たちの上役かの」


「……市場監督官のベゼルだ」


「最近、随分と摘発に励んでおるそうじゃな」


「治安維持に力を入れているだけだ」


「証文を見ずにか?」


「多少の手違いはある」


「ほう」


 ミツクニは若い商人を見る。


 怯えた顔。


 次に役人たちを見る。


 彼らもまた、ベゼルの顔色ばかり窺っていた。


「摘発の数を増やせと命じたのは、おぬしか」


「成果を出せとは言った」


「成果」


「当然だろう。聖印の若君がこの地方へ来ているという。悪徳商人を放置していたと知られれば、こちらの立場が悪くなる」


 そこまで言って、ベゼルは口を止めた。


 ハチが「あ」と声を漏らした。


「なるほどのう」


 ミツクニが静かに言う。


「わしが来るから、働いたのじゃな」


「違う! 私は町のために――」


「町のためなら、まず証文を見る」


 ミツクニの声は穏やかだった。


「悪を捕らえるなら、悪かどうかを確かめる」


「……」


「数を増やすために、罪なき者を罪人に仕立てる。それは取り締まりではない」


 一拍置く。


「数合わせじゃ」


 市場が静まり返った。


「き、貴様……さっきから何様のつもりだ!」


 カクタスが一歩前へ出た。


 腰に下げた黒と金の小箱を、大きな手で取り上げる。


 ミツクニの横へ立ち、高く掲げた。


「控えおろう!」


 腹の底まで響く声が、市場を打った。


「この方こそ勇者家正統継承者、ミツクニ様である!」


 ざわめきが消える。


「この聖印が、目に入らぬか!」


 黒と金の聖印を目にした役人たちが、一斉に顔色を失った。


「ま……まさか……」


「そのまさかじゃ」


 ミツクニはベゼルを見る。


「市場監督官ベゼル」


「は、はい……」


「今月の摘発記録を、すべて再調査せよ。不当に拘束された者がおれば、ただちに解放する」


「……はい」


「おぬしは調査が終わるまで職務停止。この件は地方院と王都の監察へ送る」


「そ、そんな……」


「功を焦る気持ちは、分からぬでもない」


 ミツクニの声が少し低くなる。


「じゃが、おぬしの功績の一行のために、一人の人生へ罪人の名を刻んでよい理由にはならぬ」


 ベゼルは何も言えず、その場に膝をついた。


 カクタスは聖印を静かに腰へ戻す。


 若い行商人が、何度も頭を下げた。


「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます」


「礼には及ばん」


 ミツクニは笑う。


「じゃが、証文はこれからも肌身離さず持っておれ」


「はい!」


「世の中、おぬしのような正直者ばかりではないからのう」


「はい!」


 若者は荷車を引き、何度も振り返りながら去っていった。


 ハチが目を輝かせる。


「やっぱりカクタスさんの『控えおろう!』、気持ちいいですね!」


「だろう!」


 カクタスが胸を張った。


「腹から出すのがコツだ!」


「そこなんですか?」


「そこだ!」


 スケイルの口元が、ほんのわずかに緩んだ。


     ◇


 夜。


 宿の食堂へ降りると、隅の席に男がいた。


 灰色の髪。


 渋い目元。


 酒の杯を片手に、いつからそこにいたのか分からない顔で座っている。


 ヤッシュだった。


「遅かったな」


「朝から姿が見えぬと思うておった」


 ミツクニは向かいへ座った。


「どこにおった」


「三日ほど先まで見てきた」


「先回りしすぎじゃ」


「仕事だからな」


 ミツクニは茶を頼む。


「で、何を拾った」


「あんたの名前の広まり方がおかしい」


「ほう」


「自然な噂は、もっとばらつく。人から人へ渡るうちに話は変わるし、町ごとに言い方も違う」


 ヤッシュが杯を置いた。


「ところが、この街道沿いじゃどこへ行っても同じだ」


「何と」


「『聖印の若君が、悪徳役人を裁いて回っている』」


 ミツクニは茶を一口飲んだ。


「間違ってはおらんようにも聞こえるが」


「だから厄介なんだよ」


 ヤッシュの目が鋭くなる。


「噂の流れが綺麗すぎる」


 ミツクニの手が止まった。


「誰かが整えて流しておる、と」


「その可能性が高い」


「何のために」


「そこまではまだ分からん」


 ヤッシュは肩をすくめた。


「それと、今日のベゼルも気になる」


「誰かに焚きつけられたか」


「かもしれん。ああいう奴は、昨日まで怠けていたのに突然正義に目覚めたりはしねえ」


「調べられるか」


「そのために先を歩いてる」


 ヤッシュは残った酒を飲み干し、立ち上がった。


「次の町を見てくる」


「もう行くのか」


「俺が一緒にぞろぞろ歩いてどうする」


「それもそうじゃな」


 ヤッシュは出口へ向かう。


「あんたの旅、また面倒な方向へ行きそうだな」


「面倒でないと、旅ではないじゃろう」


 ヤッシュが足を止めた。


「……あんた、ずいぶん年寄り臭いこと言うよな」


「前からじゃろう」


「見た目と中身が合ってねえんだよ」


「そうかのう」


「自覚なしか」


 呆れたように鼻を鳴らし、ヤッシュは宿を出ていった。


     ◇


 しばらくして、ミツクニも外へ出た。


 夜の街道は静かだった。


 この先にも町がある。


 村がある。


 まだ顔も知らぬ人々がいる。


 そして、そのどこかを。


 自分の名前だけが、もう先に歩いている。


 ミツクニは街道の先を見た。


「では」


 小さく笑う。


「追いつくとするかのう」


 若君の名は、すでに歩き出していた。


【第二部 第29話 了】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。