表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/28

第24話「狐と灰色の男」


 王都の夜は、明るいくせに暗い。


 大通りは灯りが落ちず、人も馬車もまだ動いている。酒場の笑い声、楽団の音、夜店の呼び込み、馬蹄の響き。昼間とは違う顔をした都が、夜の上にもう一枚、薄い化粧を重ねている。


 だが、本当に大事な話は、たいていその華やかな明かりの外へ引っ込んでいく。


 王都の悪は、人目を避けるのが上手い。


「嫌いなのよねえ、この感じ」


 石壁の影に背を預け、ギンが小さく言った。


 今夜の彼女は、黒に近い装いをしている。布地は目立たず、装飾も少ない。だが目立たぬ格好をしても、立ち姿まで消えるわけではなかった。


 月の薄い夜でも、彼女がそこにいると分かる者には分かる。


「嫌いなくせに、よく馴染むな」


 ヤッシュが返した。


 灰色の外套を肩へ引っかけたまま、男は通りの向こうを見ている。


 年食った情報屋の顔だ。


 気怠そうで、眠そうで、だが目だけは起きている。


 いつも通りの顔である。


「褒めてる?」


「事実を言ってる」


「おじさんのそういうとこ、ほんと可愛げないわね」


「狐に可愛げを求める趣味はねえよ」


 ギンは肩をすくめた。


 今夜、二人が張っているのは、中央区と貴族街の境目にある一角だった。


 表向きは、高級仕立て屋と輸入香料商が並ぶ通り。


 その裏に、金鶸商会の裏勘定所がある。


 帳簿の上では別会社の顔をしているが、流れる金は叔父派と同じ川に注いでいる。ヤッシュが二日かけて突き止めた場所だ。


「本当にここで合ってるの?」


「合ってる」


「断言するのね」


「昼に入った荷の封が、執政代理府の私印付きだった」


「うわ、露骨」


「王都は、露骨なことを露骨に見せないのが上手いだけだ」


 今夜の狙いは、金だ。


 いや、正確には、金の流れ。


 聖印を“保護”の顔で封じるなら、そのための礼式も、警備も、奉安庫も、全部ただでは動かない。


 神官は祈りだけで働かず、儀礼院の役人は空気だけで判を押さず、護衛の再編にも金がいる。


 叔父派が王都の制度を使うなら、必ずどこかに、その制度を動かすための裏勘定がある。


 そこを断てば、表の礼式は足をもつれさせる。


「じゃ、いつものように行く?」


「いつものって何だ」


「私が前で笑って、おじさんが後ろで嫌な帳簿を拾う」


「雑すぎる」


「でも間違ってないでしょ?」


「……まあな」


 ヤッシュは短く吐き、通りの端に停まった一台の馬車を顎で示した。


「来たぞ」


 黒塗りの小振りな馬車だった。


 紋章はない。


 だが、御者台の男も、降りてきた男も、街の商人というには足元がきれいすぎる。


 後者は細身の中年で、髭を整え、指には印章指輪をひとつだけつけていた。


「会計方の顔ね」


「だな」


「じゃあ、私は右から」


「俺は裏口」


「十五数えたら入って」


「十で十分だ」


「せっかち」


「年寄りは待つのが嫌いなんだよ」


「そういうとこだけ元気なのよねえ」


 ギンは笑って、すっと夜へ溶けた。


     ◇


 表口の帳場は、昼間とはまるで違う顔をしていた。


 昼は高級香料商。


 夜は金の匂いがする小部屋。


 香の棚は飾りで、実際に人が集まるのは奥の応接室らしい。灯りは絞られ、給仕は最低限。出入りするのは、互いの顔を知っている者ばかりだ。


 ギンは表の扉からではなく、二軒隣の空いた軒先から滑り込んだ。


 上等な女が、少しだけ道に迷ったような顔をして高級街へ紛れ込んでくる。


 王都では別に珍しくない。


 珍しくないから通るのだ。


「まあ」


 ちょうど帳場から出てきた細身の会計役が、足を止めた。


「こんな時間に、お一人で?」


「いけなかったかしら」


 ギンは、肩を少しだけ傾ける。


 声は甘い。


 だが、媚びてはいない。


 相手に“自分から拾わせる”角度の声だ。


 男は笑みを作った。


 慣れている顔だ。


 女を、秘密を、金を、それぞれ別の箱へ入れて扱うことに慣れた顔。


「もちろん、いけなくはありません。ただ、この辺りは夜になると退屈でしてね」


「退屈、ねえ」


「ええ。香の話か、帳簿の話か、あるいは権威の話ばかりだ」


 ギンはくすりと笑った。


「それ、ぜんぶつまらなそう」


「そうでしょう?」


「でも、つまらない話ほど高くつくのよね」


「よくご存じだ」


 男が、自然に扉の方へ体を開く。


「少し休んでいかれますか」


「どうしようかしら」


「香りの試しもありますよ。退屈を忘れるくらいには」


 ギンは、ほんの一瞬だけ逡巡したふりをしてみせた。


「じゃあ、少しだけ」


 扉が閉まる。


 応接室の奥では、先ほどの黒塗りの馬車から降りた男が、すでに座っていた。


 卓には酒、蝋燭、帳簿。


 やはり香料商の夜の客ではない。


 金の客だ。


 ギンはその顔を見て、内心だけで舌を鳴らした。


 見覚えがある。


 白梟亭で叔父派の側近筆頭ローデルと短く言葉を交わしていた男だ。


 金鶸商会の番頭格。


 いや、番頭より少し上。


 帳簿の元締めに近い。


「これはこれは」


 男が杯を置いた。


「夜に珍しい華が入ったものだ」


「華、ですって」


「ええ。こちらは数字ばかり見ておりますので」


「私は数字は苦手よ」


「それは残念だ」


 男は笑った。


 だが、目は笑っていない。


 ギンは椅子へ腰を下ろしながら、室内を流し見る。


 帳簿は三冊。


 ひとつは商会の表帳簿。


 ひとつは支払記録。


 もうひとつは、綴じが違う。


 革装で、端に小さな金具がついている。


 あれが本命だ。


「苦手だけど」


 ギンはわざと、金具付きの帳簿へ目をやらずに言った。


「数字に追われてる男の顔を見るのは嫌いじゃないわ」


「ほう」


「だって、たいてい秘密を抱えてるもの」


「それは女も同じでは?」


「そうかしら」


「ええ。秘密のない美人など、香りの飛んだ酒みたいなものです」


「上手いこと言うのね」


「仕事柄です」


 ギンは、そこで少しだけ笑みを深くした。


 仕事柄。


 今の言葉は本音だろう。


 この手の男は、女を“仕事の一種”として扱う。


 感情ではなく、場を滑らせる道具として。


 だからこそ崩しやすい。


「だったら、少しだけ仕事を忘れさせて」


「それは難しいお願いだ」


「じゃあ、忘れないままでいいわ」


「ほう」


「秘密の近くで飲む酒って、きっと美味しいから」


 男の目が、そこでほんの少しだけ揺れた。


 卓の下で、ギンの指先は静かに動いている。


 椅子の位置。


 蝋燭の角度。


 帳簿までの距離。


 扉まで三歩。


 窓まで五歩。


 裏手へ抜ける扉はない。


 なら、回収は長居せず一度きりだ。


     ◇


 その頃、ヤッシュは裏口から中へ入っていた。


 表でギンが笑っている間、裏では音のしない時間が必要になる。


 裏手の小門は、鍵こそかかっていたが、人の出入りが多いらしく留め具が甘い。ヤッシュは鍵を壊さない。針金も使わない。


 こういう場所は、壊した跡より“開けたことに気づかれない開け方”の方が大事だ。


 中は狭い通路で、香の匂いより先に紙と革の匂いがした。


 帳場へ続く小部屋。


 保管棚。


 そして奥に、もうひとつ扉。


 その扉の前に、見張りが一人いた。


 若い。


 剣はそこそこ。


 だが、立ち方が商会の者ではない。


 叔父派の私兵あがりだろう。


 目線の置き方が“守る”より“見逃さない”に寄っている。


 ヤッシュは通路の影に身体を溶かしたまま、小石を一つだけ投げた。


 からん、と遠くで音がする。


 若い見張りがそちらへ顔を向ける。


 足音ひとつ分だけ、重心が動く。


 それで十分だった。


 ヤッシュは影から滑り出て、相手の口を塞ぎ、膝裏を払う。


 短く落ちた身体を壁で受け、気絶させる音すら立てない。


 若い見張りは、そのまま崩れた。


「寝てろ」


 低く吐いて、扉を開ける。


 中は思っていたより小さい。


 だが、金の匂いは濃かった。


 棚に革箱。


 引き出しに封蝋。


 奥の壁際には小型金庫。


 表の香料商が扱う量ではない。


 しかも箱には、金鶸商会だけでなく、儀礼院の省印、監察局補助印、大聖堂補給係の印まで混じっている。


「……やっぱりな」


 ヤッシュは鼻を鳴らした。


 ひとつの商会が流しているのではない。


 王都の幾つもの“きれいな組織”が、裏勘定では同じ箱へ金を落としている。


 引き出しを順に開く。


 支払票。


 移送費。


 警備増強費。


 礼式準備費。


 封印立会手当。


 聖印封印の話は、まだ表では“相談”の顔をしていた。


 だが裏ではもう、礼式と警備の金が走っている。


 金は正直だ。


 決まっていないことのためには、ここまで綺麗に流れない。


 その時、奥の金庫の上に置かれた木札へ目が止まった。


 第一庫へ送付済み。原本・裏帳簿は私設金庫にて管理。


 ヤッシュの目が細くなる。


 私設金庫。


 王都の役所でも、儀礼院でも、大聖堂でもない。


 個人の金庫だ。


 叔父派の“本当にまずいもの”は、ここにはない。


 だが、その場所へ繋がる糸ならある。


 ヤッシュは木札ごと懐へ入れ、金庫の蓋を調べる。


 こじ開ける気はない。


 時間が足りないし、開けた痕が残る。


 必要なのは中身そのものではなく、どこへ流れたかだ。


 引き出しの二段目に、綴じ糸の違う帳面を見つける。


 開く。


 そこには、地方ごとの項目が並んでいた。


 橋。


 徴発。


 救援物資。


 薬。


 監査停止。


 各案件の横に、数字と略号。


 叔父派が地方腐敗を“案件”として束ね、そこから得た金の流れをまとめた裏帳簿の写しだ。


 だが写しは途中までで切れている。


 最後の頁にだけ、こうある。


 詳細証憑および元帳は、執政代理様私設金庫に移管済み。


「当たりか」


 ヤッシュは帳面を閉じた。


 足音がする。


 表の応接室だ。


 誰かが立った。


 ギンの時間切れだった。


     ◇


 ギンは、男の笑顔が少し変わった瞬間に気づいていた。


 酒が一巡し、会話が二巡し、相手が“この女はただの遊び相手ではないかもしれない”と考え始める、その前触れの顔だ。


「君は、どこで私の名を聞いたのかな」


 柔らかい声だった。


 だが、目の底が冷えている。


 ギンは杯を回したまま、軽く肩をすくめた。


「名? 言ったかしら」


「言わなくても、知っている顔をしていた」


「そう見えた?」


「ええ」


「じゃあ、そういう顔が上手いのかも」


「上手い女は嫌いじゃない」


「私は嫌いよ。男が勘づくの」


 笑いながらも、背中の筋肉はもう動き出している。


 男は卓の金具付き帳簿へ手を伸ばしかけた。


 合図を出すつもりだ。


 その瞬間、応接室の裏手で小さく物音がした。


 ギンはわざとそちらを見る。


「何かしら」


「……風でしょう」


 男はそう言ったが、視線はもう扉へ向いている。


 そこでギンは立った。


「じゃあ、私はそろそろ」


「いや、まだ」


「十分遊んだわ」


「君は、ここがどこか分かっているのかな」


 声の温度が一段下がる。


 ギンはにっこり笑った。


「退屈な男が、退屈な帳簿の横で、退屈を隠してる部屋でしょ?」


「……」


「当たり?」


 男が立つ。


 同時に、表扉の向こうで足音。


 二人。


 遅い。


 もう十分だ。


 ギンは杯を卓へ倒した。


 酒が革装の帳簿へ広がる。


 男の意識がそちらへ飛ぶ、一瞬。


 その一瞬で、ギンの指が金具付き帳簿をさらう。


「っ、おい!」


「それ、面白そうだったから」


 椅子を蹴り、横へ流れ、扉ではなく窓へ向かう。


 帳場女のふりはここまでだ。


 途中で入ってきた男の腕を袖で絡めて勢いを殺し、その肩を踏み台にする。


 窓の桟を蹴破って外へ出たところへ、ちょうどヤッシュが裏手の影から現れた。


「遅い」


「お互い様でしょ」


 ギンは帳簿を投げる。


 ヤッシュが受ける。


「当たり」


「こっちもだ」


「だったら走るわよ」


「もう走ってる」


 背後で怒号。


 窓から人影。


 夜の通りへ、二つの影が散った。


     ◇


 追っ手は早かった。


 王都の商会裏手は、地方の路地より複雑だ。


 だが、追う側もそれを知っている。


 表通りへ出れば終わり。


 だから、ギンとヤッシュはわざと人の少ない裏道ではなく、夜更けの市場通りへ突っ込んだ。


 灯り。


 残飯。


 酒臭い声。


 遅い荷。


 半端に起きた王都の雑音。


 追うには邪魔で、逃げるには使える。


「右」


「見えてる」


「尾、三」


「一人は遅い。落とせる」


「任せた」


 ギンが左へ流れ、ヤッシュがわざと歩幅を緩める。


 追ってきた若い警備が距離を詰めた瞬間、ヤッシュは振り向きもせず足を払った。


 路地の水桶へ頭から突っ込んだ男の悲鳴が、短く上がる。


 残り二人。


「趣味悪いわね」


「仕事だ」


「おじさんのそういうとこ、嫌いじゃない」


「知ってる」


 市場通りを抜け、古書店脇の細路地へ入る。


 そこはもう、ヤッシュが押さえていた逃げ道だ。


 曲がり角が二つ。


 低い塀がひとつ。


 最後は荷車置き場へ抜ける。


 だが最後の曲がり角で、前方にも影が現れた。


「挟まれたわね」


「うむ」


 ヤッシュの声は、低いまま落ち着いている。


 前に二人。


 後ろに二人。


 どちらも剣ではなく短棍。


 殺す気ではない。


 捕縛の手だ。


「帳簿だけ置いていけば、穏便に済ませる」


 前の男が言う。


 ギンが笑った。


「その“穏便”って言葉、飽きるのよね」


「置いていけ」


「いやよ」


「では――」


 そこで、屋根の上から小石がひとつ落ちた。


 からり。


 全員の目が一瞬だけ上へ向く。


 その隙を、ギンは逃さない。


「今!」


 前へ半歩。


 笑っていた顔が、刃物の顔に変わる。


 袖から出た細刃が相手の短棍を絡め取り、手首の角度だけで軌道を折る。


 同時にヤッシュが左の男の膝へ蹴りを入れ、体を崩した。


 屋根から降ってきたのは、スケイルだった。


 屋根から降りたスケイルは、追っ手を一人沈めただけで止まらなかった。


 残った男が懐へ手を入れる。


 合図笛か、短い投げ刃か。


 どちらでも構わない。


 スケイルの実剣の鞘が、男の手首へぴたりと当たった。


「それは不要です」


 静かな声だった。


 だが、その距離では逆らえない。


 男は動けなくなった。


 次の瞬間、逃げようとしたもう一人の足元へ、スケイルの剣先が滑り込む。斬らない。転ばせるだけ。だが、最も嫌な角度で重心を奪う。


 男は派手に倒れ、カクタスに襟首を掴まれた。


「お前、相変わらず地味にえげつねえな」


「斬っていませんよ」


「斬らない方が怖え時もあるんだよ」


 ギンが帳簿を抱え直しながら笑った。


「逃げ道、全部消したわね」


「逃げられると面倒なので」


「そういうところ、ほんと仕事が早い」


 スケイルは表情を変えずに答えた。


「若の手間を増やしたくありません」


 その一言だけは、いつもより少しだけ本音に聞こえた。


 ヤッシュが鼻を鳴らす。


「忠義者だな」


「事実を言っただけです」


「可愛げのない若者だな」


 音もなく一人を沈め、カクタスが曲がり角の先から現れて、もう一人の首根っこを掴む。


「捕まえた」


「だから静かにしろ」


「今のは小声だろ!」


 ギンは息を整え、肩をすくめた。


「助かったわ」


「予定より遅い」


「女を待たせないでって教わらなかった?」


「そんな上品な教育は受けてねえ」


「でしょうね」


 ヤッシュは、もう帳簿を開いていた。


「戻るぞ。今のうちに見る」


「うむ」


 スケイルが短く頷く。


 古書店裏の倉へ戻る間、誰も余計なことは言わなかった。


 今夜の獲物は、軽口より先に読むべき類のものだと、全員が分かっていた。


     ◇


 古書店裏倉の灯りの下で、帳簿が開かれる。


 ギンが奪ってきた金具付き帳簿。


 ヤッシュが引き抜いた写し帳。


 木札。


 送付記録。


 私印。


 略号。


「……うわあ」


 ハチならたぶんそう言っただろう。


 今ここにいないのが少し惜しいくらい、露骨な中身だった。


 支出項目は整っている。


 儀礼準備費。


 奉安警備費。


 監察局調整費。


 神殿奉納補填金。


 地方官慰労金。


 緊急差込口止め料。


 そして、その全部の最後に、略号ではなく手書きの記載がある。


 聖印奉安後、第二段移行。


 地方監察権再整理、順次実行。


 不安定要素一覧、私設金庫元帳参照。


 シルヴィアの声が、かすかに震える。


「……もう、前提になっている」


「うむ」


 ミツクニは静かに頷いた。


「わしが承知する前に、封印の後まで帳簿がついておる」


「帳簿だけじゃないわ」


 ギンは、別紙を机へ置いた。


 そこには地方名が並んでいた。


 橋の町。


 宿場町。


 病の村。


 帰れなかった村。


 火事の川港。


 その他、まだ見ぬ地名。


「地方腐敗の一覧……」


「ええ。今まで拾ったのは、ここのごく一部ってこと」


 ヤッシュが木札を指で叩く。


「で、本物の証憑は私設金庫。叔父様の腹の底だ」


「うむ」


 ミツクニの目が、静かに細くなる。


「ようやく、王都のどこを踏めば一番よく響くか分かってきたのう」


「私設金庫、ですか」


「ええ」


 シルヴィアは帳簿から顔を上げる。


「そこに地方腐敗の証拠が揃っているなら、叔父派の綺麗な顔は一気に剥がれます」


「ただし、正面から行ける場所じゃないわね」


「当然だろ」


「おじさん、その言い方、夢がない」


「夢じゃなく仕事だ」


 ミツクニは、小箱へ手を置いたまま少し考えた。


「聖印を礼式で封じる。地方の腐敗を帳簿で回す。叔父上、ずいぶんと整ったお仕事ぶりじゃ」


「褒めてる場合?」


「褒めてはおらぬよ」


「今の言い方、半分くらい褒めてたわ」


「評価じゃ」


「それ、一番嫌なやつ」


 だが、次の瞬間には皆、また帳簿へ目を戻していた。


 ここまで来れば、もう勘ではない。


 叔父派は地方の腐敗を“案件”として管理し、その利益と統制を王都で帳簿に乗せている。


 聖印封印もその一部。


 ならば、私設金庫は単なる金庫ではない。


 叔父の本音が入っている場所だ。


「では」


 ミツクニが静かに言う。


「次は、叔父上の金庫を開ける算段をつけるとしようかのう」


 夜は深い。


 だが、もう闇の形はかなり見えてきた。


 狐と灰色の男が裏で引き剥がした帳簿の紙は、叔父の足場を確かに一枚削っていた。


 総力戦の手応えが、ようやく王都の底へ届き始めている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ