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第13話「古い遺物」

 


 地方の道は、王都へ近づくほど綺麗になる。


 石畳は途切れず、街道脇の溝も丁寧に掘られ、宿場の看板はどれも読みやすい。荷馬車の車輪は跳ねず、馬も人も無駄に疲れない。


 金と手間がかかっている道だった。


 だが、その整い方がそのまま善政を意味するわけではないことを、ミツクニたちはもう知っている。


「道は立派なんだけどねえ」


 ハチが荷車の上で頬杖をついた。


「最近、“立派”って言葉が信用ならなくなってきた」


「良い勉強じゃ」


「全然うれしくない勉強だよ!」


 カクタスが豪快に笑う。


 その横で、シルヴィアは馬上の姿勢を崩さず、前方の町を見ていた。


 次に入るのは、王都近郊の中継都市アスベル。


 地方から上がってくる物資、人、書状が一度そこで整理され、王都へ向かう。


 言ってしまえば、地方の現実が王都向けの顔に整えられる場所でもある。


 ヤッシュが道端の標石を見て、低く言った。


「ここから先は、言葉も服も綺麗になるぞ」


「嫌な予告ですね」


「褒め言葉じゃねえよ、騎士殿」


「分かっています」


 ギンは頭巾のつばを指で持ち上げ、遠くに見える町壁を眺める。


「綺麗なところほど、裏路地も綺麗に掃除されてるのよね。血も泥も、見えないところに押し込めるのが上手いから」


「押し込められた方は、たまったものではないのう」


「そういうのを効率化って呼ぶんでしょ?」


「便利な言葉じゃ」


 ミツクニは苦笑した。


 言葉が綺麗になる。


 それはつまり、やっていることの汚さを直接言わずに済むようになるということでもある。


     ◇


 アスベルの町は、地方の宿場とは空気が違った。


 通りは賑わっている。人も多い。商人も、役人も、学者風の者もいる。服の質も一段上で、看板の字体まで洗練されている。


 地方で見た痩せた活気ではなく、ちゃんと金の回っている町の顔だった。


 だが、町の中央広場に立てられた仮設壇を見た瞬間、ミツクニは目を細めた。


「ほう」


 壇上では、青い外套を着た役人が、通行人へ向けて何かを演説している。


 背後には町役場の紋章と、王都監察局の旗。


 そしてもうひとつ、見覚えのある印。


 執政代理府の協力章だった。


「何やってるんだろ」


 ハチが首をかしげる。


 シルヴィアは、演台脇に掲げられた布札を読んだ。


「……新時代の統治改革に関する公開説明会」


「嫌な題じゃのう」


「ええ。嫌な題です」


 ちょうどその時、壇上の役人がよく通る声で言った。


「――ゆえに、我々は古い象徴に頼った場当たり的統治を改め、より透明で、より合理的で、より近代的な行政機構へ移行せねばなりません!」


 広場の一部から、ぱらぱらと拍手が起こる。


 町の役人、帳簿係、仕立ての良い商人たち。


 要するに、この改革で困らぬ側の人間だ。


 ミツクニは壇を見上げたまま言った。


「ほう。ようやく、そういう顔で出してきたか」


「古い象徴って……まさか」


「うむ。聖印のことじゃろうな」


 シルヴィアの表情が硬くなる。


 壇上の役人は、どこか得意げだった。


 いかにも、遅れた地方へ正しい知識を届けに来た、という顔だ。


「王都は今、変わろうとしています! 個人の権威ではなく、制度によって支えられる国へ! 血統や象徴に過度に依存せず、法と機構によって安定する行政へ!」


 ギンが小さく吹き出した。


「言い方だけは立派」


「意味は最悪じゃがな」


 ヤッシュが低く言った。


「権威を削って、手続きを握る連中が笑うだけだ」


「うむ。いつの世も変わらぬ」


 ミツクニはそう言いながら、壇の周囲に立つ役人たちを眺めた。


 皆、きちんとした服を着ている。


 記録係もいる。


 配布用の説明冊子まで積まれている。


 雑ではない。


 地方の小悪党より、ずっと厄介だった。


     ◇


 一行は広場の端へ移動し、配布されていた冊子を受け取った。


 表紙には、やたらと上品な文字でこう書かれている。


 行政合理化試案。

 統治の透明性向上と権限の適正配分について。


「うわ、読む前から眠くなる」


「ハチ」


「だって本当に眠くなる字してるよ!?」


「字に罪はありません」


「内容にありそう」


「それはまあ、そうじゃな」


 ミツクニは冊子をぱらりとめくった。


 項目はどれももっともらしい。


 臨時監察権の濫用防止。

 権限の明文化。

 地方行政の安定化。

 王都照会手続きの標準化。

 意思決定の透明化。


 言葉だけ見れば、反対しづらい。


 だが、読むほどに意図は明らかだった。


 聖印による臨時監察は、まず王都監察局の事前確認を必要とする。


 地方官への即時命令権は停止。


 高官任免に関わる伝統的権威は、今後は儀礼上の尊重に留める。


 すなわち。


「飾りに戻れ、ということじゃな」


 ミツクニが冊子を閉じる。


 シルヴィアも別の頁を見て顔をしかめた。


「ひどい」


「何がですか」


 スケイルが問う。


「権威の整理ではありません。責任の流れを全部、王都監察局と執政代理府に集めている。しかも濫用防止を名目にして」


「つまり、今後は何か起きても、手続き中でした、で止められるわけだ」


「ええ。助けを急げなくなる」


「橋の通行税も、徴発も、薬の横流しも、全部やりやすくなるのう」


 ミツクニの声には、乾いた笑いが混じっていた。


 そこで、演説を終えた役人が壇を下りてきた。


 年は三十そこそこ。姿勢がよく、いかにも優秀そうな顔をしている。こちらに気づくと、営業用の笑みを浮かべた。


「説明会へご興味を?」


「いや、なかなか面白い読み物でのう」


 ミツクニが冊子を持ち上げる。


「どこまで国を軽くできるか、よい工夫が詰まっておる」


「おや」


 役人は笑みを崩さない。


「これは軽くする話ではなく、健全化の話です」


「健全化、とな」


「ええ。古い権威に依存した例外運用を減らし、制度によって公平を担保する。王都はその段階へ進んでいるのです」


「例外運用、か」


「たとえば聖印のようなものですね」


 役人は、まるで天気の話でもするように言った。


「歴史的価値は認めます。ですが、あれに過度な権限が残っているのは危うい。時に情緒が制度を歪めますから」


「ほう。情緒」


「困窮する村を見て心を動かされるとか、理不尽な話に憤るとか、そういったその場の感情で行政が動くのは望ましくありません」


 シルヴィアの目つきが変わる。


 だが、ミツクニが先に口を開いた。


「それで?」


「法と機構は、感情よりも信頼できます」


「誰にとってじゃ」


「国全体にとってです」


 役人の返答は淀みがない。


 よく訓練されている。


「地方ごとの感情で権限が振り回されれば、国は安定しません。必要なのは、誰が見ても同じように回る仕組みです」


「誰が見ても、か」


「ええ」


「では、橋の通行税も、徴発も、薬の横流しも、誰が見ても同じように回る仕組みにしておけば、国は安定するわけじゃな」


 役人の笑みが、一拍だけ止まった。


 ギンが横で面白そうに目を細める。


 ヤッシュは何も言わず、ただ相手の顔を見ていた。


「……極端な例ですね」


「極端ではない。わしらはもう見てきたからのう」


「地方には一時的な混乱もあります」


「便利な言葉じゃ。一時的も、混乱も」


「若君」


 役人はそこで、ようやくその呼び方をした。


「地方巡察で何をご覧になったかは存じません。ですが、国を回すには、感情を切り離さなければならない場面があるのです」


「切り離して、誰が笑う」


「笑う、ではなく、整えるのです」


「同じことじゃよ」


 ミツクニは柔らかく笑った。


「切り離された側には、どちらもよう似て見える」


 役人はそれでも外面を崩さなかった。


 だが、この場では言い負かせぬと悟ったのだろう。会釈だけして去ろうとする。


 その背へ、シルヴィアが声を投げた。


「ひとつだけ」


 役人が振り返る。


「あなた方の言う公平は、間に合わなかった者の死を、誰が引き受けるのですか」


 広場の空気が、少しだけ止まった。


 役人は彼女を見た。


 銀髪の女騎士。


 地方風の鎧。


 若君の横に立つ者。


「制度に完全はありません」


「では、完全でない制度に切られた者は」


「……」


「誰が、その名を覚えておくのですか」


 役人は答えなかった。


 答えずに、ただ一礼して去った。


 その後ろ姿を見送りながら、ハチが小さく言う。


「今の、ちょっと勝ってた?」


「うむ。かなり勝っておった」


「やった」


「何でおぬしが誇らしげなんですか」


「仲間だから!」


 シルヴィアは、少しだけ肩の力を抜いた。


     ◇


 夕方、宿へ戻ると、ギンが一枚の小紙を机へ放った。


「聞いてきたわよ。さっきの役人たち、今夜もう一件、貴族向けに説明会をやるって」


「貴族向け?」


「ええ。改革案への賛同集め。要は根回しね」


「場所は」


「議会倶楽部。町役場の裏手。酒と軽食つきの上等なやつ」


 ハチが目を輝かせる。


「軽食!?」


「お前は黙ってろ」


 ヤッシュが即座に言った。


「何で!?」


「目が軽食しか見てねえからだ」


「見えてるよ! お酒もある!」


「余計悪いわ」


 ギンが笑う。


 ヤッシュは壁にもたれたまま続けた。


「そこに出る名前を拾えりゃ十分だ。叔父派の官僚、監察局、商会、神殿、どこまで繋がってるか分かる」


「なら潜るかのう」


「俺は外から見る」


「私は中に入った方がいいわね」


 ギンが当然のように言う。


 シルヴィアは一瞬だけギンを見た。裏市場での彼女の立ち回りが頭をよぎる。


 ギンはその視線に気づき、にやりとした。


「何、その顔」


「……別に」


「言いたいことがあるなら言えば?」


「あなたは、ああいう場所に馴染みすぎです」


「褒めてる?」


「褒めていません」


 カクタスが吹き出した。


「相変わらずだな、お前ら」


「うるさいわね」


「うるさいです」


 二人の声が重なり、ハチがげらげら笑う。


 その時、扉の外で小さな声がした。


「あの……お客様」


 宿の若い女中だった。


 戸を少しだけ開け、顔をのぞかせている。


 正確には、部屋全体ではなく、スケイルだけを見ていた。


「あの、先ほど町役場の方から、議会倶楽部へ出入りする方の名簿が届いておりまして……その、旅の方にも関係があるかもしれないと」


 女中は紙片を渡した後も、なぜかその場からすぐには離れなかった。


 スケイルが無言で紙面に目を落とす。


「……まだ何か」


「あ、いえ。その……」


 女中は一度だけ廊下の方を見た。そこには、明らかに用もないのに通りかかったふりをしている別の女中が二人いた。


 ハチが目を丸くする。


「増えた」


「何がですか」


「顔に釣られた人」


「釣っていません」


 スケイルは即答した。


 だが、廊下の二人は明らかにこちらを見ていた。正確には、こちらではなくスケイルを見ていた。


「その、名簿の他にも……」


 女中は小声で続けた。


「議会倶楽部へ出入りする方々の外套を、昨夜うちの洗濯場で預かったんです。袖口に同じ封蝋の跡がありました。監察局と金鶸商会の方、あと神殿の方も」


「封蝋の色は」


 スケイルが短く問う。


「濃い緑でした。小さな梟の印が」


 ギンの目が細くなる。


「白梟亭ね」


「助かりました」


 スケイルが淡々と言うと、女中はまた耳まで赤くなった。


「い、いえ。少しでもお役に立てたなら」


 彼女は深く頭を下げ、廊下の二人に引っ張られるように去っていった。


 ハチがじっとスケイルを見る。


「便利だね、顔」


「便利ではありません」


「今、完全に便利だったよ」


「不本意です」


 カクタスが腹を抱えた。


「いいじゃねえか。俺が聞いても洗濯場の話なんか出てこねえぞ」


「でしょうね」


「おい、即答すんな!」


 ミツクニは紙片を受け取り、ほっほっと笑った。


「顔もまた、旅の道具ということじゃな」


「若、それは非常に不本意です」


「だが役には立った」


「……否定はしません」


 スケイルは本当に嫌そうな顔で、わずかに視線を逸らした。


 シルヴィアは紙片を覗き込んだ。


「……この名前」


 そこには、議会倶楽部の出席予定者がいくつか記されていた。


 王都監察局補佐官。

 執政代理府官房役付き書記。

 金鶸商会アスベル支配人。

 神殿連絡司祭。


 ミツクニはその名簿を受け取り、しばし黙った。


「だいぶ揃っておるのう」


「偶然の顔をして、きれいに集まるものですね」


 シルヴィアの声は冷たい。


「偶然とは、悪党が好きな香水みたいなものよ」


 ギンが肩をすくめる。


「つけすぎると臭う」


 ミツクニは二人を見てから、静かに言った。


「今夜はギンとシルヴィア殿で入るとよい」


「私も?」


「うむ。王都寄りの綺麗な言葉が、どういう顔で撒かれておるか、自分の目で見ておくとよい」


「……」


「それに」


 ミツクニは少しだけ口元を緩めた。


「おぬしがあの手の言葉を、もう一度どう聞くか見てみたいのでな」


「試していますか」


「見届けておるだけじゃ」


 シルヴィアは小さく息を吐いた。


 嫌ではない。


 むしろ、今はその方がいい。


 かつて自分が信じていた正しそうな声を、今度は外から見てみる機会なのだ。


「分かりました。行きます」


「よろしい」


 ギンが、どこか楽しそうに笑った。


「じゃあ今夜は、少し上等な服でも借りましょうか。騎士さん」


「その少しに不穏しか感じないのですが」


「気のせいよ」


「あなたの気のせいは信用できません」


「正解」


 ハチがげらげら笑い、カクタスもつられて笑う。


 その賑やかさの中で、ミツクニは冊子をもう一度開いた。


 行政合理化試案。


 綺麗な言葉で埋められた頁。


 だが、その文字の隙間から覗いているのは、地方で見てきた腐敗と同じ匂いだった。


「古い遺物、か」


 小さく呟く。


 聖印をそう呼ぶなら構わない。


 だが、古いから不要だと言う者ほど、新しい言葉で古い欲を隠すものだ。


 ミツクニは冊子を閉じた。


「さて。綺麗な改革の顔でも見に行くとしようかのう」


 外では、夕暮れの鐘が鳴っていた。


 王都に近づくほど、敵は上品になる。


 ならばこちらも、上品な顔の下に何があるのか、丁寧に剥がしてやればよい

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