第8話:衝突と決別
八度目の今日。
「昨日の図書室の本、返したか?」
「まだ」
いつも通りの確認。でも今日は、蒼真が頷いて席に戻る背中を、少し長く見てしまった。
怖いのはあなただけじゃない、と言った。
昨日の私が言ったその言葉を、今日の私はちゃんと覚えている。でも今日の蒼真も覚えている。つまり、あの言葉はもう取り消せない。
……取り消したいわけじゃないけど。
頬が少し熱かった。
◇◆◇◆◇
3時間目終わり、廊下でプリントを拾った。
今日で三回目。もう反射的に体が動く。持ち主を探して、わからなくて、先生に渡す。
廊下の端で蒼真がそれを見ていた。いつも通り。
でも今日は、目が合った。
彼はすぐに視線を外した。私も外した。
それだけで少し心拍数が上がった。
本当に、どうしてしまったんだろう。私。
◇◆◇◆◇
昼休み、学食。
向かい合って座って、最初は普通に話していた。ループの検証とか、今日の変化とか。でも話しているうちに、昨日の続きが頭の中でじわじわ膨らんできた。
アンカーの話。未練の話。明日への恐怖の話。
……言おう。
「ねえ、蒼真」
「なんだ?」
「昨日の話の続きなんだけど」
「ああ……」
「ループを終わらせたくない理由、私との時間が終わるのが怖いから、って言ってたじゃない?」
「……言った」
「私、今日ずっと考えてたんだけど、ね」
うどんをすすりかけていた箸が止まった。
「今の私は、もう蒼真のことが好きだよ」
食堂がざわついていた。周りの生徒たちは別に聞いていない。でも私の声は、少し大きかったかもしれない。
「……声を落としてくれ」
蒼真が顔を背けた。耳が赤かった。
「あ、ごめん」
声を落とす。でも続ける。
「今の私はあなたが好き。でもこの好きは、ループが終わったら私の記憶からなくなる。だから……明日の私にも、あなたを好きにさせてほしい。最初から、ちゃんと」
「……」
「蒼真が全部教えてくれれば、私はまた好きになる。絶対なる。だから、明日に行こう!」
蒼真は顔を背けたまま、しばらく黙っていた。
隣のテーブルから、小声が聞こえた。
「……ねえ、あの二人、付き合ってるの?」
「痴話喧嘩じゃない?」
「いやいや、告白じゃん、あれ」
蒼真の耳が、さらに赤くなった。
「……本当に声を落としてくれ」
「落としてるわよ」
「落としてない」
「……これ以上落としたら囁きになっちゃう」
「構わない。いや、むしろそうしてくれ……」
私は少し笑いそうになるのを堪えた。この人、こういうときだけ真剣な顔で変なことを言う。
「で、返事は? 私は気持ち伝えたよ」
「……今すぐは、できない」
「なんで?」
「整理が必要だ」
「今更、何を整理するの? 私、数字見えてるんだよ?」
「色々と、だよ!!」
色々、という言葉がひどく曖昧だった。でも今日の蒼真はそれ以上何も言わなかった。
うどんに視線を戻して、だけど全然食べなかった。
◇◆◇◆◇
放課後、図書室。
向かい合って座って、二人ともしばらく無言だった。
私は本を開いた。蒼真も本を開いた。
でも、私のページは全然進まなかった。文字を目で追っているのに、内容が一切入ってこない。頭の中が昼休みのままだった。
ちらっと蒼真を見た。
彼も本を開いたまま、視線が止まっていた。ページが、全然めくれていなかった。
目が合いそうになって、両方同時に視線を外した。
また沈黙。
私は咳払いをした。
「……今日、変化少なかったね」
「そうだな」
「雨も昨日より弱いし」
「そうだな」
「うん」
会話が死んだ。
蒼真が本をめくった。でも音からして、何ページかまとめてめくった気がした。どう考えても読んでいない。
私はまた本に目を落として、また文字が入ってこなくて、窓の外の雨を見た。
……気まずい。
でも、嫌いじゃない気まずさだった。
◇◆◇◆◇
ファミレス、いつもの窓際の席。
ドリンクバーからミルクティーを持ってくると、蒼真はすでに向かいに座っていた。でも今日はノートを出していなかった。両手をテーブルの上に置いて、窓の外を見ていた。
私はミルクティーを置いて、向かいに座った。
しばらく二人とも黙っていた。
外の雨が、少し強くなった。
「……昼の話だけどさ」
蒼真が口を開いた。
「うん」
「整理した」
「どういう結論になった?」
「結論ではなく、確認がある」
「どうぞ」
「お前は、今の俺が好きだと言った。それは本当か?」
真顔で聞いてきた。ものすごく真顔で。
私は少し噴き出しそうになったけど、堪えた。
「本当だよ」
「それは、ループで一緒に過ごしたから生まれた感情か?」
「そうだと思う」
「つまり、ループがなければ生まれなかった感情だよな」
「……まあ、そうなるね」
「ということは、ループを終わらせて記憶がリセットされたら、その感情もなくなる」
「だから最初から好きになり直す、って言ったじゃない!!」
「なり直せる保証がない!!」
私はミルクティーを一口飲んだ。
「蒼真、それって言い訳じゃないの?」
「……どういう意味だ」
「保証がないから踏み出せない、って言ってるでしょ。でも保証がないのは当たり前じゃないか。明日なんて、誰にも保証できないよ」
「……お前は怖くないのか?」
「怖い。めちゃくちゃ怖いよ」
「なのになんで!?」
「なのに行きたいの。怖くても行きたいって思うのが、たぶん、好きってことだから」
蒼真は黙った。
私は続けた。
「ねえ、一個だけ言っていい。怒るかもしれないけど」
「……言ってくれ」
「あなたの好感度999のままでいる限り、私はあなたをこれ以上好きになれない」
顔を上げた。
「今の好きは本物だよ。でも今日の中だけの好きなの。それでいいなら、ずっとここにいればいい。でも私は、明日のあなたを好きになりたい。明日の私に、ちゃんと覚えていてほしい」
「……」
「数値が下がるかもしれない明日より、カンストしたままの今日のほうが安全だって、わかってる。でもそれは、臆病なだけじゃない?」
蒼真は何も言わなかった。
ただ、頭上の999が、激しく揺れた。揺れて、揺れて……初めて、数値の端が、ほんの少し、欠けた。
◇◆◇◆◇
19時まで残り数分。
蒼真は「外の空気を吸う」と言ってファミレスを出た。私は席に残った。
窓越しに、雨の中を歩いていく背中が見えた。傘も差さずに。
言いすぎたかな、とは思った。
でも後悔はしていなかった。
この人は賢くて、臆病で、私のことを大切にしすぎるあまり自分を檻に閉じ込めている。なら、私が外から鍵をこじ開けるしかない。
視界が暗転した。別々の場所で、19時を迎えた。
◇◆◇◆◇
「6月14日(月) 6:48」
九度目の朝。
目が覚めて、まず蒼真のことを考えた。
食堂で告白した。図書室で気まずかった。ファミレスで宣告した。
我ながら、なかなかの一日だった。
撤回しない。全部、撤回しないからね!




