第6話:変化する世界と焦燥
六度目の今日。
「昨日の図書室の本、返したか?」
「まだ」
いつも通りの朝の確認。時任くんは頷いて席に戻る。私も自分の席につく。
でも今日は、教室に入った瞬間から何かが違った。
うまく言えないんだけど……空気が、少しざらついている。
◇◆◇◆◇
最初に気づいたのは、2時間目だった。
廊下側の席の女子グループが、昨日と違うタイミングで笑い声を上げた。たった数秒のズレだ。でも私はもう何度も同じ日を繰り返しているから、そのズレが針に刺さるみたいにはっきりわかった。
次に、木村くんが黒板消しを落とした場所が違った。昨日より一メートルくらい手前。
昼休み、学食の席を確保しようとしたら、いつも空いているはずの壁際の席が埋まっていた。
小さなズレが、いくつも重なっていた。
ループが、少しずつ変質している。
◇◆◇◆◇
昼休み、いつもと違う席で向かい合った蒼真に報告すると、彼は眉をひそめた。
「やっぱりそうか」
「気づいてた?」
「今日は朝から挙動がおかしかった。お前が変数として加わったせいで、ループの精度が落ちてきてる」
「精度って、なに?」
「繰り返しの正確さだ。最初の頃は全員が全く同じ行動を繰り返していた。でも最近、細かいところでズレが出始めてる」
「それって、いいことじゃないの? ループが崩れてきてるなら、抜け出せるかもしれない」
蒼真は少し間を置いた。
「かもしれない。ただ……」
「ただ?」
「ズレが大きくなると、予測できない事態が起きる。今日の道中、気をつけろ」
忠告、というより命令に近かった。
「なんで?」
「お前が巻き込まれる可能性が上がってる」
私はしばらく蒼真の顔を見た。心配している、というより、計算している顔だった。でもその計算の奥に、何か別のものが見えた気がした。
「……蒼真、私のこと心配してる?」
「検証の精度の問題だ」
「その割に顔が怖いけど?」
「うどんが熱いんだ」
「食べてないじゃないの、今」
彼はバツが悪そうにうどんに箸をつけた。話が終わった、という合図だった。
頭上の999が、いつもより激しく揺れていた。
◇◆◇◆◇
放課後、図書室へ向かう廊下でそれは起きた。
3階の窓が、突風で勢いよく開いた。昨日まで一度も起きなかった事象だ。窓枠が壁にぶつかる音に驚いた前の人が足を止めて、後ろからきた生徒と軽くぶつかった。鞄が落ちた。荷物が散らばった。
その弾みで、滑ってきたファイルが私の足元へ。
よけようとして、体勢を崩した。
次の瞬間には腕を掴まれていた。
蒼真だった。
廊下の少し後ろにいたはずなのに、気づいたら隣に立っていた。私の腕をしっかり掴んで、転ぶ前に引き戻していた。
「……大丈夫か?」
「うん、ありがとう」
「気をつけろと言ったぞ」
「言ったけど、これは予測できないでしょ!?」
「俺が近くにいれば対処できる」
さらっと言った。本当にさらっと。
私は掴まれた腕を見て、それから蒼真の顔を見た。彼はもう前を向いて歩き出していた。何でもない顔で。
でも、耳が少し赤かった。
◇◆◇◆◇
図書室。向かい合って座って、今日の変化をノートに整理していると、蒼真が急に言った。
「一つ、提案がある」
「なに?」
「明日から、お前は検証に関わるな」
ペンが止まった。
「……どういう意味よ?」
「俺一人で検証を続ける。お前はいつも通り過ごせ」
「なんで急に!?」
「リスクが上がってる。今日みたいなことがまた起きたら……」
「起きたらまた蒼真が助けてくれるんじゃないの?」
「俺がいつも近くにいるとは限らない」
私はノートを閉じた。
「ねえ、蒼真」
「なんだ?」
「それって私のためを思って言ってる? それとも……」
「お前を危険に晒したくない。それだけだ」
まっすぐ言った。いつもの理屈っぽい言い訳がなかった。
だから余計に、引っかかった。
「……それだけじゃないでしょ?」
「何が言いたい?」
「私を遠ざけたら、検証が進まないじゃないの? 私がいるからループに変化が起きてるんでしょ? それを自分で言ってたじゃないのよ!」
蒼真は黙った。
「なのに遠ざけるって、おかしくない? 検証のためじゃなくて、別の理由があるんじゃないの!?」
窓の外で雨が強くなった。
彼は答えなかった。ノートの表紙を見つめたまま、何かを考えていた。考えて、でも言葉にしなかった。
その横顔を見ながら、私はぼんやりと思った。
この人、ループを終わらせたくないのかもしれない。
まだ確証はない。ただの直感だ。でも今日の「遠ざけようとする」動きと、何百回も一人でループを繰り返してきたこととが、頭の中で静かに繋がった。
……なんで、終わらせたくないんだろう。
答えは、まだわからなかった。
◇◆◇◆◇
19時が近づいて、蒼真がノートを鞄に入れた。
「明日も一緒にやるからね!」
私は言った。質問じゃなくて、宣言として。
蒼真は少し間を置いて、
「……好きにしろ」
と言った。
ループのリセットが来るまでの数分間、二人とも黙って雨を見ていた。
視界が暗転した。




