第5話:ノイズと見抜かれた愛想笑い
五度目の今日。
「昨日の図書室の本、返したか?」
「まだ」
それだけ確認して、時任くんは自分の席に戻った。朝のホームルームまであと数分、教室はまだざわざわしていた。隣の子が「おはよー」と声をかけてきて、私はいつも通りの笑顔を返した。
数値は63。悪くない。
でも今日は、その63がいつもより少し重たく感じた。
◇◆◇◆◇
3時間目の後、廊下でまたプリントを拾った。
今日で何回目だろう、と思いながら……いや、私にとっては二回目か。毎回リセットされてるから。でも時任くんにとっては何百回目の光景なんだろう、と思ったら少し変な気分になった。
持ち主がわからなくて先生に渡した。それだけのことだった。
◇◆◇◆◇
昼休みの学食。
向かいに座った時任くんが、開口一番に言った。
「今日、ファミレスで話したいことがある」
「何?」
「放課後に言う」
「今言えばいいじゃん」
「学食じゃ言いにくい」
気になるじゃないか。私はおにぎりを齧りながら、さりげなく探りを入れてみた。
「ループのこと?」
「まあ、そうだ」
「怖いこと?」
「お前が怖がるかどうかは知らない」
「蒼真が……」
そこで自分の口が止まった。
時任くんも、箸を止めた。
「……ごめん、時任く……」
「別にいいよ」
短く、でもはっきりと。トレーに視線を落としたまま言った。頭上の999が、一瞬だけ大きく揺れた。
「……蒼真が、怖いこと?」
今度はちゃんと最後まで言った。少し恥ずかしかったけど、取り消すほうが余計に恥ずかしい気がした。
「……放課後に言う」
彼の声が、心なしかさっきより低かった。
絶対怖いやつだ、と思った。
◇◆◇◆◇
図書室を17時に追い出されて、ファミレスに入った。
いつもの窓際の席。ドリンクバーのココアを持ってくると、蒼真はすでにノートを開いていた。でも今日は何も書いていなかった。ペンを持ったまま、窓の外を見ていた。
「で、話って?」
向かいに座って聞くと、彼はこちらを向いた。
「俺の数値、今どのくらいだ」
来た。
予感はあった。学食での「放課後に言う」の重さが、そういう話題の重さだった。
「……999」
「ずっと999か?」
「うん」
「お前に会う前から、ずっとそうだったのか?」
「少なくとも私がループしてから、ずっと同じ」
蒼真は窓の外に視線を戻した。雨がガラスを流れていた。
「それを踏まえて聞く。俺の数値を、どう思う?」
やっぱりそれを聞くのか、この人は。
私はコップを両手で持って、少し考えるふりをした。考えるふりというか、実際に言葉を選んでいた。正直に言ったら負けな気がして、でも嘘をつくのも違う気がして。
「……悪い気は、しない」
「それだけか?」
「それだけ」
「本当に?」
「本当に!!」
嘘だ。悪い気どころじゃない。でも今それを言える気がしなかった。
蒼真は少し黙ってから、また聞いた。
「俺の数値が999だとわかって、最初どう思った?」
「びっくりした」
「それだけか?」
「……で、気になった」
「数値が?」
「数値が、というか……その、人が」
しまった、と思った。言葉が正直すぎた。
蒼真の目が、少しだけ変わった。追及する目じゃなくて、確認する目だった。
「俺のことが気になった、ということか?」
「えっと、そういう意味じゃなくて」
「どういう意味だ?」
「だから、その、なんか変な数値だったから……」
「数値じゃなくて俺が、と今言った」
「言ってない!」
「言った!」
「……聞こえなかったんじゃない?」
「俺の耳は正常だぞ」
うるさい。私はコップに口をつけて、ごまかすようにココアを飲んだ。耳が少し熱かった。
蒼真はそれ以上追及しなかった。ただ、ノートにペンを走らせながら、静かに言った。
「悪い気がしない、か」
「……うん」
「そうか」
それだけだった。満足したのか、不満なのか、全然読めない。でも頭上の999が、さっきより落ち着いた揺れ方をしていた気がした。
◇◆◇◆◇
しばらく二人でノートを覗きながらループ脱出の検証を続けた。でも正直、頭の半分くらいしか入ってこなかった。さっきの会話がまだ頭の中でぐるぐるしていた。
気になった、と言ってしまった。数値じゃなくて人が、と。
……まずい。
自覚してみると、結構まずい。
蒼真が顔を上げずにぼそっと言った。
「さっきからノートを逆さまに読んでるぞ」
見ると、本当にそうだった。
「……検証してた」
「逆さまで?」
「んっとね、逆から考えるっていう手法があって」
「ないよ」
「あるわよ」
「ないと思うが……」
私はノートを正しい向きに直した。蒼真が小さくため息をついた。
「ところで」
「なんだ?」
「さっきから、その愛想笑い気になる」
ぴたっと止まった。私の笑顔が。
「……どこが?」
「効率が悪い。ノイズが多い」
「ノイズって何よ」
「本音と表情がずれてる。俺には判別できるから、かえって読みにくい」
私はしばらく黙った。この人には、数値があるから私の感情が筒抜けなんだ……いや、違う。数値は私が相手に持つ好感度じゃなくて、相手が私に持つ好感度だ。蒼真は数値を持っていない。
なのに、見抜いている。
「……数値、見えないでしょ、あなた」
「見えないよ」
「じゃぁ、なんでわかるの?」
「ループで何百回もお前を見てたら、わかる」
それは、ある意味で数値より怖い情報だった。数値じゃなくて、観察で。積み重ねで。私という人間を、時間をかけて読んでいる。
蒼真がドリンクバーから温かいものを持ってきて、私のコップの横に置いた。
「無理して笑わなくていい。少なくとも俺の前では」
ミルクティーだった。私の好きなやつ。
「……これも、ループで覚えたの?」
「ああ」
「何百回分の観察の結晶ね……」
「そうだな」
「……気持ち悪い、って言っていい?」
「構わない」
「気持ち悪い。でも」
ミルクティーを一口飲んだ。温かかった。
「ありがとう」
蒼真は何も言わなかった。ただ、自分のコーヒーを飲みながら、窓の外を見ていた。雨はまだ降り続けていた。
私は笑顔を引っ込めた。
作った笑顔じゃない、ただの自分の顔で、向かいに座っている人を見た。
頭上の999が、静かに、でも確かに揺れていた。
◇◆◇◆◇
19時が近づいて、蒼真がノートを閉じた。
「今日はここまでだ」
「うん」
「また明日」
「また明日」
二人でそう言って、窓の外を見た。雨が、急に強くなった。
視界が暗転した。
◇◆◇◆◇
「6月14日(月) 6:48」
六度目の朝。
目が覚めた瞬間に、ミルクティーの温かさを思い出した。




