第3話:図書室の対峙
三度目の今日。私には実験がある。
夕飯の声を無視したら、ループしないのか。
作戦はシンプルだ。放課後、どこかで時間を潰して、お母さんが「ご飯よー」と言うタイミングをやり過ごす。それでループしなければ夕飯トリガー説が正しいし、ループしたら別の原因を考える。
……我ながら雑だな、とは思う。でも他に手がかりがない。
問題は、どこで時間を潰すかだ。放課後に一人でいられて、あまり目立たない場所。
図書室、かな。
そう思ってから気づいた。あ、でも。時任くんも図書室にいるかもしれない。昼休みに文庫本を読んでいたくらいだから、図書室の常連という可能性は高い。
……まあ、いてもいいか。むしろ好都合かもしれない。
◇◆◇◆◇
放課後の図書室は、思ったより人が少なかった。
窓際のテーブルに数人、棚の間に一人二人。雨の音がくぐもって聞こえる、静かな空間。私は適当に本を一冊手に取って、入り口近くの席に座った。
五分後、時任くんが入ってきた。
やっぱりいたわ。
彼は迷いなく奥の棚へ向かって、背表紙を確認しながら一冊抜き取った。そのまま窓際の席へ。完全に定位置という動きだった。何度もここに来ている人の動き。
私はそっと席を立った。
彼の向かいの椅子を引く。
「また相席いい?」
時任くんが顔を上げた。頭上の「999」が、昨日の学食と同じように揺れた。
「……図書室まで来るのか」
「雨宿りだよ」
「……嘘くさい」
正直な人だ。私は構わず座った。
しばらく沈黙があった。彼は本を開いたまま、視線だけをページに落としている。でも目が動いていない。読んでいるふりだ。
「ねえ、SFの話していい?」
時任くんが本から目を上げた。
「突然だな」
「図書室っぽいじゃん。もしさー、他人の頭上に好感度が数字で見えたりしたら、どうする?」
「……ファンタジーの設定か?」
「そんな感じ。見えたとして、どう使う?」
彼は少し考えた。真面目に考えている顔だった。
「使わない」
「え、なんで!?」
「見えても見えなくても、やることは変わらない。数値が高かろうが低かろうが、自分の行動を数値に合わせる理由がない」
思ってたより哲学的な答えが返ってきた。私は少し面食らいながら続けた。
「じゃあ、もし自分の好感度がめちゃくちゃ高い人がいたら?」
「別に……」
「気にならない?」
「数値より、その人間のほうが気になる」
さらっと言った。本当にさらっと。
私は内心かなり動揺しながら、努めて平静を保った。
「……実はその能力、本当にあるんだよねー、私」
一拍置いて、時任くんが本を閉じた。
「ファンタジーの話じゃなかったのか?」
「ごめん、探り入れてた」
「正直だな」
「で、実際に見えてて。あなたの数値がちょっとおかしいんだけど……」
「にわかに信じがたいけど、いったいどんな数値なんだよ?」
来た。わかってた、この質問が来るのは。
「……すごく、高い」
「数字で言えって」
「……高いの」
「なんで濁すんだよ?」
「言いにくい数字なんだよ!」
少し声が大きくなってしまった。周りの数人がこちらを見た。私は咳払いをして、声を落とした。
「とにかく、高い。それより聞いてほしいんだけど、その数値が二日間全く同じで、しかも周りの人は昨日と今日で全部同じ行動をしてるのに、あなただけ微妙にズレた動きをしてる」
時任くんは黙っていた。
「もしかして、って思って。ループ、してる?」
長い沈黙。
窓を雨が叩いた。
「…………何回目だと思う?」
顔を上げずに、彼は言った。
「え?」
「俺のループ。何回目だと思う?」
私は答えられなかった。
「三桁は余裕で超えてる」
◇◆◇◆◇
三桁。
その言葉が、頭の中でゆっくり展開した。百回以上、同じ一日を繰り返している。ということは、少なくとも百日以上、彼は……
「ずっと、一人で?」
「当たり前だろ。言っても信じてもらえない」
「私は信じるよ」
「お前が特殊なんだ」
突き放すような言い方だったけど、声のトーンが少し違った。硬い声の中に、何か薄いものが混じっていた。
私はもう一度、彼の頭上を見た。「999」は相変わらず真っ赤に燃えているけど、その奥に……今日初めて気づいた。数値の周囲に、黒いもやみたいなものが薄くまとわりついている。今まで数値ばかり見ていて、気づかなかった。
あれは何だろう?
「……ごめん」
気づいたら言っていた。
「なんで謝るんだよ」
「わかんない。だけど、きっと巻き込んでしまったみたいで、って言おうとしたんだろうな、と思ったから。でも違うよ、巻き込まれたとか関係ない。一人で三桁も繰り返してたなら、それは逆にしんどかったと思って」
うまく言えなかった。
時任くんはしばらく黙っていた。
窓の外で雨が強くなった。
「……俺のせいで、お前もループしてるんだとしたら……」
「うん」
「それは、申し訳ないと思ってる」
「思ってるだけ?」
「……一人じゃない、というのは」
そこで彼は止まった。続きを飲み込んだ、という感じだった。
私は待った。
「悪くない」
ぽつり、と。そう言った。
999が、ゆっくりと揺れた。炎みたいに、あたたかく。
◇◆◇◆◇
図書室の閉館は17時だった。
司書の先生に促されて外に出ると、廊下はもうほとんど人がいなかった。私たちは昇降口まで並んで歩いた。並んで、というか、自然にそうなった。
「夕飯の声がループのトリガーだと思ったんだけどねー」
靴を履き替えながら言うと、時任くんが眉をひそめた。
「……なんでそう思ったんだ?」
「一日目も二日目も、お母さんに夕飯呼ばれた瞬間に暗転したから!」
「それ、たまたまだ」
「なんで言い切れるの?」
「俺は一人でループしてたとき、飯を食いながら暗転したことも、風呂に入りながら暗転したこともある。夕飯とは無関係だ」
なるほど。反論の余地がない。
「じゃあ何がトリガーなの?」
「わからない。ただ、毎回19時ちょうどに暗転している」
「19時?」
「正確に、だ。秒針まで確認した」
私は少し考えた。
「じゃあ今日、夕飯を無視して19時を観測したら……」
「お前のお母さんを怒らせるだけだと思うが……」
「実験だから仕方ないわ!」
「まあ、試してみろ」
投げやりな言い方だったけど、否定はしなかった。むしろ、かすかに口の端が上がった気がした。
ほんの少しだけ。
雨の昇降口で、私たちは別々の傘を差した。
「明日も、話しかけていい?」
聞くと、彼は少し間を置いてから、
「……嫌だって言っても、どうせ来るだろ」
と言って、雨の中に歩いていった。
◇◆◇◆◇
家に帰って、夕飯の声を無視して、部屋で19時を待った。
18時58分。59分。
窓の外の雨が、急に強くなった。
19時00分……視界が、暗転した。
◇◆◇◆◇
「6月14日(月) 6:48」
四度目の朝。
夕飯じゃなかった。19時だった、やっぱり。時任くんの言う通りだった。
ベッドの上でため息をついて、それから少しだけ笑った。
雑な仮説を立てて、あっさり論破されて。なのになぜか、悪くない気分だった。




