振替休日
月曜日の午前八時四十分前。僕はのんびりとした足取りで、校舎に足を踏み入れた。
この日は体育祭の振り替え休日であり、授業は無い。遊興同好会は午前九時から十一時まで集まり、何かしら活動することになっていた。
グラウンドの方からは、雄叫びに近い掛け声が響いている。昨日の今日で、よくここまで頑張れるものだと素直に感心する。体力がない僕にとっては毎日の様にスポーツに励む事そのものが尊敬の対象であり、真似できないと思う。
残暑の中でスポーツに励む先輩や同級生に対し関心の念と多少の後ろめたさを抱きつつ、僕は廊下を進む。二階の隅にひっそりと佇む空き教室が、遊興同好会の部室である。その隣には今は使われていない文芸部部室。廃部になって久しいらしい。
部室の扉を開けると、部長と正子先輩の姿が目に入った。
「あ、優君おはよう。」
「おはよう、優君。昨夜はよく眠れたかな?」
部長と先輩は僕の顔を見ると、笑みを浮かべ挨拶をして来た。
「おはようございます。昨日は気が付いたら眠りこけていましたよ。」
部室の後ろにあるロッカーに荷物を置きつつ、僕は挨拶を返す。
会話の内容など些細なことであり、自分に声を掛けてくれる人が居るという事実が何よりも嬉しく感じる。頬が緩むのを堪えつつ、僕は二人に向かって話し掛ける。
「お二人とも早いですね。僕も十五分前集合ですけど、もっと前から部室に居ますもんね。」
現在時刻は八時四十五分。開始予定時刻が九時なので、僕は十五分前に来たことになる。部長と先輩は既に部室に居たので、もっと早くから来ていることになる。
二人は僕の言葉を聞き、顔を見合わせる。
「そうねぇ。私は三十分前から部室に居て、正子もそのくらいよね?」
「そうだね。一番最初に来たのは旭だけど、私もすぐ後に来たからね。大体三十分前に来たことになるのかな。そう考えると、私達凄い真面目な人間に見えてくるよね……。」
確かに、三十分前行動と聞くと約束事に真摯な人に見える。
「学校の許可なく教室を使っている時点で、真面目とは程遠い存在なんだけどね。私達……。」
胸を張る先輩の横で、部長は遠い目をして乾いた笑みを浮かべた。
時計の短針が九を指した頃。僕達三人はひとつの机を囲むようにして椅子に座っていた。
「先輩が読書をしていないと、何だか珍しいですよね。」
僕の言葉に、部長は腕を組み頷いた。
「この子、本ばかり読んでいるものね。同好会活動に参加していること自体が珍しいかも知れないわ。」
「ふふ。旭が呼び出しもなく部室に来ていることも、中々珍しいかも知れないね。」
「あらあらふふふ……。」
「ははは……。」
二人は顔を突き合わせて笑い合う。顔は笑っているが何処からか圧を発しており、言葉の節々に棘を感じる。
僕は居た堪れなくなり、二人の間に挟まる様にして話題を変えた。
「あ、あの……。何かゲームしましょうよ。折角、三人こうして机を囲んでいる訳ですから。」
僕の言葉を聞き、二人は発していた圧を消して頷き合う。
「そうね。じゃあ、三人でババ抜きでもしましょうか。」
「私は構わないよ。罰ゲーム……じゃなくて、勝者へのご褒美も今のうちに決めてしまおうか。」
二人の様子を見て、僕は安堵の息を漏らす。
ここだけの話だが、部長も先輩も発する圧は人の寿命を縮めてくる気がする。僕もこの同好会に入って半年ほど経つが、一年は寿命が縮んだ実感がある。
それはそうと、ご褒美決めの時間だ。
「そうだね。敗者に何かやらせてしまうと罰ゲームと変わりない気がするしね……。」
先輩は腕を組み首を傾げている。罰ゲームを決めるのは容易だが、ご褒美となると難しい。
「私が勝ったら、二人に愛の言葉でも囁いて貰おうかしら。」
トランプの束を混ぜつつ、部長は唐突にそう言った。先輩はそれを見て、便乗するように言葉を紡ぐ。
「旭がそう言うのなら、私は肩でも揉んで貰おうかな。ここのところ、肩こりが酷くてね……。」
部長は一瞬、自身の肩に手を当てる先輩に恨めしそうな視線を向けたが、すぐに僕の方に顔を向けた。
「優君はどうするかしら?何か私達にして欲しいことかあるかしら?」
「僕ですか、そうですね……。」
考える素振りをしつつ、僕は内心困っていた。
二人には僕と共に過ごしてくれているだけで、これ以上ないくらい感謝している。なのでこれ以上何かを望むのは、身の丈に合っていない様な気がするのだ。
どうしようかと考えた後、僕はひとつの妙案を思い付いた。
「それじゃあ僕が勝ったら、お二人に僕のことを呼び捨てで呼んで貰いますね。」
「呼び捨てにするくらい、いつでもしてあげるわよ?」
「そんなこと言ったら、僕だっていつでも愛の言葉を囁きますよ。耳元で。」
「ふぇ……。」
勢いのままに言葉を返すと、部長は目を丸くして固まったしまった。僕の自分の言葉を顧みて、口を噤んでしまう。
僕と部長は俯いて黙り込んでしまった。気まずい沈黙を破ったのは、先輩の言葉だった。
「いつでも出来るけど、普段やらないことだからご褒美になるからね。良いんじゃないかな?」
「そ、そうよね……。それぞれご褒美も決まった事だし、早速ゲームを始めましょうか。」
部長はワザとらしく明るい声を出し、トランプを配り始める。
カードを配り終えるまでの間、先輩が僕に耳打ちした。
「後で愛の言葉を囁いてよ。勿論、ゲームとは関係なくね。」
僕の耳元から顔を離した先輩は、心底楽しそうに目を細めていた。




