何事もない放課後
月日が流れるのは早いもので、カレンダーのページはもう十月を記していた。
来たる体育祭を明後日に控えた金曜日の放課後のこと。僕達はいつもの様に部室に集まり、それぞれ思い思いに過ごしていた。
僕はいつもの席で数学の課題に取り組みつつ、隣で鉛筆を立てている部長に声を掛けた。
「部長、ちょっと良いですか?」
「んぅ。優君、何かしら?」
部長は視線を落とし、鉛筆を真っ直ぐに立たせながら返事をする。身体が力んでいる所為か、声が何処かぎこちない。
「今週の日曜日は体育祭じゃないですか。」
「そうね。平日と同じように登校して、平日より少し早い時間に解散するわね。」
日曜日に登校しなければならないと言うのは少し面倒臭いが、学校行事ならば仕方がないだろう。
それはそうと、僕は話を続ける。
「体育祭が終わった後、同好会はどうしますか?集まります?」
「うーん、今回はそのまま解散かなぁ……。」
四本目の鉛筆を立てながら、部長は答えた。机に頬を付け片目を瞑り、真剣な様子。そんな時でも僕のくだらない疑問に答えてくれる。まったく良い上級生を持ったものだ。
ひとり感心する僕を他所に、部長は言葉を続ける。
「多分、体育祭の後にクラスで打ち上げがあるんじゃないかしら。青春の時間は限られているのだから、そう言うものに参加するのも良い経験になると思うわ。」
「そうですね。誘われたら、行ってみる事にします。」
「後ろ向きねぇ……。」
研いでない鉛筆二本の上に横向きに鉛筆を乗せつつ、先輩は僕を憐れむ。
別に、教室に居て気まずい思いをすることはない。僕なんかと話してくれるクラスメイトも何人かいるし、嫌がらせを受けたことも無い。だが、教室に居るよりも部室に居る方が、何となく馴染むのだ。
「月曜日は振替休日でしたよね。どうしますか?」
「せっかくだし、活動しようかしら。夏休みの時みたいに、朝九時から十一時まで……。」
「良いですね。僕は賛成です。先輩はどうですか?」
僕は頷いて、窓際の方に目線を向ける。
正子先輩はいつもの様に窓際の席に腰掛けて読書に耽っていた。先輩の席の傍はカーテンを閉め切り、出来る限り日光を遮っている。
「ん、ごめん。聞いたいなかったよ。何の話だったかな?」
先輩は文庫本から顔を上げると、申し訳なさそうにそう言った。急に声を掛けたのは僕であり、先輩は何も悪いことをしていないのだから、堂々としていて良いのにと思うのだが。
「月曜日の振り替え休日なんですけど、朝だけ同好会活動をしませんか?特に何かする予定も無いのですが……。」
「あぁ、そんな事か。私は構わないよ。どうせ予定もないしね。」
先輩はそう言葉を返すと、本を閉じて僕をじっと見つめてくる。
「どうしましたか?僕の顔に何かついているんですか?」
そう聞いてみると、先輩は目を細めてニヤニヤと笑っている。
「いや別に。優君は相変わらず可愛いなと思ってね……。」
「お世辞だったとしても、せめて格好良いと言ってくれませんか?僕も男なので、可愛いと言われるのは正直複雑ですよ。」
僕がワザとらしく顔をしかめると、先輩は愉快そうな笑い声をあげた。
「ははは……。いや、悪かった。ただ、優君もすっかりこの同好会を気に入ってくれているんだなと、そう思うと嬉しくてね……。」
そう言われて、少し気恥ずかしくなってしまう。同好会活動を聞く僕の姿は、休日の予定を父親に聞く子供の様に映ったのかも知れない。僕は自分の幼稚さを恥じて、思わず口を噤んだ。
先輩はスッと立ち上がると、僕の隣に立ちそっと肩に手を置いた。
「キミが同好会に馴染んでくれて、私はとても嬉しいよ。この調子なら私や旭が卒業した後、十年先もこの同好会は安泰だね。」
「気が早いうえに、気が長い話ですね。」
先輩が卒業すると言うことは、その翌年には僕も卒業してしまう。この先五年十年の話となると、確約は出来ない。
部長はと言うと、鉛筆を立てたり寝かせたりしながら重ね続けて行った。現在、部長の机の上では建物の骨組みの様に、鉛筆が高く積みあがっていた。
「あぁ言うのを見ると、ちょっかいをかけたくなるよね。」
「やらないで下さいね。」
僕が釘を刺すと、先輩は苦笑いを浮かべつつ首を横に振った。
「流石にやらないよ。旭を怒らせると怖いからね……。」
それよりも。そう言い先輩は僕の顔をじっと見降ろす。
「私達も何かしようか。同好会活動だしね、読書ばかりしている訳にもいかない。」
普段本を読んでばかりいたので、以外な言葉だ。どういう風の吹き回しだろうか。
「良いですけど……。何をしましょうか。」
「そうだねぇ……。」
先輩は顎に右手を当て、考える仕草を見せる。
「何か準備するのも何だし、シンプルに指相撲でもしようか。」
「賛成です。」
話はあっさりまとまった。
黙々と鉛筆を積み上げ続ける部長の背後で、僕と先輩は右手を重ね合わせる。
「ふふ……。こうして手を合わせると、キミも男の子なんだと実感するよ。」
先輩は指を微かに動かし目を細める。
ほんのり伝わる体温と、かかる吐息。僕は背筋に力が入るのを感じながら、口を開いた。
「今回は罰ゲーム……じゃなくてご褒美は無しで良いですか?」
「あぁ、ただの暇つぶしだからね。開始の掛け声は、せーので言おうか。」
「良いですよ。」
僕達は顔を合わせ、大きく息を吸う。視線でタイミングを合わせて、声を上げる。
「レディ……ファイッ。」
僕達の掛け声に驚いたのか、部長の方が大きく揺れる。その拍子に、部長が積み上げてきた鉛筆の城はいとも簡単に崩れ去ってしまった。
その日、僕は初めて本気で怒る部長を姿を目の当たりにした。




