体力と冷感
放課後。いつもの様に部室の扉を開けた僕の目に映ったのは、机の上に頭を落とし真っ白になっていた正子先輩の姿だった。
この日は全校生徒が外に集まり、一日かけて来週に控えた体育祭の予行演習が行われた。本番までまだ日数がある為か、本部テントは用意されていたが生徒用のテントはまだ設営されていなかった。先輩の元気が無いのも、長時間日光に晒されていた所為だろう。
部長はまだ来ていない。いつもの様に課題の未提出による呼び出しだろうか。
部室には僕達しかないので、僕は灰の様になってしまった先輩に恐る恐る声を掛けてみる。
「あのう先輩……。」
「ん、あぁ優君か……。今日は一日お疲れ様……。」
「ええ、お疲れ様です。それよりも、大丈夫ですか?その、体調と言いますか……。」
「うん……どうにか生きているよ……。」
体調はあまりよろしくないようだ。元々貧血気味なのか日光を避けていた先輩が、一日中太陽の下に居た所為で熱中症をおこしたのだろうか。
「保健室に行った方が良いんじゃないですか?」
先輩は項垂れたまま、首を軽く横に振る。
「いや、どうせ保健室に行ってもベッドに寝かされるだけだ。それなら、部室で休んでいた方が精神的にマシだよ。」
「そうですか……。それじゃあ、何か欲しい物でもありますか?その、水とか……。」
「あぁ、水は欲しいかも知れない。喉が渇いている様な、乾いていない様な変な気分だ。」
先輩は虚ろな声で呟くようにそう話す。放っておくと、かなり危ない気がする。
僕は咄嗟に鞄に入っていたペットボトルを取り出す。
「取り敢えず、これを飲んで下さい。少しぬるくなっていますが、飲まないよりかはマシです。」
そう言って先輩に渡したのは、スポーツドリンク。ホームルームで、担任から配られたものである。蓋すら開けていない未開封の物なので何の心配もない。
先輩はゆっくりと顔を上げると、覇気の無い笑みを浮かべて口を開いた。
「ありがとう。出来れば、蓋も開けてくれると嬉しい……。」
「あ、そうですね。気遣いが出来なくてすみません。」
熱中症であれば、ペットボトルの蓋を開ける力も出ないのは分かり切っていたことだ。
僕は自分の無神経さを恥じつつ、蓋を開けたペットボトルを先輩に手渡す。
「どうぞ。」
「ありがとう……。頂くよ……。」
先輩は両手でペットボトルを掴み、口を付ける。
ごくごくと、喉が音を鳴らしながら水分を身体の中へと運んでいく。
先輩が顔を傾けて飲み物を口に運ぶ様は妙に艶めかしくて、何となく見てはいけないものの様な気がした。
ペットボトルはあっと言う間に空になり、口を離した先輩は大きく息を吐いた。
「ふう……御馳走様。おかげさまで、少し調子が良くなったような気がするよ。」
ほんの少しだけ血色がよくなった顔を僕に向け、先輩は笑みを浮かべた。
多少体調が良くなったようだが、あくまで多少なので僕は追加の飲み物を買いに行くことにした。
「僕、今から飲み物を買いに行ってきますので、先輩は何が飲みたいですか?」
「そうだねぇ……。」
先輩はそう呟き、腕をだらりと下げて天井を見上げる。
「コーヒーを、と言いたいけど……。」
「例え買って来たとしても、今の先輩には飲ませませんよ。」
僕の言葉に、先輩は乾いた笑い声を発する。
「そうだよね……。それじゃあ、悪いけどスポドリをもう一本お願いできるかな?お金は、後で払うから。」
「いりませんよ、お金なんて。」
そう言葉を残して、僕は部室を後にした。
階段を降り、購買の横にある自販機に向かう。財布の中には十分な小銭があったので、先輩に渡すスポーツドリンクと自分の為のコーヒーを問題なく購入できた。
購買からの帰り道、階段を登っていると背後から聞き慣れた声がした。
「あら優君。飲み物でも買いに行っていたのかしら?」
部長は駆け足で階段を登り、すぐに僕の隣に立った。
「ええ。先輩の体調が優れないようだったので、ひとっ走りして来たところです。」
「そうなのね。ありがとう。」
部長は一段上に上がったかと思うと、僕の頭をクシャクシャと撫でた。
気恥ずかしいが、嫌な感じはしない。ひと頻り頭を撫でられた後、僕は部長に質問を投げ掛ける。
「部長は、今日はどうしたんですか?また課題を出していなかったんですか?」
「貴方が私のことを信頼していないということが分かったわ。」
部長は頬を膨らませて、プイッと顔を逸らしてしまう。
「すみません。、つい……。」
「まぁ良いわ。でも、今日は先生に呼び出された訳じゃないのよ。」
部長は階段を登りつつ、小さな声で話す。
「実はさ、同級生に呼び出されたのよね。ついさっきまで……。」
「もしかして、告白ですか?」
爽やかな青春とは無縁の僕にとって、呼び出しイコール告白の様な認識があった。
僕の浅い予測に対して、部長は首を横に振る。
「告白、では無かったわね……。でも、告白みたいなものだったわ。」
「どういうことですか?」
謎かけの様な言葉に、僕は思わず首を傾げる。
「告白の予約って感じよ。体育祭の二百メートル走、一位を取ったら聞いて欲しいことがあるってね。」
「それで、オーケーしたんですか?」
僕の言葉に、部長は少し眉を顰めた。
「オーケーも何も、厳密には話したい内容も分かっていないしね。さしずめ、シュレディンガーの告白と言った所かしらね。結局、彼が一位を取らない事には何も起こらないからね。そうなることを祈るわ。」
告白を断るのだって、心苦しいのよ。部長は小さな声でそう呟いた。異性から慕われる人にも、それなりに悩みがあるものだと、今更ながら理解した。




