喫茶店恋話
休日のこと。散歩中だった僕は偶然出会った正子先輩に誘われて、商店街の路地裏にひっそりと佇む喫茶店に足を運んでいた。
注文を終えた僕達は、品物が運ばれてくるまでの時間てきとうに雑談を交わす。
「そう言えば先輩、深い意味は無いのですが今好きな人とかいるんですか?」
雑談の中、僕はふと先輩に問い掛ける。夏休みに僕だけ好みの人など問いただされたので、その意趣返しをしようと言う意図もあったが、純粋な興味からであった。
正子先輩は少し目を見開き、悩まし気に首を傾げた。
「優君からそんな質問が飛んでくるとはね、正直驚きだよ。そうさね……。」
暫く考える仕草を見せた後、先輩は僕に顔を近付けてきた。
「今はいないかなぁ。昔好きだった人はいたかもね、聞いてみる?」
「いえ、やめておきます。」
僕はそう答えた。
触らぬ神に祟りなしと言う言葉がある。人様の恋愛事情を聴いてしまえば、いざ自分が問われた時に答えない訳にはいかないだろう。先輩の交流関係が気にならないと言えば嘘になるが、ここは引き下がっておくべきだろう。
そんなことを話している内に、店主がお盆を両手で持って近づいてきた。
「お待たせいたしました。ホットコーヒーとカクレガスペシャル。それと、ホットサンド二つです。」
「どうもありがとうございます。」
僕は店主に礼を言い、飲み物と料理を受け取る。
「では、ごゆっくり……。」
店主はそう言うと、鼻歌交じりに奥の方へと戻って行った。
店主が去ったのを確認し、僕は渡された飲み物に目を向ける。
先輩に挑戦的とまで言われたカクレガスペシャルは、一見すると何の変哲もない普通のコーヒーの様に見えた。
「案外、普通の見た目なんですね。」
僕の言葉に、先輩は口角を上げる。
「見た目はそうだね。でも、ひと口飲んだら分かると思うよ。一体何がスペシャルなのか。」
「そんなものですかね……。」
どんなものかと訝しみつつひと口啜り、僕は大きく目を見開いた。
まず口内に広がったのはコーヒーの香り。普段飲むインスタントの元は違う、濃い香りだ。次に感じたのは、感じた事のない様な強い苦みだった。
旨味や酸味は感じられない。純粋で深い苦みが僕の脳を支配した。
「ふふ、言葉も出ないみたいだね。」
先輩は僕の顔を覗き込み、楽しそうに笑っている。
「いや……、これ凄く苦いですね……。」
僕はやっとの思いで言葉を絞り出す。水を飲んでみるが、口の中に違和感が残っている。
「苦みだけを追求したコーヒーなんだよ。酸味がないから、好きな人にはたまらない代物かもね。」
先輩はそう言って、自分のカップを口に運ぶ。
ホットサンドにかぶりつきながら、先輩は話を続ける。
「因みに、それは飲めば飲むほど苦みに慣れてくるんだよ。」
「確かに、苦みが段々と美味しく感じて来たかも……。」
「その状態で、ホットサンドをひと口食べてみて。」
言われるがまま、ホットサンドにかじりついてみる。
挟んである卵やハムの旨味は勿論、こんがり焼かれたパンの甘みが口の中一杯に広がった。
「ん、美味しいですよ。これ……。」
僕が興奮気味にそう言うと、先輩はにこりと笑った。
「強い苦みにしたが慣れたお陰で、旨味や甘みをより感じやすくやっているんだよ。多分ね……。」
コーヒーを飲み、その苦みを感じてホットサンドを齧る。それだけで心が満たされるようで、幸せに思わず頬が緩んでしまう。
ひとしきり食事を楽しんだ後、僕達はゆったりとした時間を過ごす。
「何の話だったかな……。確か私に好きな人が居たって話だったよね。」
「聞かないことにしておこうと思ったんですが……。教えてくれるんですか?」
「ダーメ。乙女の秘密は安くないんだぞ?」
端正なな顔を傾けて、先輩は目を細める。
「優君はさ……。私と旭、恋仲になるならどっちが良い?」
「難しい質問してきますね……。」
僕は顔を逸らしつつ、返答を考える。
先輩に対しても部長に対しても、僕はそう言う感情を持って同好会に参加している訳ではない。しかし、二人に対してドキドキしないかと言えばそれも嘘になる。
「優君、考えは纏まったかな?」
先輩は顔を近付けつつ、そう聞いてくる。
「因みに、僕が答えを言ったとしてですよ……。その答えは先輩の胸の内に留めておいてくれるんですか?」
「勿論、旭と共有するつもりだけど。揶揄う材料になるし……。」
「じゃあ言いません。」
「えーケチぃ。」
「ケチじゃありません。」
年甲斐もなく頬を膨らませる先輩はキッパリと言い放ち、僕はコーヒーを口に含む。少しぬるくなったが、まだ苦い。寧ろ冷めた所為か、苦みをよりはっきりと感じる気がする。
先輩は諦めていないのか、身を乗り出して次の質問を投げ掛けてくる。
「それなら、私と白亜ちゃん。綺麗な先輩と可愛い後輩、恋仲になるならどっち?」
「自分で綺麗と言うんですか……。いや、別に異論はありませんが……。どっちとも言い難いですね……。」
「はっきりしないなぁ……。」
先輩は背もたれに寄り掛かり、つまらなそうに溜息を吐く。
心なしか、今日の先輩は少し子供っぽい印象を受ける。お気に入りの喫茶店に来て、テンションが上がっているのだろうか。指摘するのも悪いと思い、僕は先輩とのでえとを継続した。




