夜の邂逅
二学期に入ってすぐの、とある夜のこと。僕はちょっとした理由があり夜道を歩いていた。
時刻は午後十時十分と少し。住宅街は静寂に包まれており、街灯の明かりだけが夜の街を照らしていた。
夜は好きだが、夜道は少し怖い。先が見えない恐怖と言うのは、こうも人の不安を煽って来るものなのだろうか。或いは、僕が小心者なだけなのか。
兎も角、僕は急ぎ足で目的の場所へと向かう。大した目的でもないし別に今日でなくても良いのだが、思い立ったが吉日と言うことでこうして夜中に家を出ている訳である。
住宅街を抜けて、街外れのコンビニに辿り着く。早いところ用事を済ませようと思った矢先、コンビニの店先に見知った人の姿を見つけた。
「……正子先輩?」
そう声を掛けると、正子先輩は僕の方に視線を向けた。
「優君、こんばんは。こんな時間に一体どうしたのかな?」
「こんばんは。こんな時間には僕のセリフですよ。僕はちょっと買い物に来ただけですけど……。」
「こんな時間に、コンビニで買い物、ねぇ……。ふぅん。」
先輩は怪しい瞳で、僕の顔を覗き込んで来る。
「一体何を想像しているのかは分かりませんが、期待に添えるものでは無いですよ。」
「ほんとかな?口ではそう言っていても、真実は分からないものだよ?」
とことん僕のことを怪しんでいるようだ。隠すようなことでも無いので、僕はぶっきらぼうに告げる。
「蚊取り線香と、飲み物を買いに来ただけですよ。まだまだ夏は続きそうですので……。」
「なぁんだ。そんなことか。」
つまらないの。と先輩は呟き、僕と一緒にコンビニに入店する。
「優君はモスキートは苦手なのかな?」
「苦手と言うか、噛まれるのは嫌ですね。痒くなっちゃうので……。」
「なるほど、つまり痒みさえ無ければ血を吸われても構わないと……。」
極端なことを言いうものだと思ったが、さっきの発言だけならば、そう聞こえても無理はないかも知れない。
先輩は店内に入るなり一歩前に出て、幾つも重ねられた買い物かごをひとつ取る。
「折角だから、私が飲み物を奢ってあげよう。こんな所で会えるなんて、滅多にないことだからね。」
先輩はそう言い、買い物かごの中にペットボトルのブラックコーヒーを投げ入れる。僕が普段、愛飲しているメーカーのものだ。
「僕が普段飲んでいるコーヒー、憶えていたんですか?」
「勿論。何度も買いに行ったし、買いに行ってもらったしね。」
先輩は誇らしげに言い、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
数分後、僕と正子先輩は二人並んでコンビニを出る。結局、コーヒーだけでなく蚊取り線香も先輩に買ってもらった。
「すみません先輩。お会計して頂いて……。」
「良いよ。自分の買い物のついでだからね。」
先輩はレジ袋からペットボトルの紅茶を取り出し、袋を僕に渡してきた。
「ありがとうございます。」
「気にしなさんな。先輩らしく見栄を張っただけのことだよ。」
そう話しつつペットボトルに口を付ける先輩に、僕は当然の疑問を投げかける。
「先輩は、こんな時間にどうしたんですか?もしかして、誰かと待ち合わせでも?」
僕の言葉に、先輩は首を横に振った。
「待ち合わせでも無ければ、何か用事があった訳でもないんだ。ただ、今日は月が綺麗だったからね。」
「月、ですか……?」
先輩に言われて空を見上げてみると、大きな月が僕達を見降ろしていた。気にしていなかったが、今夜は満月の様だ。
正子先輩は満月を背にして、苦笑いを浮かべる。
「月が綺麗な夜は、こうして街を彷徨いたくなるんだよね。」
「良い趣味だとは思いますけど、少し危ないんじゃないですか?先輩は女の子な訳ですし、田舎町ですけど悪い人が居ないとも限りませんよ。」
先輩は美人だし、華奢な人だ。声を掛けられて連れていかれる……なんてことがあってもおかしくない。
心配する僕を見て、正子先輩は頬を緩める。
「もしかして、キミは私のことをか弱い女の子だと思っているのかな?」
「もしかしても何も、先輩はか弱い女の子でしょ。」
「そうか……。そうかもね……。」
先輩は呟くようにそう言うと、ペットボトルを片手に歩き出した。
「さて、もういい時間だし帰ろうか。優君、良ければ送って行こうか?」
「お気持ちは有難いですが、僕は大丈夫です。それよりも、先輩の方こそ大丈夫ですか?僕で良ければ家までお供しますけど……。。」
「ふふ、気持ちだけ受け取っておくよ。幸い、私の家はここから近い場所にあるからね。」
先輩は優しく笑い、僕の目の前に歩み寄って来た。
彼女は笑みを浮かべたまま、僕の頭に手を伸ばす。次の瞬間、先輩の手が僕の髪に触れる。
「わっ。先輩、何を……。」
「何って、健気で可愛い後輩の頭を撫でているだけさ。」
先輩はさも当然の様にそう言う。頭を撫でられるのは久しぶりのことだが。何となく心が浮かび上がる様な気分になる。
ひとしきり頭を撫でた後、正子先輩は僕の肩に手を置いた。
「それじゃあ、私はそろそろ失礼するよ。キミも、遅くなり過ぎない様に帰るんだよ。」
そう言って夜の闇に向かって歩み出した先輩は、何かを思い出したのかふと立ち止まり此方に振り返った。
「優君、また明日。」
「あ、はい。また明日。」
僕がそう言い終えない内に、先輩の姿は夜の中に消えてしまっていた。
神出鬼没と言うか、相変わらず不思議な先輩だ。そう思いつつ、僕も帰路に着くことにした。




