遠い先の別れ
二学期初日のこと。
昼過ぎの遊興同好会部室で、僕はただひたすらに部長の頭を撫でていた。新学期最初の勝負で、僕が敗北した結果である。
正子先輩は普段通り窓際の席に腰掛けて読書に耽っており、僕と先輩は向かい合って椅子に座っている。先輩は僕に向かって少し頭を降ろし、僕はそんな先輩の頭をゆっくり撫でている。
「部長、もう良いですか?そろそろ疲れて来たんですけど……。」
「だーめ。もう少し続けて。」
「……はい。」
部長に甘え声で懇願されてしまい、仕方なく撫で撫でを継続する。
部長と軽く話し合った結果、今学期は敗者が罰ゲームを被る普段のスタイルから勝者がご褒美を享受する形に変更した。とは言っても現在はまだお試し段階であり、微妙に感じたら元の形に戻すつもり。感触が良ければ、三学期以降はご褒美と罰ゲームを半々でやっていくらしい。
そう言う訳で、敗者である僕は勝者である部長へのご褒美として頭を撫でている。これはゲームは始める前に、あらかじめ決めていたものだ。
「優君、手が止まっているわよ。」
考え事をしていて手元が疎かになっていたのか、部長が僕の手の甲を軽く叩いてくる。
「あ、すみません。と言うか部長が強すぎるんですよね、スピード。反射神経も手の動きも全然僕と違うじゃないですか。もしかして、イカサマか何かで捲れるカードが分かっていたりします?」
「そんな訳ないじゃない。ただ貴方よりもこのゲームの経験があったと言うだけよ。」
部長は目を細めつつ上機嫌に答える。正子先輩もそうだったのだが、後輩に頭を撫でられて嬉しいものなのだろうか。僕は中学生以降、誰かに頭を撫でられた経験が無いのでよく分からない。
兎も角、僕はただ無心で頭を撫で続けている。茶色掛かった部長の髪は、毛先に少しクセがあり微かに内巻きになっている。髪は細いが毛量が多く毛並みが整っているので、撫でるとふわりとした感触が肌を包んだ。
上級生の髪に対しておかしな感情を抱かない様に、ひたすら無心であることを心掛ける。女性だと思うと少なからず緊張してしまうので、部長のことを犬や猫などの愛玩動物だと思い込んでみる事にする。
偶然にも気紛れな猫を撫でる機会があったと思えば、邪な感情も抱かずに済む。部長は猫で、猫は部長だ。猫なのだから、緊張する必要も無い。
くだらないことを考えつつ部長の頭を撫でていると、本を読み終えたのか正子先輩が僕達の元へ近づいて来た。
「楽しそうなことをしているね、旭。もう少ししたら私と替わってよ。」
そう話し掛けてくる先輩に対し、部長は首を横に振る。
「駄目よ。これは勝者の権利だもの。羨ましければ、明日頭を撫でる事を条件にして優君と勝負しなさい。」
「はいはい。優君、隣失礼するよ。」
「あ、はい。どうぞ……。」
先輩は自然な仕草で僕の隣に椅子を置き、ゆっくりと腰を下ろした。
頭を撫でられ続ける部長と撫で続ける僕を横目に、正子先輩は大きな溜息を吐いた。
「もう二学期になってしまったね……。」
「体育祭や文化祭なんかのイベントごとが目白押しですよね。」
能天気に話す僕に、先輩は憐みの様な優しい視線を向ける。
「それもあるんだけど、二年生になると進路指導がね……。」
「あぁ、あったわね。そう言うのも。」
部長は面倒臭そうにそう言うと、少し頭を下げた。
僕は部長の頭を撫でつつ、進路のことについて質問する。
「お二人とも、進路はどうするんですか?成績良さそうですし、進学ですか?」
「そうね。私は進学するつもりよ。何処の大学を受けるかは、予定は未定ね。」
「私も旭と同じだね。進学するつもりではあるけど、やりたい事や学びたい事が明確ではないからさ……。これから少し真剣に大学を探してみるつもりさ。」
「そうなんですね。」
二人とも進学する予定らしいが、大学は決めていないらしい。
部長はこれからの提出物次第だろうが、正子先輩はどの大学にでも入れるだろう。
「お二人とも、同じ大学に行くんですか?」
「さぁ、それすらも未定ね。」
「うん。大学でこの場所以上に面白い体験があるのなら、新たな場所に身を投げてみるのも有りかも知れないね。」
「そうなったら、私達も疎遠かしら?寂しくなるわねぇ。」
「また、心にも無いことを……。」
笑い合う二人の様子を見ながら、僕は心がズキリと痛むのを感じていた。
この日常が永久に続かないことを理解しているつもりでいたが、心のどこかでは子供の様に、楽しい日々が続いていくのだと信じたがっていた様だ。
その後、二人の話題は二転三転して進路の話から課題の話、終いには日本の将来の話にまで発展した。話自体は大いに盛り上がったが、僕はあまり話さずに黙々と部長の頭を撫で続けていた。
いつの間に時刻は午後三時を回り、僕達は解散することになった。
帰り道、僕はふと立ち止まり空を見上げる。まだ日は登っていて、白い雲がゆっくりと流れていた。絵に描いたように爽やかな空模様だったが、それを見上げる僕の心はどんよりと曇っている。意味も無く、目頭が熱くなるのを感じた。
「……あー。」
小さいながら声を出してみると、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
僕は鼻をすすり、再び歩き始める。もう少し先の話にはなるが皆離れ離れになるのだと思うと、妙に寂しさを感じる帰り道だった。




