賭けと課題
放課後の部室にて。僕と正子先輩がオセロに興じている横で、部長はひとり唸り声をあげていた。因みに、僕は今回おかしな話し方をせずに普通に遊んでいる。
部長が座っている机の上には、数学の問題集とノートが広げられている。
「ねぇ先輩……。」
僕は正子先輩に耳打ちする。
「んふふ、耳元で囁かれるとゾクゾクしてくるね……。」
先輩は目を閉じ、恍惚とした表情を浮かべていた。僕なんかの耳打ちでそんな状態にならないで欲しい。
そんな事はどうでもよく、僕は続ける。
「部長が今やっているのって、課題ですか?」
別に課題をやっていること自体は、何もおかしくない。しかし、明日提出の課題だとして、こうも苦し気な表情をするものなのかと、少し疑問に思ったのだ。
余程課題の量が多いのか、部長が数学を代の苦手としているのか。いったいどちらだろうか。
「あぁ、旭のあれね……。」
彼女は部長の方へ顔を向け、苦笑いを浮かべる。
「キミの予想通り、あれは数学の課題だよ。今日が提出期限の、ね。」
正子先輩は溜息交じりに続ける。
「今のところ進捗は二割ってところかな?まぁ頑張ってやれば、今日中には終わると思うよ。」
「いや、今日提出の課題なら、昨日か今日の朝までに終わってないと駄目でしょうよ。」
僕も決して勤勉な訳ではないが、課題の提出期限は守っている。テストの点数はそこそこで、それだけが強みの男だ。
「ふふん、甘いわね優君。我が家で作るシュガートーストくらい甘いわ。」
僕達が話していると、部長が突然立ち上がり人差し指を僕に向けてくる。
部長は何故か得意気な表情をしているが、触れなくてもいいだろう。取り敢えず、安易なところから突っ込んでいくことにする。
「部長の家のシュガートーストは食べたことが無いので分かりませんよ。」
僕がそう言うと、正子先輩が横から口を挟む。
「因みに、私は一度食べたことがあるが、あれは凄いよ。甘さの暴力とでも言える代物だ。後頭部を思い切り殴られた様な衝撃だった……。」
そう話す先輩は遠い目をしている。そんな悪魔のような食べ物よりも、僕の発言は甘かったのか。
驚愕する僕に、部長は親指を立てる。
「課題なんて物はね、期限を過ぎて先生に怒られてからが本番なのよ。」
「一般的な学生は怒られる前に提出するんですよ。部長の本番は試合終了なんですよ。」
「なにおう……。」
部長は握り拳を固め、反論を試みているようだ。しかし言葉が出てこないのか、すぐに拳を解いた。
正子先輩は容赦なくオセロ版を黒く染めている。もう少し手心をと思ったが、本気で戦ってくれていると思うと、これで良いのだとも感じた。部長はいつの間にか椅子に座り、黙々と課題に取り組んでいる。
暫しの沈黙が、遊興同好会の部室に流れた。
「あ、良い事を思い付いたわ。」
そう声を上げると、部長が勢いよく立ち上がった。そして細い指で握ったペンを、正子先輩に向ける。
「正子、私と勝負をしましょう。私が勝ったら、貴方は課題を手伝う。貴方が勝ったら、私は大人しく課題に取り組むわ。」
黙って聞いていたが、正子先輩に何のメリットも無い賭けだ。
「私に何のリターンも無いじゃないか……。」
僕と同様、先輩も条件に対して不満を漏らす。断っても誰も文句は言わないのだろうが、どうするのだろうか。僕は口を噤んで、二人の動向を見守ることにした。
正子先輩は人差し指を唇に当て、考える仕草を見せる。妙に色っぽいが、僕は気にしないフリをしている。数秒間考える仕草をした後、先輩はスッと立ち上がった。
「良いよ、やろうか。」
そんな彼女の言葉に驚いたのは、誰でもない提案した部長自身だった。
「あら、本当にいいのかしら。自分で言うのもなんだけど、リスクとリターンが見合わない勝負よ?」
急にしおらしくなった部長の言葉に、正子先輩は微笑みを浮かべつつ答える。
「別にいいさ。丁度、可愛い後輩との勝負も終わって手が空いたところなんだ。」
先輩の言葉を聞き机に目線を落とすと、オセロ盤は真っ黒に染まっていた。
部長の様子を伺いつつオセロをしていると、いつの間にか白の石はひとつも無くなっている。数えるまでも無い完敗だ。ひっそりと肩を落とす僕を他所に、部長と正子先輩は向かい合って火花を散らし始める。
「言っておくけど、手加減は必要ないからね?」
不敵な笑みを浮かべる部長に、正子先輩は腕を組み堂々と言い放つ。
「こんな茶番している時間があるなら、課題をした方がよっぽど有意義だと思うよ。」
「言葉の方は少し手加減して欲しいかも……。」
しょぼんと小さくなる部長の背中を眺めつつ、僕は黒く染まったオセロ盤を片付ける。一色に染まっているので、片付けは簡単に済んだ。ありがたいことだが、何とも微妙な気分だ。
兎にも角にも、二人の勝負が始まる前に片付けを済ませてしまう。普段、どちらかと僕が勝負をしているので、二人の勝負はあまり見たことが無い。動機がどうであれ、見て置いて損はないだろう。




