事前挨拶
とある土曜日の午前中。
僕は大きな紙袋を片手にぶら下げて山道を登っていた。目的地である神社を、後日合宿の場所として使わせてもらうのでその挨拶の為である。紙袋意外に、携帯を含めて持ち物は一切無い。完全な手ぶらだ。
木々の隙間から差し込む日光にげんなりしつつも、僕の足取りは軽やかだった。神社に行くこと自体嫌ではなく、寧ろ仲の良い友人と会う理由が出来て嬉しいくらいだ。
古びているが清掃が行き届いている石階段を登ると、赤い鳥居がある。少しこじんまりとした印象を受けるが、風情があって良いものだ。
鳥居を抜けると、最近頻繁に通っている神社の境内に入る。
「あ、優さんこんにちは……。」
境内を放棄で掃いていた巫女装束の少女は、僕を見るなりパタパタと駆け寄って来る。
「こんにちは、白亜ちゃん。」
僕がそう言うと、神社の巫女である青嵐白亜ちゃんは控えめな笑みを浮かべた。
彼女は現在中学三年生で、来年は僕の後輩になる予定である。祖父が管理人を務めているこの神社で、お手伝いとして働いているらしい。
「本日は、どんな御用でしょうか?」
小首を傾げる少女に、僕は紙袋を手渡す。
「今度ここでお世話になるから、その挨拶をと思ってね。それと……。」
「それと、何ですか?」
不思議そうな顔をする少女から顔を逸らしつつ、僕は小さな声で呟いた。
「白亜ちゃんに会いに来た……。」
言い終えてから後悔する。親しい友人としての言葉だったが、捉え方によってはストーカーの様に聞こえてしまうかも知れない。弁明した方が良いのだろうが、気の利いた言葉も思いつかない。
考えても仕方がないと諦めて、僕は白亜ちゃんの顔を見る。彼女は驚いた様に目を見開きあんぐりと口を開けていた。頬が微かに紅く染まっている様に見えるのは、夏の日差しの所為だろうか。
ともあれ、無事にミッションを達成した僕は、拝殿の日陰に腰掛けて少し休憩する。
「あ、あの……、麦茶、良かったらどうぞ。」
白亜ちゃんが何処からか、コップを二つ乗せたお盆を持って近付いてそう話し掛けてくる。言葉遣いが妙にたどたどしい様に聞こえるのは気のせいだろうか。
「どうもありがとう。頂くよ。」
僕は受け取ったコップに口を付け、冷たい麦茶を喉に流し込む。涼しい感覚が身体を包み、すこし頭が痛くなる。これも夏の醍醐味だろう。
白亜ちゃんも僕の隣に腰掛けて、くぴくぴと麦茶を飲んでいる。
「お手伝いは良かったの?」
「あ、はい。おじいちゃんから休憩を貰いましたので。」
「それは良かった。でも、貴重な休憩時間を僕なんかと一緒に過ごさせてごめんね。」
「いえいえ。私も、その……。優さんと話したかったので……。」
言い終えてから恥ずかしくなったのか、巫女装束の袖で顔を隠している。まるで小動物の様だ。
しかし、気遣いかも知れないが彼女も嫌がってはいないみたいなので、遠慮なく雑談することにしよう。
「そう言えば、白亜ちゃんも夏休みに入っているよね?」
「ええ、なので毎日ここでお手伝いが出来ます。優さんがいつ来ても、私が対応することが出来ますよ。」
「ありがたい話だけど、お友達と遊ぶ予定とか無いの?」
「そう言うのは……ないですね……。」
低い声で項垂れる彼女を見て、余計なを聞いたと後悔する。
「予定も何も、そもそもクラスに友達もナイナイですし……。」
不思議な言葉を話す白亜ちゃんの表情は、口元は笑っていてもその瞳は遠くを見ている様だった。
彼女が暗黒面に堕ちてしまう前に、慌てて話題を変える。
「そ、そう言えば夏休みの課題はどんな感じなの?遊興同好会では活動時間を使って皆で課題をしているから、僕の課題はもうすぐ終わりそうなんだよね。」
「あ、私も毎日お暇みたいなものなので、課題も殆ど終わっています。」
「素晴らしい。優秀だね。」
「それ程でも……。」
白亜ちゃんは照れ臭そうに頭を掻く。声色や表情も元に戻ったようでひと安心だ。
それにしても正子先輩も白亜ちゃんも真面目に課題に取り組んでおり、僕も少し面倒臭がるがきちんと提出はする。そうなって来ると、いよいよ部長の肩身が狭くなってしまいそうだ。部長曰く、「課題は機嫌を過ぎて先生に怒られてからやるもの」なのだそうだ。逞しい限りであるが、それで何度も居残りさせられていたらせわしない。
来年になり白亜ちゃんが遊興同好会に入って来たら、どんな毎日になるのだろう。少なくとも、今よりも退屈することは無いだろうが。そんな不確定な未来を妄想しつつ、僕は空を見上げる。
空は清々しい程の快晴。早く流れていく雲が、何と言えない良い気分にさせてくれる。
「麦茶、お代わりはいかがですか?」
昔ながらの麦茶ポットを片手に、白亜ちゃんはそう話し掛けてくる。見てみると、僕が手に持っていたコップはいつの間にか空になってしまっていた。
「あぁ、頂いてもいいかな?」
「勿論です。」
そう言いつつコップに麦茶を注ぐ白亜ちゃんを見て、「恋人と言うより夫婦の様に見えるな。」なんて失礼な想像を巡らせていると、彼女が照れ臭そうに口を開く。
「何だか夫婦みたいですね、私達。」
「……丁度僕も同じことを考えていたよ。」
僕達は顔を見合わせて、小さく笑った。
絆が深まっていることを実感した嬉しさと、幼稚な妄想をしていた気恥ずかしさで笑うことしか出来なかった。恐らく彼女も同じだろう。
夏の暑い風が、不思議と心地よく感じられた。




