アイラヴユー
ある休日の夜。蒸し暑さがあるが、満月がはっきりと見える夜のこと。
僕はひとり机に向かい、すぐそこまで迫った夏休みの課題に取り組んでいた。まだ終業式も終わっていないが、幾つかの教科は既に消化している。かなり順調に進んでいると言えるだろう。
時刻は午後九時半。机の上には、数学の課題が広げられている。苦手な教科だけに、進捗はあまりよろしくない。
一問解いては悩み、一問解いては悩みの繰り返しである。好きでも無い事について真剣に考えていると、無意識に姿勢が悪くなっていく。腰は曲がるし足は開く、挙句机に肘を付き無造作に頭を掻きむしる。
数学の課題を解いている時の僕は、決して見良いものでは無かった。
「ねえコール。少し良いかな?」
問題に煮詰まった僕は、机の上に置いていた携帯に向かって声を掛ける。
僕の言葉に呼応するように携帯の画面が白い光を帯びる。真っ白な画面には、やがて青い髪を後ろに束ねた美少女が表示される。
『お呼びでしょうか?優。』
自称高性能アンドロイドのコールは抑揚の無い声でそう話す。僕は携帯のカメラを問題集に向けつつ、彼女に質問をする。
「この問題の解き方を教えて欲しいんだけど。解るかな?」
『かしこまりました。少々お待ちください。』
そう言った数秒後、携帯の画面に公式が表示される。
『この問題は、此方の公式を当てはめると答えに辿り着きます。」
「そうか、どうもありがとう。」
僕はそう礼を言い、携帯を机の上に置く。
画面の向こうでは、コールが誇らしげな顔をしている。
『困った事があったら、いつでもワタシにご相談ください。高性能アンドロイドである、このワタシに。」
そう言って胸を張る彼女の言葉を聞き流しつつt、僕は提示された公式に問題に出た数字を当てはめる。
こうして時折コールにアドバイスを貰いつつ、僕は問題を解き進める。アドバイスをくれる人材がいると、苦手な物でも捗るものだ。解いた問題を見返しつつ、僕は小さな声で呟く。
「中学生の頃から、数学の文章問題は苦手なんだよね。解くための数式も自分で書かないといけないじゃない。それで出した式が間違っていたら落ち込むし……。」
『文章問題の解き方は、求められているものを明確化して、それを出すための式を用意すれば良いのです。』
「それが出来れば苦労はしないんだ……。」
溜息交じりにそう言い、僕はペンを置く。
課題の進み具合は三割程度だが、夏休み前と考えれば上場だろう。
「ちょっと疲れたし、一旦課題はお終いにして休もうかなぁ……。」
身体を伸ばしつつ、独り言の様に呟く。
聞こえていなかったのか、反応するまでも無いと考えたのか、コールは何も言わず画面の中に立っていた。
僕は楽することに置いては有言実行する男である。お終いにすると言ったら、今日はもう店じまいだ。
素早い手付きで問題集を片付けて、携帯片手にベッドの上に横になる。
『今日はもうお開きでしょうか。でしたら、電気を消して睡眠を取ることを推奨します。』
僕の健康を気遣ってくれるコールの言葉に、僕は難色を示した。
「まだ十時でしょう。明日も休みだし、寝るにはまだ早いんじゃないかな?」
『高校一年生であれば、まだ身体は成長期の真っただ中です。睡眠は多くとっていて問題ないかと……。』
勿論、どんなものでもやり過ぎは良くないですが。と、そう付け加えて彼女は困ったような表情を浮かべた。
「あと一時間くらいなら、起きていても問題ないでしょ?」
『ええ、そのくらいであれば問題ありませんが。』
「それなら、僕は十一時まで起きておくから、コールも付き合ってよ。」
『かしこまりました。』
彼女の了承を得て、僕は一時間の自由時間を手に入れた。
ベッドの上で、何をしたものかと考える。運動や芸術などの趣味は無い。加えて遊興に入るまでは、ゲームの類もあまりやっていなかった。無趣味な故、いざ自由を手に入れると戸惑ってしまうのだ。
自分が何をしたいのかも分からない。しかし、何もしないのは勿体ない。そんなおかしな思考に陥った僕は、おもむろに携帯を掴み自室の窓から空を見上げた。
「今夜は満月だよ、コール。雲もなくて、月が綺麗だね。」
夏の月夜に趣を感じようと言う意図での発言だったが、コールの反応は微妙なものだった。
『優。ワタシを思って下さるのは非常にありがたいのですが、画面の向こうの存在であるワタシでは、アナタの言葉に応えることが出来ません。』
「うん……うん?あぁ、そう言うことか……。」
彼女の言葉を理解できなかったが、自分の発言を思い返してその意味を理解した。
月が綺麗だね。と言う僕の発言。かの夏目漱石がアイラヴユーを月が綺麗ですねと訳したように、僕の発言を愛の告白の様に解釈したのだろう。
意図せぬままに告白して、振られてしまったワケだ。振られたことは別に良いとして、僕は自身の発言を弁明する。
「こーる、さっきの言葉にそう言う意図は無くて……。本当に満月が綺麗だって言いたかったんだ。」
慌てて言葉を並べる僕に、画面の向こうの美少女はおかしそうに笑った。
『分かっていますよ。少し揶揄ってみただけです。尤も、私に現実の肉体があれば、アナタにの言葉対する解釈も変わって来るのでしょうがね。』
その発言の真意を理解しかねたまま、僕は部屋の電気を消し布団に入った。




