行く予定の無い祭りの予定
放課後の部室。僕はいつもの席で早めに配られた夏休みの課題に取り組んでおり、正子先輩はいつもの席で読書に耽っていた。この日彼女が呼んでいるのはハードカバーの小説だろうか。表紙のタイトルが英文で書いてあるのでよく分からない。
今日は部長の姿が見当たらないので、部室の中には心地良い沈黙が流れていた。僕と正子先輩の仲だ。少し会話が無いくらいで、気まずさを感じる事はない。
しかし、部長が来ていない理由が分からない。テスト前の課題であれば、期日前に終わらせて提出しているはずだ。なので、普段の理由は当てはまらない。とは言え、他の理由に見当もついていないのが現状だ。
正子先輩からは、部長が少し遅れてくるとしか伝えられていない。遅れてくると言うことは、来ない訳ではないのだろう。
暫くの沈黙の後、本を閉じた先輩が僕に向かって声を掛ける。
「今日は静かだね、優君。」
「確かに、部長がいないからですかね……。」
課題から顔をあげて、僕は先輩の方に目を向ける。
正子先輩はゆっくりと立ち上がり、僕に近づいてきた。
「ねぇ優君。旭が遅れている理由、気にならない?」
先輩は怪しげな笑みを浮かべ、僕の耳元で囁いてくる。鳥肌が立ち、背筋がピンと張る。
「それは、まぁ多少なりと気になりますけど……。」
曖昧な返事をする僕を横目に、先輩は目の前の席に腰掛ける。
覗き込むように顔を近付ける先輩は、その艶めいた唇を動かし言葉を発する。
「今度の土曜日、近所の商店街が主体で夏祭りがある事は知っているかな?」
「ええ。この街に住んでいますから、毎年話を聞いていますよ。」
夏祭り。最後に行ったのは、小学校六年生の時だろうか。あの時は独りぼっちで、ひと通り屋台を見回して何も買わずに帰宅した記憶がある。
因みに、夏祭りだからと渡されたお小遣いはしっかりと回収された。誤魔化そうにも、僕の頭では気の利いた嘘が思いつかなかった。
そんなほろ苦い思い出を振り返っていると、正子先輩が再び口を開いた。
「旭が遅れている理由がね、関係しているんだよ。そのお祭りとね……。」
「夏祭りの所為で、先輩が遅れている……。」
考えるまでも無く、答えが分かったような気がした。
恐らく部長は同学年の男子生徒から呼び出しを受けて居るのだろう。言ってしまえば、デートのお誘いだ。その為、部室に来るのが遅れている、そう予想がついた。
僕が考え終えるのを待っていたように、正子先輩はひとつ提案をした。
「ところで優君。今から私と勝負をしないかい?」
唐突な提案だった。しかし、僕に断る理由は無い。
「……勝負の内容は何ですか?」
そう聞いてみると、先輩は椅子の背もたれに身体を預けて、三度口を開く。
「キミも察している通り、旭は今クラスの男子に呼び出されている。内容は勿論、夏祭りでえとのお誘いだ。もしかしたら、複数人で遊びに行こうと言う類の誘いかも知れないけどね。」
「それは……まぁ予想はついていましたよ。」
「そして、相手は何と野球部の鈴木君だ。」
「それは分からないですけど……。」
鈴木先輩がどんな人なのかは分からないが、正子先輩の口振りからして凄い人なのだろう。
「前情報を入れたところで、優君。私と勝負をしよう。」
正子先輩はおもむろに立ち上がり、高らかに言い放つと同時に細い指で僕を指差す。
「ルールは簡単。旭が鈴木君の誘いを受けるかどうかを賭けるんだ。ペナルティは、ジュース一本で良いや。」
そう言い終えると、先輩は椅子に腰を下ろす。
「さて、優君はどちらに賭けるのかな?私から仕掛けた勝負だし、先に選ぶ権利をあげるよ。」
「お言葉に甘えて……。」
一応考える素振りを見せてはみるが、僕の答えは既に決まっていた。
「僕は先輩の言葉を信じますよ。部長はまだ恋愛をする気はない。よって、鈴木先輩の誘いは受けない。」
「ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサー。です。」
「それじゃあ、私は鈴木君のポテンシャルを信じる事にしよう。旭は彼の誘いを受けると予想しよう。」
暫くして、部室の扉が勢いよく開いた。
「お待たせ。ちょっと野暮用があってさ……。」
息を切らしながら入室する部長に、僕と正子先輩は詰め寄った。
「部長、鈴木先輩の誘いは受けたんですか?」
「え、何?何のこと……。」
困惑の表情を浮かべる部長に、先輩が冷たく言い放つ。
「とぼける必要は無いよ。もう私達は知っているんだ。言い訳も過程もいらない。結果だけを教えてくれればいい。さぁ、彼の誘いに乗ったのか沿ったのか。どうなんだ。」
真剣な表情で詰め寄る先輩に、部長は震えた声で答えた。
「断ったわよ。彼には申し訳ないけれど、夏祭りもいくつもりは無いもの。」
「そうか……。」
先輩は部長の肩に手を置き、大きく息を吐いた。
顔を上げた正子先輩は僕の方に視線を向け、優しい笑みを浮かべる。
「どうやら私の負けの様だね。早速だけど、ジュースを買いに行こうか。キミもついて来て、好きなの選んでね。」
「はい、御馳走になります。」
「え、え……。二人とも、何の話をしているの?」
訳が分からないと言った表情を浮かべる部長を置いて、僕達は部室を後にする。
「ちょっと待ってよ。私を置いて行かないでよ……。何があったのか話なさい。話せ、待てっ。」
声を荒げて追いかけてくる部長を見て、僕と先輩は駆け足で廊下を掛けていくのだった。




