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リスクとリターン

 放課後の部室。僕が黙々と課題に取り組んでいると、(しょうし)子先輩が近付いてきた。

「ねぇ(ゆう)君。今から私と勝負しないかな?」

彼女の手には、少し大きな板が握られている。僕はノートから顔を上げて、口を開く。

「将棋、ですか……。」

正子先輩の手に握られているのは、縦九横九の合計八十一マスで区切られたもの。一般的な名称ならば、将棋盤と呼ばれている。そんな代物だ。

 僕の呟きにも似た言葉に対し、正子先輩は得意気に話す。

「お察しの通り、将棋さ。ルールは、説明せずとも分かるだろう?」

「えぇ、勿論将棋のルールくらい心得ていますよ。にしても、普段は誘われないとずっと読書をしている正子先輩から誘ってくるなんて……。珍しいですね。」

「私だって、たまには可愛い後輩と遊びたいのさ。それで、キミは私と遊んでくれるのかな?」

正子先輩は将棋盤を胸に抱き、僕の顔を覗き込んで来る。高校生とは思えない綺麗な顔で迫られると、断ることが出来ない。全く、厄介な先輩と知り合ったものだと心底そう思う。

「僕で良ければ、お相手させて頂きます。しかしやるからには手加減は出来ませんよ。」

「ふふ、誰にものを言っているのさ。」

正子先輩は黒い手袋を着け直しながら、不敵な笑みを浮かべる。僕も大概好戦的だが、彼女もそのようだ。部長に誘われて入った遊興同行会だが、案外僕の性格に合っているのかも知れない。

「そう言えば、今日は部長を見かけませんが……。」

「あぁ。(あさひ)なら、多分まだ教室に居ると思うよ。何をしているかと聞かれれば、積もり積もった課題をしている。何故かと聞かれれば、何故なのだろうね。」

そう話す正子先輩は遠い目をしていた。

 ともあれ僕達は、机に置いた将棋盤を置き向かい合った。

「私が王将を持って良いのかな?いや、将棋に置いて王も玉も差は無いのだけど……。」

「良いですよ。目上の人が王将を持つのが道理でしょう。詳しい事は分からないですが……。」

「にわか知識だね。お互いに、浅い知識を抱えて生きて行こう。」

彼女は悟ったようなことを言いつつ、歩の駒を五つ手に取る。

「振り駒って言うんだったかな。歩が多ければ私の先手でいいのかな。」

「間違いは無いと思います。」

「それじゃあ、ほっ。」

艶めかしい声と共に、彼女の手から五つの駒が滑り落ちる。

 駒は将棋盤の上で軽く跳ねて、やがて静止した。歩が四つと、と金がひとつだ。

「私の先手だね。さっさと駒を並べてしまおう。」

「はい。あ、金三枚あるので一枚渡しますね。」

 駒を全て並べ終えた後、姿勢を正して互いに深くお辞儀をする。

「お願いします。」

「お願いします。」

にわか知識だが、日本由来の遊びは礼に始まり礼に終わる。そんな勝手なイメージがある。

 先輩は角の斜め前にある歩を前に進め、僕は香車の前にある歩を進めていく。駒を進めつつ、正子先輩が口を開く。

「今更だけど、まだ罰ゲームを決めてなかったね。どうしようか……。」

「たまには罰ゲームの無い、平和なゲームでも良いんじゃないですか?」

僕の提案に、彼女は小さく首を傾げる。

「敗北が許されるゲームなんて、面白味に欠けると思わない?リスクとリターン、決して釣り合うことの無いそれらを天秤にかけて天に祈る。勝負の醍醐味じゃないかな。」

「まぁ、分からない事はないですが……。」

射幸心と言うものだろうか。一定の刺激に慣れてしまうと、もっと大きな刺激を求めてしまう。ギャンブラーの本能と言うやつなのか。

「それで、どうしますか?罰ゲーム。」

「そうだね……。あ、良い事を思い付いたよ。」

角を僕の陣地に侵入させつつ、先輩は悪い笑みを浮かべる。

「この勝負キミが勝ったのなら、今日は私の事を好きにしていいよ。」

「え、好きにって……。」

「その代わり、私が勝ったらキミが心に秘めている恥ずかしい話のひとつでもしてもらおうかな。」

竜馬と成った角の射程から玉を逃がしつつ、僕は考える。

 恥ずかしい話。無いと言えば嘘になる。思い出したくない事だって山ほどある。そんな黒歴史とも言える記憶と、先輩の身体を天秤にかける。僕に選択の余地はなかった。

「まさにリスクとリターンですね。良いですよ。もし僕が勝ったら、膝枕でもやってもらいますから。」

「膝枕ね、そのくらいのことならいつでも……。いや、良いよ。キミが勝利したら膝枕して、本の読み聞かせでもしてあげよう。さて、勝負を続けようか。」

正子先輩は竜馬を停止させて飛車を軽快に走らせる。僕は玉の安全を確保しつつ、先輩の歩を取る。一見不利に見える戦況だが、まだ勝機がある筈だ。僕は盤面を睨みつけ、思考を巡らせる。先輩の一手が数秒なのに対し、僕の一手は数十秒の時間を要していた。それ程までに、僕は真剣に勝負に取り組んでいた。

 数分後。僕は玉と数体の歩を残し壊滅した自陣を見降ろし、ただひたすらに呆然としていた。

「はい、これで王手だね。もう少し遊んでも良かったけれど、生憎勝ちを確信したからと言って無駄な手を打つ趣味は無いんだ。」

正子先輩の金が玉の目の前に置かれる。金を取ったら、背後に構えている香車に取られる。後方に逃げたなら、回り込んでいる竜王と竜馬の射程に入る。もはや打つ手なしだろう。

「参りました……。」

僕は深々と頭を下げる。文句なしの完敗だ。

「潔いね。感想戦は、いらないか。私も途中の手なんて覚えていないし。それより……。」

正子先輩は悪い笑みを浮かべて、金を僕に向ける。

「聞かせて貰おうかな、キミの恥ずかしい話。簡単なもので良いよ、親睦を深めるための会話とでも思ってくれたらいい。」

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