賽の目
昼休み。教室で昼食を取り終えた僕は、いつもの様に部室に訪れていた。
僕の他に誰もいない部室と言うのは、普段ない静けさで中々良いものだ。
「あら、優君も来たのね。」
部室の扉を開けると、部長からそう声を掛けられた。
部長はいつもの席に座り、その手には文庫本が開かれている。
「部長、こんにちは……。」
「こんにちは。今日は雨も弱くて、過ごしやすいね。」
そう微笑みかけてくる部長に、僕は質問する。
「珍しいですね。昼休みにここに来るなんて……。」
「ええ、今日はそう言う気分でね……。」
彼女はそう言うと、文庫本を閉じてゆっくりと立ち上がった。
入口で突っ立っている僕に、部長はさりげなく近づきそっと肩に触れる。
「さてさて、時に優君。折角二人きりになったんだし……、やりましょうか?」
彼女は控えめな口調で、耳元で囁いてきた。生暖かい息が耳に掛かり、背筋がゾクゾクとする。
身体がピンと伸びた僕の目の前に、部長は手の平を差し出してくる。
「サイコロ、ですか……?」
彼女の手の平の上には、小さなサイコロがひとつ乗せられていた。汚れも掛けも無い、真っ白な四角形の各面に赤い点が刻まれている。角は少し丸みを帯びているのは、安全性を考慮してのことだろうか。
「そう、サイコロ。これを使って私と勝負しましょう。ルールは簡単、このサイコロを振って、出た目が偶数なら私の勝ち。奇数なら貴方の勝ちよ。」
部長は右手の人差し指と中指でサイコロを挟みつつ、シリアスな雰囲気を醸し出している。
何だか緊張感のあるワンシーンの様だが、その実大したことない昼休みの一幕である。
部長が手短な勝負を提案してくる時は、決まって何か頼み事をしたい時だ。正子先輩には課題を見せて欲しいと言ってみたり、僕には代わりに図書室に本を返しに行ってと言ってみたり。頼ってもらえる分には嬉しいのだが、それで良いのだろうか。
「良いですけど、罰ゲームはどうしますか?」
先回りしてそう聞いてみると、部長は得意気な笑みを浮かべる。
「流石は優君、察しが良いわね。この環境に染まって来たと言うことかしら。」
褒められているのか、よく分からない言い方だ。
「罰ゲームと言っても、そう難しい事じゃあないわよ。貴方が勝ったら、何でもしてあげる。」
「何でも……。」
「そう、何でも。貴方がひと声かければジュースを買いに行くし、漫画雑誌買ったら一番に読ませてあげるわ。」
「……あぁ、そういう何でも、ですか……。」
「ええ、他にどういう何でもがあるのよ?」
「いえ、何も無いですけど……。無い事もないですけど……。」
彼女に聞こえない様に、ポツリと呟く。一瞬よからぬ妄想をした自分を殴りたい気分だ。
「それで、部長が勝ったらどうなるんですか?」
「それは、私が勝ったら教えるわね。」
部長は笑みを浮かべてそう言った。
気を取り直して、勝負開始だ。僕達は部室の中心に立ち、机を挟んで向かい合う。
「確認しますね。サイコロを振るのは一回で、部長が振る。その結果で勝敗を決める、これで間違いないですか?」
「ええ、間違いないわ。早速だけど、決着を付けるわよ。」
部長は高らかに言い放ち、机の上にそっとサイコロを転がす。
カランと音が鳴り、卓上でサイコロが回る。そして机の中心で制止した。
僕達は頭を突き合わせて、サイコロの目を確認する。
「四、偶数ですか……。僕の負けですね。」
「ふふ、どうやら私の勝ちの様ね。」
文字通り勝ち誇った顔で、部長は言う。その拍子に。茶色が勝った髪が揺れた。
部長は黙っていれば大人びた美人なのだが、普段の言動からどうしても幼く見えてしまう。寧ろ、僕より年下である青嵐さんの方が大人びている印象だ。
「それで、罰ゲームはどうしますか?購買のスイーツでも買ってくれば良いんですかね?」
失礼な思考を振り払う様にして、僕は部長に質問する。
部長は僕の言葉に対し、首をふるふると横に振る。
「それも頼みたいけれど、そうじゃないの。優君には、金銭的にも肉体的にも負担は無いわ。ただ……。」
「ただ……、何ですか?」
そう聞く僕に、部長は小さな声で囁く。
「昼休みの前に、ここで匿って欲しいの。」
予想外の要求に、思わず困惑してしまう。
「一体どうしたんですか部長。もしかして、悪者にでも追われているんですか?」
「悪者と言うより、警察に近いかも逸れないわね。非常に厄介な相手よ……。」
部長がそう言い終わると、部室の扉が勢いよく開いた。
部室の入り口には、正子先輩がやんごとなき表情で立っている。
「優君、突然で悪いんだけど旭を見ていない?先生から呼び出されているんだけど……。」
「え、部長なら……あれ?」
横を見ると、いつの間にか部長は姿を消していた。何処に行ったかと教室内を見渡すと、入口からは見えない机の下に隠れた部長と目が合った。
彼女は人差し指を唇に当て、シーとジェスチャーをする。
「……部長なら、さっきまでいましたけどもう出て行きましたよ。」
「そう、ありがとう。それじゃあ……。」
正子先輩は早口に礼を言うと、部室の扉を閉めた。
足音が遠くなったのを確認し、部長は机から顔を出す。
「黙っててくれてありがとう。」
「いいですけど、後で謝らないとですよ。」
「その時は、優君も一緒に謝ってくれないかしら。」
部長はそう言うと、可愛らしく舌を出した。




