こわいもの
他後の部室。連日の雨で、部長の顔は絶望に染まっていた。
先日までは何とか人の形を保っていたが、この日はまるで泥の様になってしまっている。
「正子先輩、大丈夫なんですか?あの、部長……?」
何となく放っておけないのだが、どうすれば良いのか分からないので、上機嫌に文庫本を読んでいる正子先輩に助けを求める事にした。
「旭のこと?あれはもう、時間が、と言うか季節が解決してくれるのを待つしかないんじゃないかな?」
先輩は文庫本から顔を上げ、困ったような苦笑いを浮かべる。
「去年もこう言う風になってね……。あれこれ試してみたけれど、大して効果は無かったんだ。まぁなんだ。梅雨が明ければ元に戻るから、季節限定の妖怪とでも思えばいいよ。」
「誰が妖怪よ。」
部長らしきものが抗議の声を発する。
ここ数日間、ひと言も話していなかったので声を出してくれて少し安心した。
「部長、言葉を忘れていなかったんですね。」
「失礼ね。優君も私の事を妖怪だとか思っているんでしょう?」
雨で気分が落ち込んでいるからと言って、見た目まで泥の様になってしまうのは妖怪の類ではないだろうか。そう考えたが、心の内に留めておくことにした。
雨音が響く部室。部長はおもむろに話し始めた。
「良い機会だから、貴方達に私の好みではないものベストスリーを教えてあげましょう。」
「好みではないもの?嫌いな物じゃないんですか?」
僕の疑問に、部長らしきものが言葉を返す。
「意味は大体同じだけど、嫌いなんて言ったら可哀想じゃないの。」
「おっしゃる通りです……。」
部長なりの優しさなのだろうが、概念的なものに気を遣っても仕方がないのではないだろうか。
それはそうと、部長らしきものは話を再開する。
「まずひとつ目は……。どるるるるる……。」
ドラムロールのつもりなのだろうが、覇気も無く舌足らずなので微笑ましく見えてしまう。
「ででん、梅雨。私は昔から梅雨があまり好きではないわ。」
「その態度を見ていれば分かりますよ。湿気が嫌なんですか?雨が嫌なんですか?」
「その両方よ。湿気の所為で毛先も整わないし、色んな事に対してやる気も出ない。課題も進まない。」
「それはいつものことだろう?」
「うるさいやい……。」
部長らしきものの瞳が、気怠そうに正子先輩を睨みつける。対する先輩は知らん顔して窓の外に目を向けた。
徐々に人の形を取り戻して来た先輩は、コホンと咳払いをして話を続ける。
「雨で気分が憂鬱になるのには、もうひとつ理由があってね……。気圧の変化による偏頭痛が辛いのよ……。」
「僕は偏頭痛もちではないので、何とも言えませんね。」
「私もだ。可哀想には思うが、同乗することは出来ない。」
「なんだ貴様ら。」
部長らしきものの口調が変わった。妖怪変化であれば、そろそろ正体を現すのではないだろうか。
話を戻す。だいぶ人の形に戻って来た部長は気を取り直して、好ましくないものの二つ目を発表する。
「二つ目は……。ででん、学校の課題。」
予想は出来ていたが、僕にはそれより突っ込みたいところがあった。
「ドラムロールはもうやらないんですか?」
「ええ。私も出来るかなと思ったけれど、あまり上手くいかなかったから今日は辞めておくわ。上達したらまた披露するわね。」
そう言うことなら、披露してくれる日を待つことにしよう。
「課題は、何が嫌なんですか?」
「課題って、面倒じゃない。それに、やらなかったら怒られるし……。」
「課題をせずに、怒られるのは当たり前だろう。」
正子先輩が文庫本から顔を上げずにそう突っ込む。どう言う訳か分からないが、部長の課題嫌いは筋金入りなようだ。
話している内にすっかり元の姿に戻った部長は、まだ若干怠そうな口調で三つ目を発表する。
「三つ目は……。ででん、お団子よ。」
「お団子……、ですか……?」
あまりにも意外なものだったので、思わず聞き返してしまう。
部長は芝居がかった口調で話しを続ける。
「ええ、お団子よ。三つのまん丸が串に刺さって、たっぷりの餡子が乗っているとなお恐ろしいわね。」
ワザとらしく身を震わせる部長を見て、僕は首を傾げた。
「でも部長、この前の梅見会でお団子を持って来ていなかったですか?それも餡子がたっぷり乗ったやつ。」
「あ、あれ……。そうだったかしら……?」
部長はまごつきつつ目を逸らす。頭の上にクエスチョンを浮かべる僕に、正子先輩が説明してくれた。
「優君の疑問は間違っていないよ。旭は和菓子、特に餡団子が大好物なんだ。」
「それじゃあ、どうして好みではないなんて言ったんですか?」
更に疑問を浮かべる僕に対し、先輩は微笑みを浮かべてさらに口を開く。
「優君は、落語の『饅頭怖い』って知っているかな?」
「えっと……。饅頭が怖いという男を怖がらせるために、友人が夜中に男の家に饅頭を投げ入れる話ですよね。しかし蓋を開けると、男は饅頭が大好きだったと……。」
「そう言うことだよ。旭は好物を苦手なものとすることで、今後あるかも知れない罰ゲームを実質的に回避しようとしたわけだ。雨で元気がないかと思ったら、頭はしっかり回っていたみたいだね。」
文庫本を膝に置きそう話す先輩を見て、部長は机に伏したまま頬を膨らませていた。




