芸術的感性について
放課後の部室。部長はまた職員室に呼び出されたらしく、部室に来ていなかった。
僕は机に座り図書室で借りたライトノベルを読み、正子先輩は窓際でノートを膝に置き何か書いている様だった。
「正子先輩、何やっているんですか?」
ライトノベルも章をひとつ読み終え一区切りした僕は、席を立ち先輩の元へ歩み寄る。
正子先輩はノートから顔を上げると、背後に立っていた僕の顔をじっと見据えたた。
「優君、読書はもう良いのかな?」
「ええ、折角の部活ですので……。続きは家に帰ってから読むことにします。」
「そうか。私は今、絵を描いているんだよ。」
「絵、ですか……?」
僕は思わず聞き返してしまう。遊興同好会に入って一ヶ月と少し経つが、正子先輩が部室で絵を描いているところを見たことが無い。主に読書に耽っていて、時折課題に取り組んでいたりゲームをしていたりもするが、絵を描いているのはこの日が始めてだ。
正子先輩は何を描いているのだろうか。窓の向こうに広がる風景や教室の一部だろうか。それとも自身の頭の中にある空想上の景色だろうか。
「気になるの?私が描いている絵。」
僕の心情を感じ取ったのか、先輩が僕の顔を覗き込んで来る。
「ええ、まぁ……。普段描いている姿を見ないので、何を想い、描いているのかが気になりますね。」
隠すほどの本心でも無いので、僕は所時期に白状した。
そうか。僕の言葉に対し先輩はそう呟くと、手に持っていたペンを制服の胸ポケットにしまう。
「見てみる?これはまだ、描いている途中のものだけど……。」
「是非、お願いします。」
彼女の提案に、僕は強く頷いた。珍しく強く鼓動する好奇心の為だった。
そんな僕の様子を見て、正子先輩は呆れた様な苦笑いを浮かべてる。
「別に、人様に見せられるような代物ではないんだけどね……。」
そう言いつつ、彼女は膝の上に乗せたノートを僕に手渡す。別に大層なスケッチブックの様な物ではない、授業で使っている様なごく普通のノートだった。
「今描いていたのは、窓から見える風景を私なりに表現したもの。言ってしまえば自己満足な芸術だね。」
彼女が描いていたのは、風景がだったようだ。
「ありがとうございます。拝見させていただきます。」
僕は仰々しい態度で、ノートを受け取る。そんな態度がおかしかったのか、先輩はくすりと笑い声を立てる。
「価値のある美術品と言う訳でもないしコンクールに出す様な作品でもないのだから、もっと気楽に持ってくれていいんだよ。まぁ、グシャリと掴まれてしまうと少し悲しいけれどね……。」
「それは勿論。先輩からの預かりものを乱雑に扱う様な事はしませんよ。」
ノートを持つ手を胸元に引き寄せつつ、僕はそう言葉を返す。
正子先輩は一体どんな絵を描いているんだろう。そんな疑問を抱く反面、見た事も無い彼女の画力に関しては大きな信頼を持っている自分がいる。先輩は僕や部長の筆跡を綺麗に真似することが出来る人だ。風景画もより写実的に、より繊細に描かれているに違いない。
ある種の安心感を抱きながらノートを開いた僕は、驚きのあまり目を見開いた。
ノートに描かれていたのは、おおよそ風景がとは言えない様な何かだった。線が歪み長さがバラついた窓らしきものの奥には、校舎の二階から見降ろした風景であろう何かが広がっていた。
校庭に生えている大きな木は奇妙にねじ曲がり、住宅地はより曖昧に家なのか河原の石なのか迷ってしまう。僕の低能な思考でこの絵を言語化するなら、地獄の一丁目の様な何処か見る人の不安を煽る歪さがあった。
「その、どうかな……?」
言葉を失っている僕を見て、先輩は控えめに問い掛けてくる。
何と答えたものか。僕は大して優秀でもない脳を回転させる。
決して下手な絵ではない。しかし上手い絵かと言われると、どうしても言葉に詰まってしまう。素人意見ではあるが何処か抽象的であり、風景画としてはあまり評価できない様な気がする。どちらかと言うと現代アート、独創性や価値観への挑戦ではないだろうか。
「なんと言うか、とても良い絵だと思いますよ。」
思考を回しつつ、僕はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「少し暗い印象を受けましたが、独特で……何より見る人の心を揺さぶる絵だと思います。」
僕の言葉に、正子先輩は微笑みを浮かべた。
「そう、どうもありがとう。」
「いえ……。僕はこういう、絵を描くセンスと言うのかな?それに乏しいと思うので、表現できる人が羨ましく思います。」
「私にセンスがあると、キミはそう思うのかな?」
彼女の問いに対して、僕は少し考えてこくりと頷く。
「そう……。嬉しいよ。旭には、暗くて見ていられないと言われたからね。キミの賛辞が何より嬉しい。」
呟くようにそう話す先輩は、安堵の表情を浮かべていた。
僕は再び、先輩が描いた絵に視線を降ろす。良い絵だと常々思うのだが、やはり暗い。この絵の中に人間が居たのなら、絶望に打ちひしがれてい事だろう。部長が暗いと、見ていられないと言ったのも分かる気がする。何となく、夢に出てきそうな絵だと感じた。
「ありがとうございました。」
「どうも。」
僕は礼を言いノートを先輩に返す。そして、窓の外に広がる景色を眺めた。
どこか陰鬱とした、不安になってしまいそうな曇り空だった。




