入部初日
四月の中旬。新しい学校生活にも少しずつ慣れてきて、クラス内でも話の合う生徒同士で小さなグループが出来始める時期。
多少なりと会話を交わすクラスメイトは各々部活動に入り、僕はひとり放課後の時間を持て余していた。趣味だと胸を張れることも無く、家に帰っても課題以外特にやる事も無い。そんな僕は、放課後になると頻繁に図書室に通っていた。読書、活字を通してその物語に触れる行為は、惰性的に日常をこなすだけの僕にとって唯一ともいえる娯楽だった。
この日も、僕は新たな物語との出会いを求めて図書室に足を運んでいた。司書の先生は放課後になると奥の準備室に引っ込んでしまい、委員会の生徒もいない。他に利用者すらいないので、この日この時間に限り図書室は僕の独壇場だった。とは言え、何かおかしなことをやる訳でもない。ただ、本を選んで借りるだけだ。
「ねぇ貴方、いつも図書室に来ているよね。」
いつも通り文庫本が並んだ棚を眺めていると、背後からそう声を掛けられた。静かだが、はっきりとした声だった。振り向くと、独りの女子生徒が立っていた。
見覚えが無いと言うことは、隣のクラスの生徒か先輩か。同級生であれば多少なりと顔に覚えがある筈なので、恐らく先輩なのだろう。しかし、どうして僕に声を掛けてきたのだろうか。
「あら、私の顔に何かついていたかな?」
僕が困惑していると、女子生徒は不思議そうに首を傾げる。
開け放しになっている窓か生暖かい風が入り、茶色掛かった髪がふわりと揺れる。
「まぁ私のことなんてどうでもいいわ。今話すべきことは、貴方についてよ。」
女子生徒は名乗りも上げず、僕の顔を指差す。
「本、好きなのかしら。それとも。読書に耽る自分が好きなのかしら?」
明るい口調だが、何処か棘のある言葉だ。そんな嫌味を言う為に、初対面である僕に声を掛けたのだろうか。
黙っていても始まらないと思い、僕はゆっくりと口を開いた。
「本が、読書が好きです。誇れるような自分であれば、今頃こんな所に居ませんから。」
「そう……。」
女子生徒は僅かに口角を上げて、一歩距離を詰めてきた。
「貴方、一年生でしょ。名前は?」
「秋月優と言います。春夏秋冬の秋に、空に昇る月。優秀の優と書きます。」
名前だけで良かったのかも知れないが、少し寂しいので補足を加えた。補足と言っても、名前の漢字以外に特に話せる事も無いのだが。
女子生徒は自身の胸に手を当て、誇らしげに口を開く。
「私は七咲旭。高校二年生よ。名前は、漢数字の七に花が咲く。それと、旭の漢字は日部に漢数字の九って言って分かるかな。」
「えぇ、まぁ。漢字一文字で旭ですよね。」
「そう。本を読んでいるからかしら、よく知っているわね。」
「ありがとうございます。」
どんな事柄でも、褒められたらお礼を言う。謙遜した方が感じは良いのかも知れないが、そんな器用さや対応力は僕には無い。日頃から人との関りが乏しい所為だろう。
それはそうと、女子生徒もとい七咲先輩は僕の肩に触れる。
「秋月君。いえ、優君。貴方の事を気に入ったわ。」
「あ、ありがとう……ございます?」
当たり障りのない返答を繰り返していると、先輩のお気に召したようだ。僕の様な人間を気に入ってしまうのであれば、彼女はどんな人間でも気に入ってしまうのではないだろうか。
「さて、時に優君。」
その言葉と同時に、先輩からにこやかな表情は消え真剣な眼差しが向けられる。
「私は貴方を、もっと刺激的で楽しい日常に招待したいと思っているわ。どうかしら。」
先輩はそう言って右手を差し出す。刺激的で楽しい日常は想像つかないが、この手を取るかどうかでこれからの日常が決まってしまう。何となく、そんな気がした。
不思議な誘いと、目の前に差し伸べられた手。僕に選択の余地は無かった。
「僕なんかをお誘い頂き光栄です。是非お願いします。」
僕は彼女の手の平に、自身の手を重ねる。暖かい感触。
同年代の異性の手に触れるのは、何年ぶりのことだろうか。記憶に無いのであれば、そんな経験は無かったのだろう。
「それじゃあ、行きましょうか。あ、本を借りるのなら借りて来て良いわよ。待っているから。」
「いえ、借りたい本も無いので行きましょう。」
「オーケー。それじゃあ、ついて来て。」
先輩に手を引かれて、図書室を後にする。人が居なくなった図書室は、明かりを灯したまま静かに僕達を見送った。手を握ったままだと言うのは、敢えて気が付かない振りをしておく。
先輩に案内されたのは、高校の二階。現在は使用されていない筈の、こじんまりとした文化部部室だった。元は何の部活をやっていたのかは分からない。しかし、学校説明の際に説明された覚えも無い。
空き教室の窓には、一枚の紙が張られている。白紙には綺麗な文字で、『遊興』と書かれている。
「遊興、ですか……。遊び耽るとか、そんな意味でしたっけ?」
「ふふ、良い言葉でしょう。宴会の席とか、大人の遊戯に使われるような言葉らしいけどね。」
先輩はそう言い、空き教室の扉に手を掛ける。鍵が掛かっていなかったのか、扉は簡単に開いた。
「ようこそ。私達の城、遊興同好会へ。」
先輩は微笑みを笑みを浮かべ、空き教室へと足を踏み入れた。
それが僕と部長との出会いであり、遊興同好会との邂逅だった。あの日の選択が、正しかったのかは今も分からない。しかし、平凡だった日常が鮮やかに色づいたことは確かな事実だろう。少なくとも、僕はそう考えている。




