身近なところから
中間テスト最終日。僕はテストの手応えもそこそこに部室に向かっていた。
テスト当初こそ手応えの無さから不安に駆られもしたが、終わってみるとまぁこんなものだと言う感覚。解放感からか達成感からか、人間の心情と言うものは不思議だと実感する。
中間テストの最終日も午前授業で、クラスメイト達はホームルームが終わるなり部活なり買い物なりと言って教室を出て行く。一斉に出口に押し寄せる人の波を見送った僕は、残って自主学習に励むクラスメイトを一瞥して教室を出て行った。
部室の扉を開けると、いつも通りの光景。先輩は窓際の席で読書に耽っており、机にトランプを広げていた部長は僕の姿を見るなり明るい表情で声を掛けてきた。
「優君お疲れ様。早速だけど、これから何か予定はあるかしら?」
「いえ、何の予定もないですけど……。家に帰っても、やる事もないですし……。」
「それなら良かった。」
部長は微笑みを浮かべて、僕の肩に腕を回す。
「ねぇ、今からお昼を食べに行かない?」
「唐突ですね。いや、別に構わないですけど……。」
「うむ宜しい。正子、優君の了承は貰ったけど、貴方はどうするの?」
窓際に視線を向ける部長の声に対し、正子先輩は顔を上げてゆっくりと口を開いた。
「私もご一緒させてもらおうかな。ところで、何処に行くつもり?」
「ふふん。それは行ってからのお楽しみよ。」
部長はそう言うと、僕の手を引き部室の扉を開いた。背後では、先輩が慌てた様子で僕達を追いかけていた。
昼下がりの商店街。部長が案内してくれたのは、昔なじみの中華料理屋だった。年季の入った看板には大きな文字で『隗より始めよ』と書かれている。故事なのだろうが、勉強不足で意味はよく分かっていない。
「このお店、結構前から通っていてね。どのメニューも美味しいのよ。」
部長はそう言いながら、引き戸をゆっくりと開く。
「いらっしゃい。何名様ですか?」
平日だからか店内は閑散としていたが、感じのいい中年女性がそう声を掛けてきた。店主らしき中年男性は調理場の方で中華鍋を振っている。他に従業員は見当たらない。今いる二人だけで切り盛りしているのか、休日のみ従業員がいるのかは分からない。
「三人です。」
部長が三本指を立てると、慣れた動作でテーブル席に案内された。
部長と先輩が隣り合わせて、僕は二人と向かい合う様にして座る。
「ご注文決まりましたら、お呼びください。」
水の入ったコップを持ってきた中年女性はそう言うと、奥の方に引っ込んで行ってしまった。
部長は礼を言い、角が捲れたメニュー表を開く。
「さてと、私はエビチリの定食セットにしようかしら。二人は何頼む?」
テーブルの中心に置かれたメニュー表を覗き込みながら、僕と先輩は口を開く。
「僕はラーメン餃子セットにしようかな……。先輩は?」
「私は餡かけ焼きそば。しかし、メニューの横に写真を付けてくれているのは親切で良いね。」
「それには同意するわ。すみませーん注文良いですか?」
部長は手を上げ、大きな声で店員を呼んだ。
注文を受けて、料理が運ばれてくるまでそう時間は掛からなかった。初めに餡かけ焼きそばが来て、次にエビチリ最後にラーメンを運ばれてきた。
「うーん、良い香りね……。」
湯気が立つテーブルを見て、部長は恍惚とした表情を浮かべる。
僕も目の前の器から香り立つ湯気を見て、口の中によだれが溜まってしまう。
「冷めないうちに食べましょう。」
僕達は手を合わせて、「いただきます。」と感謝の言葉を口にした。
ラーメンをひと口啜り、僕は目を見開いた。濃厚な香りが口の中に広がり、臭みの無いあっさりとした味わいが舌の上で踊るようだった。
「いや……凄い……。」
言葉が出てこなかった。
グルメ漫画などで美味しい食べ物を口にした時に、脳裏に材料が浮かんでくる描写があるが、それを自分で体験することになるとは夢にも思わなかった。
先輩も僕と同じ感想の様で、目を丸くして固まっている。
「あの、部長……。」
僕はやっとの思いで口を開き、部長に声を掛けた。
「メニュー表の値段を確認しても良いですか?」
「すまない旭、私にも見せて貰えないかな?」
先輩も戸惑った声でそう言った。
「ほぇ?良いけど……。どうしたのよ二人とも。」
部長は不思議そうな表情を浮かべつつも、手元にあったメニュー表を渡してくる。
僕と先輩は食い入る様に自分たちが頼んだ品物を見る。
「えっと、ラーメン餃子セットひとつ五百円……。間違いないですよね?」
「餡かけ焼きそばは四百七十円だよね。これ、ゼロがひとつ隠されていたりしない?」
「間違いないし、書いてあるお値段通りよ。本当にどうしたのよ二人とも……。」
部長は首を傾げ、困惑した笑みを浮かべている。
「いや、あまりに美味しいものだからさ。つい値段を見間違えていたのかと疑ってしまってね……。」
「本当ですよ。そこらのお店とは比べ物にならないくらい美味しさです。」
僕達の言葉を聞き、部長は嬉しそうに眼を細めた。
「そこまで言ってもらえると、誘った甲斐があったわ。ほら、早く食べないと冷めちゃうわよ。」
そう言われて、僕と先輩は慌てて箸を手に取る。
後で聞いた話だが店名の『隗より始めよ』とは身近なところから始めようとか、そんな意味の言葉らしい。




