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野良猫

 暑さも少しずつ身を顰め、比較的過ごしやすい気候になって来たある日の休日のこと。僕はひとり、目的も無く街を彷徨い歩いていた。

 テストは目前に迫っているが、自室に居ても勉強する気が起きずにこうして出てきた次第である。しかしいざ外に出てきたは良いものの、何をすれば良いのか分からない。

 時刻は午前十時頃。昼食を取るには少し早い時間帯だし、本屋に行く気分でもない。少し歩けば喫茶店があるが、財布ひとつで喫茶店に入ったとして、どうやって時間を潰したものか分からない。

 どうしたものかと途方に暮れていると、道沿いにひとつの看板が目に付いた。それは個人経営の文房具店であり、今まで一度も入ったことが無い店だった。


「せっかくだし、入ってみようかな……。」


小さな声でそう呟き、僕は文具店の扉を開いた。

 店内はこじんまりとしているが品ぞろえは豊富であり、ペンやノートだけでなくクレヨンや書道セットなどが所狭しと並んでいた。入り口横にはレジがあり、中年の店主は「いらっしゃいませ」と言わない。

 僕は店内を軽く見渡して、メモ帳が並んでいる棚を見てみる事にする。コンビニや大手のチェーン店では見ない様なメモ帳やスケジュール手帳が並んでおり、心なしかワクワクしてしまう。

 折角なので何か買って行こうと思い、手帳を物色する。


「これは大判だから、鞄に入れて持ち運ばないと……。こっちのはスピンが付いているから使いやすそうだな。この際二冊買って、片方日記にするとか……。」


色々と呟いてみたが、よくよく考えてみるとスケジュール帖を二冊買う程おかしなことも無いので、手ごろな価格の手帳を一冊買っていくことにする。

 手帳をレジに持って行き、店主に声を掛ける。


「あの、お願いします……。」

「……はいよ。」


店主は僕を一瞥すると、そう言って手に持っていた新聞紙を隅に置いた。

 お値段一冊五百円也。かなりのお手頃価格である。店主は小銭を受け取ると、ぶっきらぼうに商品と、新品らしきボールペンを手渡してくる。


「あ、あの……。」

「サービスです。お気になさらず。」


店主はそう言うと、再び新聞紙を手に取り取り留めのない記事に目を落とした。ここで受け取らないと、逆に失礼になってしまうだろう。


「ありがとうございました。またお邪魔させて頂きます。」


僕は深々と頭を下げ、文具店を後にした。

 いい買い物も出来たしそろそろ帰ろうかと考えていると、突如僕の目の前に小さな影が飛び出してくる。それは一匹の白猫だった。

 首輪が付いていないが、野良らしからぬ綺麗な毛並みをしている大人の猫。猫は僕と目が合うなり、ぴたりと立ち止まる。片足が踏み出そうとする直前で停止しているので、さながらその猫の周りだけ時間を止めている様だった。

 対する僕も、猫が制止したのを見てゆっくりと歩みを止めた。僕はどちらかと言えば犬より猫が好きであり、驚くほど綺麗な毛並みをした猫を前にして浮足立っているのも事実だ。しかしだからと言って、野良の動物にむやみやたらに近付くほど見境が無いわけでもない。向こうには向こうの、僕には僕の世界があるのだ。

 それに、引っ掛かれると痛いだろうと思い僕は踏み出せずにいた。

 白猫はあげていた足をゆっくりと降ろし、僕の方をじっと見つめている。僕はそんな猫を見て、ゆっくりと両腕を挙げ、手の平を見せた。降伏と言うか、自分に危険が無いことをアピールする意図があった。

 僕達は見つめ合たまま沈黙する。周囲に人はいなかった為、僕と猫だけの世界であるかの様な錯覚さえしてしまった。

 膠着状態が続く中、僕は猫のことについて妄想を膨らませていた。この猫の純白で艶やかな毛並みからして、何処かの家で大切にお世話されていたのだろう。何不自由のない生活を送っていた猫が、野生の本能に逆らい切れずに外の世界に足を踏み出す。

 様々な危険やトラブルに苛まれつつも、出会いと別れを繰り返して猫としての野生を取り戻していく。そんなストーリーを思い浮かべていた。

 数十秒間見つめ合った後、沈黙を破ったのは猫の方だった。


「にゃあ……。」


可愛らしい声で鳴き声を上げて、猫はふいっと横を向き再び歩き出した。

 あの猫は何処に行くのだろうか。もしくは、何処にも辿り着けないのだろうか。

 妄想世界から現実に戻った僕は、溜息を吐きながら腕を降ろす。


「帰って勉強しよう。」


誰に対してと言う訳ではなく、自分自身に向かってそう呟いた。

 それから十数分後。家に戻って来た僕は、真っ先にシャワーを浴びて汗を流す。自室に戻った僕は、机に向かい購入したスケジュール帖を開いてみる。

 折角買ったスケジュール帖だったが、具体的な使用法は一切考えていなかった。


「うーん……。」


背もたれに寄り掛かり、何を書いたものかと考える。こういうものは、何かひとつ書いてみれば自然とページが埋まっていくものだが、肝心の内容が思いつかない。

 五分程机の上で唸った後、僕の頭にひとつの案が浮かぶ。先程見かけた白い猫。あの猫について思った事などを自由に書いてみようと考えたのだ。その調子で、不定期の日記としてこのスケジュール帖を使用するつもり。

 用途が定まったところで、僕は早速空白のページにペンを走らせた。テスト勉強は全くしていなかったが、充実した休日を過ごすことが出来た。

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