4章 プロローグ
前回:――草食グロ魚とマンボウと聖剣(笑)――
とある貴族の館の一室。
下弦の月が差し込む中、天蓋の付いたベッドの上で、情事に浸る2人の男女の姿がある。熱い息を吐き、熱気に意識を焦かれ、流れる汗を、唾を、全てを混ぜ合わせようと動き合っている。
それはまるで、2人しか世界に居ないようにも見える。
しかし、その傍らにはもう1人、見た目には幼さが残るが、その2人と同い年の少女が、疲れて眠っている。
この3人は幼馴染であり、恋仲であり、且つ、主従関係にある者たちだ。
つまり、本来は叶わぬ恋の、間柄。
「――――ハァ……」
2人同時に震え、口づけを交わす。貴族と平民、或いは、奴隷。そんな関係の3人には、希望があり、夢があった。
ともすれば叶わなかったかもしれないそれは、もう手の届くところに、否、明日叶う約束に、なっているのである。
「ハア……ヴィンセント様。ようやく、夜明けが来ますね。やっと、待ち望んだこの日が。貴方様が、幼いころより望んだ夢が……」
熱い吐息を吐きながら、豊かな体を絡ませてくる彼女は、乱れた深い紫色の髪を手櫛で梳かし、悦びを謡う。
幼い頃、彼は騎士に憧れた。冒険をする者に憧れた。何よりも輝く、栄誉に憧れた。然し、今はそれだけではない。
「嗚呼、そして君達とも堂々と、白昼の下で共に居られる。此れ迄の人目を凌ぐような事をする必要も無くなった。3人で世界を周れるんだ」
切れ長の目で窓に映る星を見つめ、深緑の少し長い髪を流す。
ヴィンセント・ハートフィールド、御年18歳。
数年前より、家督相続を兄弟と争う事で気を揉んでいたが、無事彼の思惑通り、次兄が継いだ。
彼自身は家督には興味は無かったが、長兄だけは信用できなかった為に、次兄と手を組んで、次兄に家督が相続されるよう事を運んだのである。
何しろ長兄は、女と酒に散財する癖があるのである。民の事など、微塵も考えない。故に、お家柄取り潰しと成ってもおかしくは無い。其れでは、目に余る。
「それでも、宜しかったのでしょうか。騎士という道もありましたのに。ヴィンセント様なら、騎士として、聡明で洗練された存在になれたと思われますが」
其の道は、確かに貴族としては大いなる栄誉だろう。そう、貴族としては。
「私としては、貴族である事よりも、君達との間の方が重要なのでね」
彼の家柄は辺境伯。貴族の位としても、かなり高い地位だ。
その上で、一時王都の学園にて、剣士として、槍使いとして高い評価を受け、眉目秀麗で冷静な上に勇敢。
此処まで来て、婚約の声が掛からない訳もなく、寧ろ王国で決められている婚姻に関する法律、一夫多妻制の権利の取得をしても、許可されている3名以上に名が連なる程である。
だが、然し。彼自身は幼い頃より親しみ、何時しか恋心を、然も2人同時に持った相手を無視して、愛の無い婚姻をしたいと、思わなかったのである。
果たして其の2人も、戸惑いながらも彼の心に喜び、また心を同じくしていたのであれば、尚更。
其れだけでは無い。貴族の社会の、得も言えぬ独特の空気、関係、在り方に辟易していたのも事実であり、こと男爵や子爵の様な、高いと言えぬ位は平民には胸を張り、自分には年下であろうと媚び諂い謙り、意味もなく奴隷階級に八つ当たりをする有り様である。
其れを虚勢と言わず、何と騙ろうか。
然も其れは、騎士社会にまで及ぶ。
憧れた存在は、実際には貴族の位で上位に昇るか否かが変わり、実績の無い空っぽの虚勢が、矢張り騎士社会を治めているのが実情である。
其れが、正しい考えを持つ指揮官ならいざ知らず、親の七光りだけで中身の無い騎士が少なくは無い。其れでも重要な仕事を任せるられるのは栄誉である為に、成ろうとする者は多いのだが。
貴族社会の檻から解放され得る、数少ない選択。それは、貴族としては恥とも呼ばれ兼ねない物であり、然し同時に、充分な成績を残せば、王家より騎士候を与えられる事も有り得る、数少ない選択でもあるのだ。
此れを選べば、無駄に多かった政略結婚の申し出も一気に無くなり、又自身が望む、2人との婚姻も叶う。全てが旨く叶うのである。
「明日、日の出と共にこの屋敷を発つ。そしてノーザンハルスに着いたら、冒険者として登録だ」
貴族からすれば犯罪者とも言える者も多く、騎士からすれば自分達の仕事を奪いかねない商売敵とも言える。然し、民衆からの支持も相応に熱い仕事である。
勿論、此の仕事に就くにはリスクは有るが、其れは彼らは余り考えてはいない。油断しているのでも、甘く見ているのでも、無い。既に覚悟が決まっているのである。
「如何に狂暴な竜であろうと、如何に恐ろしく獰猛な〝番犬″であろうと、私達は退く事はない。勇敢に突き進もう」
3人で在れば、如何なる恐怖も打ち克てると信じ、修練してきたのである。そしてこの日の為に、少々時間は掛かったが次兄と約束を取り決め、継承権を譲り協力した迄なのだ。
「はい、ワタクシ共は、貴方様の御心のままに。何処までも……」
彼を慕うエイダは、ヴィンセントの胸に顔を埋める。小さく吐いた吐息が彼の胸をくすぐり、同時にもう1人、寝息を立てていたブロンドの少女も、眠ったまま手を取る。
其れに2人同時に気付き、顔を合わせて笑った。そして、又唇を重ねる。
彼らの約束の時は、もう直ぐ目の前……朝焼けに染まり始めた東の空から、光が覗こうとしている。其れはまるで、この者達の門出を、祝福しているかの様に……
――――――――――――――――――――――――――――
「ガラガラ ガラガラ」 馬車が往く。草原の街道の、真っ直ぐ伸びた、馬車の道。
風がそよぎ、草原の若草が揺れ、青い空から陽光が注ぐ。
車輪が回り、馬車が揺れ、荷台に乗った少女は亜麻色の髪をなびかせ、手をひさしに天を仰ぐ。
澄み渡った青空に、雲が流れ揺らぐ。
――約束の日が来た。
「アリス、本当に冒険者なんかになるのか?しかも、あのオオカミと一緒になんて。お前の両親は大丈夫なんて言っていたが、村の皆は反対していただろ?何だってそんな……」
馬車馬を操る牛舎のローレンスさんは、やっぱり分かってない。
「うーん、約束は守る物でしょ?村に居たって、お母さんとお父さんの手伝い以外する事ないし、それに、村の人達は何かと言って、ジル君と結婚させたがるじゃない。あの子、スケベだし乱暴だから嫌なの。何度も言ってるでしょ?」
なんか知らないけど、勝手に小さい時から、4歳上のジル君と結婚させる話をしていた。
両親は全然納得してないのに、村長が決めたからって皆その心算になってたみたい。貴族でもないのに、許嫁が居なきゃいけないなんて、おかしい。
「しかしな、冒険者っていうのは……」
「村長もしていた仕事、でしょ?なんでその村長が、絶対ダメなんて言うのかが解らないの。いつも自慢ばっかりしてる癖に……」
ワタシが反論すると、ローレンスさんは頭を掻き始めちゃった。
「なんでこの事になると、そんなにはっきり言うのかね。あんな化け物みたいなガキの何がいいのか……」
「ヴァンは、中身が村長より年上だから、オジサンの方がガキって言われてたでしょ?それに、年上なのに優しさがないヒトが本当の餓鬼なんだって言われてもいたし。どっちも本当の事じゃない?」
流石に、5年くらいずっとこんな言い合いばっかりしていたら、優柔不断なワタシでもきっぱり言いたくなる。
スケベで乱暴で、ゴブリンが来た時にはずっと大泣きしていたジル君より、悪そうにしている癖に、偶に凄く優しく笑うヴァンの方が一緒にいて楽しい。
結婚とかそういう事を考えてる訳じゃないけど、村に居るより、絶対にこっちの方がいい。お母さんもそうするべきっていうし、お父さんも笑顔で頷いた。ワタシにはこれで充分なんだから。
「それに、ヴァンに何度もお肉恵んでもらわなきゃ、殆どずっと畑のモノばっかり食べてたじゃない?彼の作る料理、すっごく美味しいのに分けて貰えなかったのも、意地悪ばっかりするからだし」
特に村長。なんでそんな意地悪ばっかりするのか分からない。他の人には普通なのに。
「いや、まあそれはだな……何と言ったらいいのか」
「もう……いつもワタシに言ってなかった?はっきりとモノを言いなさいって」
やった、言い返してやった!いつか言ってやろうって思ってたんだよね。いつもなら、ヴァンが言い返してくれたんだけど、言い返せなかった。
居ない時ずっとネチネチしてくる人もいたし。
「ああ、雨が上がってこんなに澄んだ空気なのに、なんでこんなに暗い気持ちになるんだよ」
「それは、根性が黒いからじゃない?ワタシはこんなに澄み渡ってるのに」
ヴァンなら、こんな風に言うのかな?そう思ったら言い返しちゃってた。
ローレンスさんがグウとか呟いてる。そんな言い方する人、居たんだ。面白い。彼もこうやって揶揄ってたのかな?
済んだ風が、頬を撫でる。
気持ちのいい匂いを運んできた。道端に咲く、オレンジ色の花かな?確か、恋の意味の花ことばを持っていたはず。ちょっと切なくて甘い、優しい香りの花。
彼に持っているのは恋じゃない。期待と夢。
まだ小さいのに、村の皆が気付く前に、独りだけ危険に気付いて、皆が怯えている中、唯独り、森の中に入って勇敢に戦った、ワタシの『英雄』。最高の友達。
『冒険者になるなら、友達でいる』
ワタシも冒険者になるって言った時、そう言ってくれた。ゴブリンから守ってくれた時も、また会えるって言ってくれた。
その為に、今日まで私も頑張って来たんだから。
いつも、ずっと、羨ましかった。いろんな国に行って、いろんなものを見て、いろんなものを食べて、いろんな事をして、偶にお土産持って来てくれて。笑ってたり、疲れてたり、変な顔してたりしながら旅の話をするのが、凄く羨ましかった。
だからワタシも冒険者になる為に、両親に魔術を教えてもらったんだから。それに、ワタシの親は動物と植物の研究者で、その知識だったら誰にも負けないくらい沢山教えて貰ったんだから。
太陽が高いところにまで登り始めてる。
もう少ししたら、あの街が見えるはず。彼が住んでいる、王国の首都以外で4つある、王家の治める都市の1つ、西の都ノーザンハルス。
流通と、武具の生産が多い街。森と平原に囲まれた自然豊かな街。
――ワタシの友達で、夢をくれた人で、恩人で、英雄の……『銀狼』が住む街。
「うお……おいおいおいおい、ここで来るとかやめてくれよ!」
ローレンスさんいきなり騒ぎ始めた。
なんだろうと思って前を向いたら、ちょっと離れたところにゴブリン5匹。これくらい、怖がる必要あるのかな?ヴァンならこの10倍でも一瞬で片付けそうな気がする。
「オジサン、どいてて」
「え、アリス何をする気なんだ!?やめとけ、お前じゃ……」
言葉を無視して、ワタシは準備してた水の入ったビンを手に取る。
これくらい、ワタシでもできる。緊張して恐がっている胸を押さえて、前を向く。
「我がマナを素として、難敵討ち果たさん、飛沫は槍に、動き揺らめきうねり爆ぜろ――スプラッシュニードル―」
ビンを投げて術式開放、これだけでいいよね……計算通り、ゴブリンの集団の真ん中にビンが落ちて行って、炸裂。水の勢いだけでゴブリンは全滅。
やっぱり、魔術を覚えたらあのくらいの数は簡単に制圧できる……お母さんだったら、もっと派手だよね。
「アリス……お前…………」
ローレンスさんったら、あれ位で腰抜かしてないよね?……足が生まれたての仔牛みたい。ヴァンが本気で怒った時以来だと思うけど、これで青年団のリーダーなんだもんね……
「んー。ほら、早く行こうよ……日が暮れちゃう」
「あ……ああ」
ボーっとしてるけど、ちゃんと手綱は動かしてくれた。あ、お母さんはゴブリンの処理はしっかりしておけって言ってたっけ。火球撃っておけばいいかな?
空から降り注ぐ陽の光が暖かく包み、そよ風がまた柔らかく頬を撫でた。着ていた水色のワンピースが少し揺れる。
そして、止まっていた馬車はまた進み始めて、音を響かせる。
「ガラガラ ガラガラ」 馬車は往く。
精霊のボヤキ
――長きに渡った8年、修行お疲れぇ――
うん。これからは弟子じゃなくて、冒険者になるから、エリナさん達と行動する事が無くなるだけなんだけどね。つまり、あまり変わらない。
――変わるでしょ、ハーレム要員が増えるんだから――
8年経ってもまだ言うか!オオカミは一匹を愛する者、これは譲らない!
――あんたは中身、変わってないね――




