2.疾風の声(かぜのこえ)
とりあえず、字幕なしでの投稿です。
「とりあえず、その辺に座って」
自宅にユーイチを招き入れて書斎に戻ってきた。椅子に座るように促すが――
「あー」
背中越しに声掛けをしただけだったので、彼はドア付近に立っている状態だった。そう言えば言葉が通じないことを思い出した私は、手近にある椅子を手で指し示しながらゆっくりと喋る。
「この椅子に、座ってもらって良いかしら。ユーイチ」
それで察してくれたみたいで、ユーイチはようやく腰を下ろして身を落ち着かせた。
少し疲れる工程だが、仕方ない。初めは大体このような感じで、徐々にお互いに覚えていくしかないのが現状だ。辞典でもあれば……。まあ、それを作るのが私の仕事なのだけれど。
彼に待機してもらっている間に、私はペンと用紙を用意する。これから私たちの軌跡を記録していく大切な資料の素。メモの段階ではあるが少しだけ質の良い用紙を選ぶ。
「あっ……」
インクの瓶が軽いと思って中を見てみれば、やはり不足していた。今後かなり使う予定なのでそろそろ新しい瓶も出しておく必要がある。確か、書籍棚の上にあったはず。
棚上にある箱を確認してから小台を取り出そうとすると、ふっと横に影が現れた。
「トリマスカ?」
何かと思って見てみれば、それはユーイチだった。
唐突なことに驚いてしまった私は、彼が何か言っていることに気が付かなかった。
「あ、ごめんなさい。その箱よ」
目的の箱を指しながら言うと、彼はそれを取り出して机上の空いたスペースに置いた。
「ありがとう」
「ドウイタシマシテ」
どうしてだろう。発音しか分からなかったのに、自然と身体の奥が温かくなった。
はっと気が付き一つ咳払いをすると、私は高さが膝下程度のガラステーブルにペンや用紙を含めた道具を並べて彼の横に座った。
今後の活動内容について説明するつもりだが、普通に喋っても意志疎通は不可能。
そこで、これらの道具の出番となる。
「えーっと、ユーイチ。これからのことについて話すわよ。良いかしら」
まずは、彼の名前を呼んで注意を引き付ける。また、それによって彼自身が関係していることを何となくでも良いから認識させるようにする。ともかく、私の持つペンの先に視線が向いているようだし、まあ第一段階はクリアね。
「今後、私エルディアと、あなたユーイチの二人で協力して、辞典を制作します」
紙面に分かりやすく、絵を描きながら説明していく。絵は二人と本、それにペンを描いて如何にも作っていくという感じを出す。そしてそれだけでは不十分だと思うので、先程用意しておいた一冊の辞典を取り出して彼に手渡す。
それは本国と友好関係にある隣国の言語についてまとめられた辞典の一つ。各単語にもう一方の国の字で説明書きが添えてある一般的なものだ。流石に彼の元の世界にも同じような書物があると踏んでの手段だった。
ユーイチはペラペラとページを捲ると、その内容に目を細めていた。しかししばらくしてその表紙や中身を見比べた後、こちらを見て頷いてきた。
内容は全く理解出来ていないでしょう。それでも、概要は理解出来た。そのような印象を受けたので話を進めることにした。
「それで、これから私たちで様々な言語交流をはじめとしたコミュニケーションを行って、情報を提供し合います」
二人の絵を丸で囲み、何かを喋っている風に線を入れ、その他にも料理や実験器具、建物などの絵を描き足していく。そして二人の間に矢印を行き交うように書き込む。
そこで一度、彼の方を伺い見た。彼は絵から私の方に目を向けると、理解してくれたのか首を縦に振っていた。
「ふぅー」
この手段は使えるが、こちら側の負担が少なくはない。思えば彼はほとんどその口を開いていない。
「ユーイチ。通じなくても良いから、もっと喋りなさいな」
そう微笑み掛けるものの彼は口の端を少し上げるだけ。それに業を煮やした私は彼の両頬を詰まんで軽く引っ張った。
「も・おっ・と・しゃ・べ・り・な・さ・い」
「チョッ……!? ヤメテクダサイッ!」
思い切ってやっていないので言葉がはっきりと聞こえる。
「そうそう、その調子よ」
そこでパッと手を離す。再び自身の手をそれに近付けると彼は身体を強張らせていた。しかし今回は先程と同様のことはせず優しく頬を撫でると、その緊張は徐々に弛緩していった。
「ごめんなさい。つい、イラッとしてしまったから……」
「エエット……」
「ユーイチも、もっと喋りなさい」
今度はジェスチャー込みで提案する。それでようやく合点がいったのか、彼は頭を数度軽く下げてきた。
「ワカリマシタ。スコシ、ガンバッテミマス。……ハヤイトコ、オボエナイトナァ……」
長文を出してきたけれど、本当に何と言っているのか全然分からない。私も早いところ、彼らの言葉について覚える必要がありそうね。
このやる気は学者としての探究心から来ているのだろうが、決してそれだけではないと思う。
彼という異世界人としての存在以外にも、彼個人としての魅力を、私は感じている。
でもまずは仕事をしないと駄目よ、私。恋人いない歴イコール年齢だからって、現を抜かしていては。
職務第一。よし、頑張るわよ。
……はあ。悲しきかな我が人生。




