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はじめに  作者: 師走
64/629

64

「何でもないのよ」

何杯目かのグラスを傾けながら、彼女は言う

透明感のある、赤ワイン


「おい、どうしたんだよ、相談してみろよ」

「だからぁ、何でもないんだってば」

俺が彼女の肩に手を掛けても、彼女はそれを払いのけもせずに、ヘラヘラ笑って、細めた目で見つめてきた


「じゃ、どうしたんだよ、そんなに酔っちまって」

「なぁにぃ?私が酔っ払ったらいけないって言うのー?」

「いや、だって、いつもはそんなことねぇじゃんか」


彼女はぶっ、とその液体を少しグラス内に戻した

赤い飛沫がガラスに付着する


「酔いたいときだってあるじゃない。今は曇りの夜なのよぉ?」


いや、確実に何かあったはずなのだ

しかし、俺は、その『曇りの夜』という言葉の響きが気に入ったので、そのヘンテコな理由を受け入れることにした


そして夜が明けた頃、彼女は首を椅子の後ろに放り出して眠っていた

俺もいつのまにか意識を飛ばしていたのだが、彼女よりは早くに起きたようだ


「おい、おい。寝違えるぞ。やめておけ。布団で寝たほうがいい」

俺は、彼女の体をゆらゆら押した。

すると、彼女は艶やかな口紅が塗られた唇で唾液をすすって

「ふぇ?………あぁ、じゃ、そうするわ」

と言った


それから数日経って

俺はこの夜のことを尋ねたが

案の定彼女は

自分で言った言葉を覚えておらず

何か悩んでいたのかと聞いても

「さあ?どうだったかしら」

と返すのみだった


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