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Mary

 女性がギャリーの持つ黒いバラに伸ばしていた手を止めた。ギャリーが顔を上げる。女性は、明らかに狼狽えていた。ギャリーは、女性の視線の先を見る。黒いバラの花びらが、絵の具が染み渡るように徐々に赤くなってきていた。

「あ・・・・・・嘘、なんで・・・・・・」

 ギャリーは咄嗟に、イヴが眠っている『最後の舞台』の方を見る。イバラが地面に消えていき、イヴが身体を起こしているのが見えた。イヴ自身も驚いているのか、辺りを見渡している。

「イヴ!」

 イヴが起きたことに気がついたメアリーは、走り出すとそのままイヴに飛びつく。メアリーはイヴの手を取り、嬉しそうに飛び跳ねる。

「イヴ!大丈夫なの!?」

 ギャリーもイヴの側に行こうと足を踏み出すが、止める。ふと、気になり、振り返る。女性はしゃがみこんでいた。しゃがみこんでいる辺りの地面が黒くなっている。まるで、地面に溶けて込んでいるようだった。

「・・・・・・!」

 その光景に、ギャリーは声を失った。手元のバラは、すっかり赤い色を取り戻している。

「もしかして、助けてくれる?」

 女性は、弱々しい笑みを浮かべる。ギャリーは咄嗟に赤いバラを背中に隠した。

「・・・・・・だよね。・・・・・・どうして?私はただ、あの子とずっと一緒にいたかっただけなのに!」

 女性は、咄嗟に地面に落ちているパレットナイフを拾おうと手を伸ばす。しかし、何度握ろうとしても、パレットナイフは女性の手からこぼれ落ちた。ギャリーは何も言わなかった。何を言ってあげればいいのか、分からなかった。

 すると、女性はふと顔を上げ、イヴとメアリーのいる方を見る。メアリーが、イヴに怪我がないか見ているところだった。女性は、どこか満足げな笑みを浮かべる。

「もう、あんなに大きくなったんだなあ。」

 その顔は優しかった。子供の成長を見守る、母親の顔だ。

「ホント、子供の成長は早いわよ。」

 ギャリーが腕組をし、小さく溜息を漏らす。それを見た女性がフフッと小さく笑う。

「あなた、なんとなく、あの人に似てる。」

「え?」

「なんとなく、だけどね。あの子が懐くわけだ。」

「・・・・・・懐いているのかしら?それより、ホント、あの子、アンタそっくりよ。そりゃもう、びっくりするくらい。」

「そりゃ、そうでしょ。」

 だって、私の娘なんだから。女性は、弱々しく、消え入る声でそう言った。ギャリーと女性は、目が合うと、互いに小さく笑う。

「作品は――した時点で、その価値を――ってしまう。」

 消えかかっているせいなのか、女性の言葉は断片的なものになっていたが、ギャリーはその言葉に聞き覚えがあった。

「やっと、意味が分かった。」

「そう。アタシには、さっぱりだわ。」

 すると、女性は、また小さく声を出して笑った。

「・・・・・・そっかあ。だったら、しょうがないよね。」

 その言葉は諦めではなかった。女性は、最後に何かを悟ったようだった。

「本当に、あの人は天才だったんだなあ。」

「・・・・・・そうね。」

「あの子のこと、よろしくお願いします。」

 女性は、頭を下げる。もうすぐ、この人は消える。消えてしまう。

「メアリー。」

 ギャリーはメアリーを呼ぶ。メアリーは来ることをためらっていたが、イヴが連れてきてくれた。

「いってらっしゃい。」

 女性は、メアリーに優しく言葉をかける。メアリーはキョトンとしている。それもそうだ。『メアリー』は、この女性から生まれたわけではない。この女性の子が生まれてこなかったから、ゲルテナが『メアリー』を描いたのだ。

 メアリーは、この女性のことを知らない。自分が、この女性のお腹の中にいた子供の代わりに生まれたことを知らなかった。女性は、メアリーのポケットからはみ出している黄色いバラを見つけると、小さく微笑んだ。

 

 黄色いバラの花言葉は、嫉妬、友情、そして――


「きっとあなたなら、素敵なお友達がいっぱいできるわ。」

「ありがとう!」

 その言葉が嬉しかったのか、メアリーは笑顔で答える。女性は、メアリーを抱きしめようと腕を上げようとするが、うまくいかず、諦める。

「・・・・・・イヴ?」

 イヴはちぎった赤いバラの花びらをちぎり、消えゆく女性に握らせようとした。イヴの手を離れた赤いバラの花びらは、そのまま地面にゆっくり落ちる。

 イヴは、何度も何度も、握らせようとした。その度に、赤い花びらが地面に落ちる。無言のまま、何度も繰り返した。最後には、女性の下に自分の手を置き、無理矢理女性の手の中にバラの花びらを握らせようとした。

「イヴ・・・・・・」

 ギャリーには、イヴが何をしようとしているのか分かった。イヴは、自分のバラの花びらさえあれば、女性が消えずにすむと思っているのだろう。

 しかし、そのバラの花びらは、赤いままだ。

「ありがとう、イヴちゃん。」

 それを見た女性は笑い、涙を流す。

「・・・・・・メアリーと友達になってくれて、本当にありがとう。」

 涙がこぼれ落ちたとき、女性の姿は地面に溶け、跡形もなく消えた。イヴの手のひらには鮮やかな赤いバラの花びらが残った。美術館にまた静寂が訪れる。

「・・・・・・なんていうか、切ないわね。」

 これで、本当によかったのだろうか。少なくとも、あの女性には悪意はなかった。母が子を想うのは、当然のことだ。


 ただ、その想いが強すぎて、少しだけ、歪んでしまっただけだ。


 三人は、女性の消えた跡を、ただ眺めていた。すると、何かに気がついたのだろうか。イヴがポケットを探り始める。取り出したのは、黒いカギだった。

「これが、出口のカギかしら?」

 イヴとギャリーは、扉がないか辺りを見渡す。しかし、扉は見当たらない。

「困ったわね。外には、もう出られないだろうし・・・・・・メアリー?」

 気が付くと、メアリーが黄色いバラの花びらを一枚ちぎり、さっきまで女性が座っていた場所に花びらを置く。

「えへへ。イヴのまねしてみた。」

 メアリーは振り返ると、笑顔を見せた。いつも見せる、無邪気な笑顔。

 すると、どこか遠くから轟音が聞こえてくる。まるで、滝のような音だ。

ギャリーは、上を見上げる。まさに、大量の黒い水が上から落ちてくるところだった。ギャリーは、咄嗟に二人を抱え込む。


 三人は、黒い水に飲み込まれた。水に流され、すぐに右も左も上も下も分からなくなった。それでも、ギャリーは二人を抱えたまま、決して離さなかった。

 流されているとき、視界の端に何か大きな生き物が泳いでいた気がしたが、それはほんの一瞬のことだった。やがて、そのまま三人とも意識を失ってしまった。


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