第三十一話 イリス
残り少ない金を使い乗り合いフロータで数日。
ヨナダン男爵邸の扉を叩いた。
ここへ来るまで二人はひたすら藤之木うるかを中傷し続けた。
男爵邸から出て来たヨナダンは顔をほころばせた。
「で、いつからだ」
「あいつは非常に我が儘でして、なかなか聞き入れてくれないのです」
沓沢の言葉を聞くとヨナダンの表情は険しいものになった。
「それを説得するのが貴様らの役目だろう。どれだけ世話してやったと思っている。今すぐ王都に戻り、説得しろ! 貴様らが説得出来ると言うから、金も渡したしもうすでに患者も五十人を超えている」
「……もうお金もありませんで」
「なら王都まで歩け、金が欲しけりゃ説得しろ」
ヨナダンは扉を閉めた。
ノックの音で琢磨が扉を開けると、彼は腰を抜かした。
「何もんだ!」
その声にうるかも含め皆集まる。
「ああ、手古希だ」
無残な姿の手古希打志多に皆言葉を失った。
「泊めてくれ、飯食わしてくれ」
「逃亡奴隷をかくまうのは同罪なんだ」うるかは吐き捨てた。「機会を与えられたんだ、元の飼い主の所へ行くか、奴隷市場へ行け」
「それしか無いっしょ」
入江シオンも同意した。
「嫌だ、かくまってくれ」
「おまえのそう言う身勝手さが今の自分を産んでるんだろう」
「そもそもよう、奴隷になったのも、屋台の食いもん食い逃げしようとしたからだろうが」
根津がうるかの後に続いた。
「腹減ってんだ。飯食わしてくれ」
「話聞けよ」
根津は呆れた。
「とにかくうちではかくまえない。元の飼い主の所へ行くか、奴隷市場へ行くかしないなら、好きにしろ、死ぬより辛い人生が待ってるけどね」
「これを見ろ、もう充分死ぬより辛いわ」
「もっと辛い人生だ。今付いてるそれは、心を入れ替えれば取れるんだろう。それじゃ」
扉を閉めた途端、激しく叩く蹴るを繰り返した。
「仕方ない」
うるかは皆の顔を見て音を立てる扉を開けた。
「腹減ってんだよ」
そう言う手古希を琢磨と根津は両脇から抱えた。
その横を指先でキーを回す、百合亜と景が通り過ぎる。
「おい何してる。どうする気だ。桜井、岡城!」
「警備兵呼びに行くんだよ」
根津が答える。
手古希は暴れ出す。
「そんなことしたら捕まるだろうが」
「捕まえてもらうんだよ。馬鹿かおまえは」
「分かった行くどっか行くから」
琢磨と根津が離すと手古希は鎖を鳴らしながら、ドスドスと走り去って行った。
うるかはアムルス貝を持ってネコムスのとこまで来た。
ゴザは大きくなりアルバイトも雇っているようだ。
客は多く相変わらず繁盛していた。
「忙しそうだな」
「猫の手も借りたいニャ」
「借りてるじゃん」
「アルバイトのネコジャラニャ」
いいネーミングセンスだと含み笑いをしながら、アムルス貝を渡した。
ネコムスは一枚一枚丁寧に吟味した。
「半分くらいだニャ使えるのは、厚さや模様があるニャ」
「使える分だけでも作ってくれる?」
「出来たらマタタビのとこへ持って行っとくニャ」
うるかはネコムスに頼むと店をあとにした。
ダンク・フォン・アルザーヌの屋敷に、ハバールス帝国の使者が訪れていた。もちろん表向きはそうと分からないように装っている。
使者は薄い笑みを浮かべ大きな木箱をダンクに手渡した。
「これだけあれば我が国の進行すら必要ないのでは」
箱の蓋を開け大量のボイドシードを見たダンクは、感嘆の声を上げ笑顔を湛えた。
「どうやってこんなに……」
「新しい鉱脈を見付けましてね」
「確かにこれだけあれば進行の必要は無い」
ダンクは声を上げて笑った。
「例のもの……進捗具合は? マティアス皇帝が気にしておられまして」
「順調だ。見てみるか」
「是非とも」
二人が長く暗い廊下を抜けると、ダンクは物々しい扉に鍵を刺した。
金属製のコの字の取っ手を引くと、重そうな扉は音を立てて開いた。
ダンクが壁のスイッチを押すと、暗い室内は明るく照らしだされる。
室内は広く二人が進むと、硝子の筒や四角い水槽、横に寝かされた半円筒形の硝子容器があった。
それらは何本かのチューブが繋がれており、中は液体で満たされていた。
その中を覗いて使者は不思議そうに聞いた。
「これらは? 虫の形に見える。こっちは邪獣、これは人の形にも……」
「数十年研究している、試作のボイドだ」
使者の笑いが止まらない。
「あなたのこういう所を気に入られたのでしょうな、植民地化が成功した暁月には、あなたがローズヴェリー特区の王の玉座にという約束は、果たされる事でしょう」
ダンクの顔がいやらしく歪む。
さらに奥へ進み扉を開けると、中には巨大なボイドと同じ色合いをしたものがあった。
それには無数のチューブが繋がれており、機械からチューブを通して何やら液体が送られていた。
大きな筒に六本の脚、四本の腕を付けたような形をしている。筒の先端はボイドの口と同様になっていた。
とにかく大きい。三十メートルはあるのでは無いではないだろうか。
使者は唸った。
「シードからこの大きさまで?」
「錦御影石を切り出していたら、偶然大きなシードを見付けたのだ」
ほほぉ、と感心して聞いていた使者が訊いてきた。
「他にも採れたので?」
「あちこち掘り返したが、残念ながらこれだけだ」
「それは残念」
「シティデストロイヤー。ブリーダーに小さくさせて運び出す。完成までは今しばらく掛かるがな」
腕を組むダンクを見て、使者はほくそ笑んだ。
王都行きの乗り合いフロータの中では沓沢と台場は腹をさすっていた。
「腹空いたな」
「王都に着いたらバイト探すか」
二人はもう男爵の元へ帰る気は無い。
「とりあえず藤之木に食いもん手配させよう」
そんな身勝手な事を言っている。
男爵から貰った最後のお金を王都行きで使い切った。
うるかは光明神殿を訪ねた。
入り口で信徒たちに手を組んでいる聖女に声を掛けた。
「今日三人ばかり休んでいる者はいないか」
聖女は驚いた。と言うのも純黒聖堂会の者が光明神殿教会を訪れる事はまずないからだ。
そして、王城でイリスが降臨したという噂も耳にしている。
「いるならそいつらに襲われた。処罰してくれ」
うるかはそう言うと神殿内に足を向けた。
ブライテス・ナイトが駆けつけた。
「それ以上足を踏み入れるな」
うるかは無視して進んだ。
ブライテス・ナイトは抜剣した。
「お止めなさい」聖女がいさめる。「神聖なる場所で剣を抜くとはどういう事ですか」
「しかし」
うるかは遠目にイズスと酷似しているイリスの像を見て言った。
「イリスに来るよう城で言われた。そこの女、なぜイズスとイリスはこうも似てるのだ」
聖女は歩み寄った。
「双子の女神様でございます」
「双子か……」
ブライテス・ナイトたちは剣の柄に手を掛けうるかの背後に付く。
うるかが石像の前に立つと、純白に輝くイリスが現れた。
全員が一斉に跪いた。
「わたしの名はイリス、本当に来てくれたのですね。聖女よ、今日来ておらぬ三人は処分なさい。わたしが言うのです。相応の罪を犯したと思いなさい。腕と脚に致命的な重症を負った者たちです」
「はい、かしこまりました」
「で、その後ろの者たちは何をしているのですか」
「……」
「さっさと己が本文を果たしなさい」
ブライテス・ナイトたちは顔を伏せたまま、名残惜しそうに礼拝堂をあとにした。
「今一度、わたしの名はイリス。あなたの名はうるか、イルカから取ったのでしたね」
うるかは、なぜ知ってる? 、そんな顔をした。
「イルカではストレートすぎるから、とお母様が頭の『イ』を一段下げて『ウ』にしたのでしたね」
「なんでそれを?」
「一応神ですから。わたしの名もあなたのマネをしてみました」
イリスは、フフ、と笑った。
「それだけ伝えたかったのです。世界を頼みました」
イリスは姿を消した。
うるかは不思議な感じだった。
こっちの世界の女神が自分の名前の由来を知っている事にだ。
「では、聖女失礼する。そう言えば、名は何という」
「ベルナットでございます」
「聖女ベルナットか、また来るかもしれん」
うるかは自分と一緒、イリスの『イ』の下の段『ウ』か。
ウリス、心当たりないな。
そんなことを考えながら、光明神殿教会をあとにした。




