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第0話 ダーケス・ナイト

「ボイドだ! ボイドが出たぞー」

 市場内で大声が響いたかと思うと、悲鳴に混じり次々に叫び声が上がった。


 四体のボイドと呼ばれた物体は、中央の噴水を破壊して無残に転がる双子の女神像を、細く長い先の尖った脚で踏み砕いた。


 ボイドの身体は大きな卵の先端を上に引っ張ったような形で、中央から後方にかけて脚が左右に二本ずつあった。

 胸を反らせるように立ち上がった前方の先端には、涙滴型の頭部がついている。

 

 尖った後頭部の辺りはいくつかに枝分かれして、禍々しい角のようになっており。

 緩やかなカーブを描く前方には、左右に四つずつガラス質の黒い半球が付いていて、目を連想させた。

 

 中央には丸く大きな穴が開いており、円に沿って鈍く鉛色に光る尖った歯が奥に向かって小さくなりながら何重にも生えていた。

 

 生物なのか無機質なのかを分からなくしているのは、血管のように体表を走るチューブのせいだ。


 ボイドは四、五歩素早く走っては立ち止まり、首を動かして辺りを見渡した。


 ボイドの黒い目に、精肉店の前で腰を抜かしている若い母親と少年が映った。

 赤と黒の身体が素早く二人の前に駆け寄り、頭部の下にある腕の先に付いている大きなハサミ状の爪を閉じて、高らかと振り上げる。


 爪の先端が二人に振り下ろされた。


 精肉店の主人が冷蔵ケースを飛び越え、素早く二人を抱えながら走り、爪は石畳を叩いた。


 ボイドは後を追う。


 精肉店の主人が振り向くと太い腕が振り下ろされていた。主人は力いっぱい二人を放り投げ叫んだ。


「逃げろー」


「でも」母親は手で口を覆う。


「俺の使命は噴水市場を守ること」


 そこまで言うとボイドの爪が主人の腹を貫いた。


 精肉店の主人は血を吐きながら続けた。


「あんたの使命はその子を守ることだ……走れ……走ってくれ……」


 主人は言い終えると石畳に伏した。


 母親は涙を流しながら息子の目を手で覆い駆け出した。


 別のボイドは雑貨店に目をつけた。八つの黒い瞳に若い夫婦が映る。


 駆け寄るボイドに夫は妻を背後へとかばう。


「君のことは僕が守る。守ってみせる」

「だめーっ」


 ボイドの鋭い爪が夫の腹をえぐる。足下に内臓がこぼれ落ちた。

 少し遅れて夫の背後でも内臓がこぼれ落ちた。

 若い夫婦はその場に力なく倒れ込んだ。


 ボイドの瞳は幼い姉妹を捉えた。


 姉妹は声もだせず、腰を抜かすこともできず、一口も食べることの出来なかったクッキーを両手で持って、ただ立ち尽くしていた。

 ボイドが姉妹の前に駆け寄る。

 小さな姉は精一杯の勇気を振り絞り妹の前に出た。


 ボイドの腕が振り上げられる。

 姉妹たちは瞼を閉じることさえできなかった。

 太く鋭い爪が二人に振り下ろされた。


 バスッバスッバスッ――バスッバスッバスッ――バスッバスッバスッ――


 高圧ガスが一気に小さな穴を抜けたような音がした。


 ボイドの爪は姉妹の頭上で粉々に飛び散り、腕だけが姉の鼻先をかすめた。腕の先からは白い砂のようなものがこぼれ出ている。


 姉妹は音のした方を見て目を輝かせた。


 市場から逃げ出す人とは逆に、やや腰を低くしてアサルトライフルを構えサイトを覗きながら、目深にフードをかぶった黒ずくめの男が向かってきた。


 ボイドの眼球に男が映る。


 駆け寄ってくるボイドに、男はアサルトライフルのモードを連写に切り替え引き金を絞った。


 バスッバスッバスッバスッバスッバスッバスッバスッバスッバスッバスッバスッ!


 ボイドの全身は装甲が剥がれるように砕け、白い細かな砂のようなものを噴きだし、その巨体を横倒しにして石畳をすべった。


 黒ずくめの男はアサルトライフルのストックの根元にあるスイッチを押した。


 ストックは四十五度に折れスライドすると銃身を中心に丁字型になり、短くなった。ストックの上部は四本の指が入るほどの隙間が空いており、彼はそこを持ってライフルを背中に回し、着衣に取り付けられたいくつかの金具にカチャリとはめた。


 黒ずくめの男は姉妹に歩みよる。


 クッキー店のテーブルに高額コインを数枚叩き付けると、チョコレートのたっぷり塗ってあるクッキーともう一つ高価そうなミックスフルーツのクッキーの瓶の中に、他の種類のクッキーを入れていっぱいにすると、最後に姉妹たちの持っていた半分ずつのクッキーを乗せた。


「落とすなよ」


 姉妹は男に手渡されたクッキーの瓶を大切そうに抱え、二人揃って頭を下げた。


「ありがとうございました。ダーケス・ナイト様」


 二人が顔を上げるとそこには二輪の大きなヒマワリが咲いていた。


「さあ、今のうちに行きなさい」


 ダーケス・ナイトと呼ばれた男は姉妹が市場を出て行くのを見届けると、再び背中のアサルトライフルを抜いて、展開したストックを肩に当てボイドを見据えて構えた。


「あと三体――楽勝」


 右手で握るグリップはライフルの弾丸用。


 左手で握るグリップは小口径の五連発グレネードランチャー用だ。

 左手の人差し指をグレネードランチャーの引き金にかけ、狙いを定めると、引き金を絞った。


 シュポンという音と共に、グレネード弾が直線的に勢いよく飛びだし、ボイドの一体に着弾。


 爆発音と共にボイドは半身を失い倒れた。


 立て続けに残り二体のボイドも始末した。


 動きが停止したボイドは光りの粒子となりながら、消滅した。これもエレメンテーションダストである。あとに残ったのは純核と呼ばれる水晶のような拳大の玉だけだった。


 ダーケス・ナイトはフード越しに辺りを見渡し、唇を噛んだ。


 負傷者が大勢いた。死者も出ていた。


「ダーケス・ナイトがボイドを倒したぞ!」


「ダーケス・ナイトがやってくれた」


「ダーケス・ナイトがまた、我らを救ったぞ」


 声は徐々に増えやがて歓声になった。クッキーの瓶を抱える姉妹の姿もあった。


 歓声を聞きながらダーケス・ナイトは遺体を見つめた。


 この世界は生と死が隣り合わせなのだ。死を深く嘆き長く悼んではいられないのだ。


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