序章 双子の女神
突き抜けたような青空に七色のグラデーションが弧を描く。
吹き上げられた水の飛沫に、太陽の光が反射して見事な虹を作り出していた。
虹を作り出している噴水は、白と黒、二色が混ざり合った大理石で出来た、一輪挿しのような壺の細い口から吹き出している。
壷は二柱の女神像が掲げており、一メートル半程のその姿は微細な彫刻が施され、羽織っている優雅な薄布まで表現された、見事な造りであった。
二柱の女神像は、美麗な造形をしたピラーの上に、天を仰ぎ僅かに微笑みながら裸足で立っている。
高名な彫刻家、ダビンテ・レオポードの手によるものだ。
慈愛の女神で知られるイリス神は白い御影石で作られており、断罪の女神イズス神はその二つ名にふさわしく黒い御影石で作られていた。
女神像以外は、全て二色の入り交じった御影石で出来ていて、水に墨液たらしたかのように幻想的だ。
二柱は双子の女神と言われており、この世界では広く多くの人々に信仰されていた。
それぞれを信仰する、イリスの光明神殿教会、イズスの純黒聖堂会の名の通り、光と闇を象徴しているようであった。
ピラーを中心に広がる池には、吹き上げられた噴水の水が叩き付けられて複雑な波紋を作りだし、池底には誰が決めた訳でもないのに沈むコインが、その影を歪めている。
噴水は、縁に人が二、三十人程も座れる大きさで、やはり二色の入り交じった御影石で出来ていた。
二色の御影石は混沌とした混ざり方ではなく、白黒はっきりとツートーンに分かれている。
二色の混ざった御影石は、ダンク・フォン・アルザーヌ辺境伯が納めるアルザーヌ地方の珍しい特産品で、彼の曾祖父が現、国王生誕の祝いに献上した品だ。錦御影石という。
噴水は、子供なら野球ができそうなほどの大きな広場の中央に設置されており、地元では女神広場または噴水市場として親しまれ、いつも人で賑わっていた。
広場は四角くなっており、グルリと内周を様々な屋台に囲まれていて、東西南北にはそれぞれ出入り口があった。
屋台の前は人々が集っていた。
服装は、現代風でありながら中世ヨーロッパ然として見えるのは、素材やちょっとしたデザインの違いだろうか。
コック服姿にメイド姿、こうした者たちは裕福な家庭の買い物を任されているのだろう。
建ち並ぶ屋台だが、木の屋台骨の上にネオンサインというのが、何とも滑稽だ。
ネオンサインは商材を現しているようで、日本語のようだ。
ただ、日本語のようではあるが、何かおかしい。
外国人の書いた覚えたて漢字かまたはバグでも起こしたか、といった具合の文字を散見する。
例えば『肉屋』だが『内屋』となっていたり『八百屋』が『九百屋』や『七百屋』となっていたりするのだ。
屋台の足下からはエレメンテーションダストと呼ばれる、人畜無害の蒸気のようなものが出ており、長年多くの客たちにより踏み滑され角の取れた石畳へと、溶け込むように消えていく。
『内や』と書かれた精肉店のネオンサインの下では、冷蔵ケースに張り付くように幼い少年が好奇の眼差しで中に並べられた、様々な種類や部位の肉を見つめている。
若い母親は、少年の頭を満たされた笑顔で撫でていた。
精肉店の主人はベーコンの塊に包丁を入れかけて、やや大きめに刃を当て直した。
「おまけしといたよ」
精肉店の主人は切ったベーコンを蝋紙に包むと、年配の女性へ硬貨と引き替えに手渡した。
「あらまぁ、いつもありがとう」
女性は機嫌よく精肉店を後にした。
「ウインナーを六本ちょうだい」
次の客の声に、主人はウインナーを七本目で切り落とす。
「一本おまけしといたよ」
「いつも悪いねぇ」
客は揚々と帰っていった。
主人は包丁の油を手ぬぐいで落としながら、先程から食い入るようにショーケースを覗く少年に話しかかけた。
「今夜のおかずかい。何にするんだい」
少年は、はにかみながら母親を見上げた。
「何が食べたい?」母親は少年に微笑みかけた。
少年は口を手で覆い小声でいう。
「豚肉のチーズ卵焼き」
「ポークピカタね」
「何人家族?」精肉店の主人が訊いてきた。
「四人です」母親は指を四本立てる。「夫とこの子の姉、今は学校に行っているの。そして私たち」
今度は指を折りながら家族構成を聞かせた。
精肉店の主人は母親に背を向けると、豚のロース肉の塊に包丁を入れ始めた。
「あまり見ない顔だけど最近越してきた?」
「アリンバから一週間ほど前に。娘を学校に入れてやりたくて」
「アリンバか、いい所だねえぇ」
精肉店の主人は豚肉を五枚切り終えると、一枚を四頭分にして蝋紙に包んだ。
「おまけしといたよ」肉の入った蝋紙を母親に手渡した。
「ええ、いいんですか?」
「坊ちゃん共々お得意さんになってもらわなきゃいけないからね」
この店の店主、人柄はいいが商売には向いてなさそうだ。
「ありがとうございます」母親は笑顔でお辞儀した。
帰ろうとする母親の手を引き留めて、少年が再びショーケースにかじりついた。
それを見た精肉店の主人は少年に笑顔で声を掛けた。
「好きなだけ見ていきな」
母親は周りの客たちに会釈をして、少年の小さな肩に手を添えた。
少年にとっては色々な肉の部位が並ぶケースでさえも、娯楽なのだ。
雑貨店では若い男女が、様々な商品を品定めしていた。
「これなんかどうかしら」
貧しそうではあるものの、小綺麗にまとめた髪が印象的な若い女性が若い男性に話し掛ける。
男性は女性の指さす先を見た。
「イズス様とイリス様か綺麗だな」
三十センチ程の二柱の女神像が肩を寄せ合っている、白御影石と黒御影石の彫刻だ。
「玄関にぴったりだと思わない?」
若い女性の中では玄関にこの彫刻が飾られ、来客が、素敵ね、と笑顔を咲かせる様が浮かんでいることだろう。
「うん、いいね」男性は彫刻に顔を近づけて、首を縦に振った。
「あ! 待って」
女性は別の商品を見つけ、男性の手を引いてそちらに向かった。
二人の周りにはかすみ草が咲いているようで、幸せに満ち溢れていた。
豪華ではないが、新しいリングが薬指で輝いている指を絡めた二人は、笑顔で新居に飾る装飾品を選んでいた。
別の店には硝子の保存容器に、大人の掌くらいはありそうなクッキーが入れられた、保存便が何種類も並べられていた。
二人の少女は先程からずっとクッキーを見比べていた。
一人の少女は少し身長が高くどうやら姉のようだ。
幼い姉妹だ。
姉の小さな掌には母からもらった、少額のコインが数枚ばかり握られていた。
妹がチョコレートのたっぷり塗ってあるクッキーを指さすと、姉は値札を見て掌のコインを、指を折りながら数えて妹に小さく首を横に振った。
姉は折った指をそのままに他の種類の値札を見渡して、黄色い果実の砂糖漬けの入ったクッキーを妹に勧めた。
「これは?」
妹はじっとクッキーを見つめ妥協したように頷いた。
姉が全てのコインを店主に渡すと、黄色い果実の砂糖漬けの入ったクッキーを受け取った。
姉は眉間にシワを寄せながら慎重にクッキーを二つに割った。
当然大きさに差が出た。
つかの間悩んだが、大きい方を妹に手渡した。
妹は大切そうに割れたクッキーを胸に抱え、姉もまたすぐには食べようとはしなかった。
姉妹は再びクッキーの入った硝子の保存容器を眺め始めた。
昼前ということもあり噴水の縁では、腰掛けてサンドイッチを頬張る者や、集まる鳥たちに食べかけのパンをちぎってやる者もいた。
噴水の回りには十人ほど腰掛けていた。
その中に少し他と違う雰囲気を醸す男が二人いた。
彼らは種のようなものを握っていた。
それを散らすように一人が二粒ずつ放り投げ、両手の人差し指と親指で三角を描き、口元を細かく動かした。
種のようなものは丁度アーモンドくらいの大きさと形で、色は深紅に黒い縞模様が入っていた。
男達の小さなつぶやきに合わせ、種は光り輝いた。
それを確認した男達は足早に市場を後にした。
その後を二つの人影が追っていった。
輝く種は次第にその大きさを増し三メートル近いサイズになった。
三メートルもの大きな物体は真っ赤で全身に黒い縞模様が走っていた。
「ボイドだーっ!」
誰かが叫ぶと広場はたちまちパニックとなった。




