第九話 エクソシスト
女王の様態は藤之木うるかが思っていたよりも酷く、想像を超えるものだった。
素晴らしい調度品が並ぶローボードや小さなテーブルが配置された、広く窓の多い豪華な部屋の中央に、金の刺繍をあしらったエンジ色の天蓋付きの優美なベッドはあった。
いくつかある花瓶には鮮度のいい花が生けてあり、王妃を心配するメイドたちの心の内を覗き見ることが出来たし、王妃の人柄も垣間見ることが出来た。
年齢不詳の王妃は苦痛に顔を歪めても、尚美しかった。
手足は傷が付かないよう、細く切ったシルクで四方に括り付けられていた。
国王、七人の王子、四人の王女、メイドたちそしてアッシリアとエヴェリナ、ベッテが、王妃とうるかを見守っていた。
王女たちはおおむね好感を持っていたが、七人の王子のうち口を挟まなかった者も含め、幾人かの反感をうるかは買っていた。
心の中では失敗を願っていたに違いない。
『まずは指輪大いなる天と大地の癒やしをエヴェリナの指に嵌めてください。この中ではまだ、エレメントが扱えるほうだと思われます』
うるかは神妙な声のミザリアの指示に従った。
「この指輪はあらゆる怪我、病を治す。真言は、天と大地に渦巻く精霊たちよ、その力を我に与えたまえ、この者を癒やしたまえ、だ」
エヴェリナは何度も真言を唱え、暗記した。
うるかは王妃に跨がると、首から外したミザリアのクロスを額に当て、小さく何やら呟いた。古代パブリス語で悪魔よ去れ、と言っているのだ。
のたうち回っていた王妃が静まりかえった。
室内がどよめきメイドが涙を流した。
スピリットナイフで手足の拘束と解くと、王妃の身体を真っ直ぐにして、手を胸元で組ませた。
うるかは王妃に跨がったまま、王妃の組んだ手の中にミザリアのクロスと、自分の手を入れクロスごと王妃の手を握った。
数秒もしないうちにうるかは座したまま眠りについた。
瞼を開けると青と黄色と黒の入り交じった空に、地面はかろうじて土の色をしているが、紫の蔦がとことどころ雑草のように生え、トカゲの顔をした花が咲いていた。
先に目を向けると、地面に突き立てられた丸太に、王妃が後ろ手で縛られていた。
そこに向かって、下腹が出ていて痩せ細り長い手足をした、頭に一本の角を生やす、鬼か悪魔としか形容しがたいものが駆け寄っていた。
王妃は絶叫しながら首を激しく横に振っていた。
「ミザリアさん、どうすればいいですか」
「斬り殺してしまえばよろしいのではございませんか」
「スピリットナイフで?」
「いえ、ケイオスブレードでございます」
「あれ、壊れてるんです」
「え? そんなはずはございません。しかしそれはあとに致しましょう。ドラゴンブレスをお使いください」
「使えるんですか」
鬼か悪魔かそれは、王妃のすぐそこまで迫り、うるかは焦りを覚えている。
「安全装置を外して引き金を引けばよろしいのです」
「当たりますか」
「我が主に不可能はございません」
「リアルを追求して二十一発しか入れてないんです、BB弾」
「リロードしてください。空間中のエレメントを吸収して、対魔弾を自動生成いたします」
「はいっ! ありがとうございます」
腰からドラゴンブレスを抜くと、王妃に近いものから撃った。
一番近いものは一メートルを切っていた。頭部に狙いを定め引き金を絞る。弾頭は見事に頭部を吹き飛ばした。
驚いた王妃はうるかを見た。
狙いを定め次々撃った。面白いように当たる。
これも異世界補正か、うるかはそう考えた。
弾が切れればリリースする。マガジンを持っていると、ほんの二、三秒で銃弾が満たされていくのが分かる。弾丸は彫刻が施してあり、邪慾のネクロノミコンに描いた通りの物だった。
じきに悪魔を全て倒す事が出来たうるかは、王妃に歩み寄った。
「遅くなって悪かった。怖い思いをさせたな」
「あなたは?」王妃は拘束を解かれると、うるかに尋ねて来た。
「我が名はウルカ・フジノキまたの名をダーケス・ナイト」
「ダーケス・ナイト様、救い出してくださるのですか」
「会うだけならベッドで構わない。ここへ来たからには、命に替えても救い出してみせる」
王妃は涙を流した。
「辛かったんですね」
うるかはアッシリアで気をよくしたのか、王妃を抱きしめた。
王妃もまたうるかにしがみ付いた。
――そんなに辛かったんだ。絶対に救い出してみせる――
王妃を連れて歩いていると、再び先程とは違う形状の群れが現れた。
『ミザリアさん、あいつらってなんなの?』
『悪魔には等級がございまして最上級悪魔、貴族悪魔、上級悪魔、中級悪魔、低級悪魔、下級悪魔の六段階でございます。あいつらは下級悪魔でございます』
『取り憑いているのが上級悪魔って事?』
『はい。それと、ケイオスブレードが、使えなかったということでございますが、楕円の宝石を親指でなぞってくださいませ』
『手袋のまま?』
『はい、左様でございます』
『あとでやってみる。まずは、前から来てるこいつら下級悪魔ども』
「王妃は僕の後ろに」
左手の手袋を外し、掌をかざした。
「目覚めよ煉獄の番人ガブラよ。あの者どもを一掃出来るか」
「お任せ下さい我が主」
巨大な火球が全ての悪魔を焼き付くし、大きな穴を空けた。
――悪魔の夢だし、まあいい――
ほとんどガブラ任せで進み、夜が来た。
「ミザリアさん、晩ご飯とか寝るとこはどうしたらいいの?」
「……大変申し訳ございませんでした。そこにはまともに食べられる物はございません」
「飲み水は?」
「……大変申し訳ございませんでした。そこにはまともに飲める水はございません。次からは食事と水を持って行くよう助言させて頂きます。寝るのはベッドを持って運ぶ訳にもいきませんので、恐縮でございますが、適当な場所で寝てくださいませ」
そのことを王妃に告げると、今までのことを考えれば二、三日たいしたことは無いと笑顔で答えた。
歩きながら王妃と話すのは楽しかった。
王妃の時折見せる少女のような笑顔を見て、日頃の王室での苦労がうかがい知れた。
悪魔は先へ進むほど強さを増していき、狡猾になった。
骸骨で出来た森を歩いていると、上から一体の低級悪魔が飛び降りてきた。近ければガブラが使え無いからだ。
腰からケイオスブレードを抜き、楕円の宝石を親指でなぞる。
閉じた鍔が左右に開き、中央からモザイクが組み上がるように、国鉄色の刃が形成された。
振り回される鋭い爪を剣で受け、回転ざまになぎ払う。一進一退する攻防の中、背後の木陰から二体の低級悪魔が襲ってきた。背中に激痛が走り、血が滲む。
「疾風よりも早く、鐘の音が一万尺へ届かん前にたどり着け、駆けろ神速」
唱えると、周りの時間が止まった中で動き回ることが出来た。十秒間、音速を超えることが出来るのだ。
二体の悪魔の首を切り落としたところで、ミザリアが慌てて声を掛けてきた。
「今度こそ名前を聞きだいして下さいませ」
「そうだった」
うるかは三体目の首で刃を止め、脚を切り落とした。
悪魔たちは崩れ落ちた。
神速のリキャストタイムは三十分とうるかは大学ノートに書き込んでいる。しばらくは使えない。
「王妃は後ろを向いて耳を塞いでて」
これから悪魔を拷問して、取り憑いている奴の名前を聞き出さないといけないらしいのだ。
まずは悪魔の死体にスピリットナイフを突き刺し、柄の底にあるボタンを押し込む。刺さった切っ先から、精霊が送り込まれブクブクと拳大の風船が膨らむように身体に広がると、肉片となり粉々にはじけ飛んだ。
脚を無くして尚も悪態をつく悪魔がにわかに黙る。
「これから質問をする。楽に死にたいか、苦しんで死にたいか選ばせてやろう」
うるかは悪魔の腕にナイフを刺してボタンを押し込んだ。
精霊が送り込まれただけでも苦しいらしく、悪魔は絶叫した。
やがて腕は幾つもの玉を膨らませ、はじけ飛んだ。
「何が訊きたい。何でも答える。だから殺してくれ」
「おまえの主の名を言え」
もう片方の腕にナイフを刺した。
「バズール様だ上級悪魔のバズール様だ」
「悪魔は狡猾です。拷問を続けてくださいませ」ミザリアが言った。
「バゾールだな。中級悪魔のバゾールだな」
「そうだ、いや、上級悪魔だ上級悪魔、上級悪魔のバゾール様だ」
腕に精霊を送り込む。
「うわーっ! バズルーだバズルー様だ」
「バジルーで間違いないか!」
「バズルー様だ」
「いや、今おまえはバジルーと言った」
「おまえの耳は節穴か!」
「バズルー様だって言ってるだろうが」
スピリットナイフを抜いた。
悪魔は息を切らしながら、バズルー、と繰り返した。
ケイオスブレードを抜き、刃に炎をまとわせる。
「さっさと殺せ。悪魔が真実を語ったんだぞ」
ケイオスブレードの炎を黒く燃やした。
「た、た、頼む普通に殺してくれ」
黒い炎は魂を焼き尽くす。人間には実感がないが、神や悪魔にとって本来は人間も魂とは、輪廻転生に必要不可欠なものらしい。場合によっては死んで三日後には転生する、なんてこともある。だから、魂を焼かれるということは、世界、宇宙から、その存在を消されることなのだそうだ。
「最後にもう一度チャンスをやる」
「バズルーだバズルー、間違いないバズルーだ。血筋も派閥も教えてやる、他に知り――」
「ありがとう」
うるかは悪魔の胸に、黒い炎をまとった刃を突き立てた。
悪魔は黒い炎に包まれ、炭すら残らなかった。
「王妃、遅くなった。嫌な思いもしただろうが、必要なことなんだ、理解して欲しい」
「もちろんです。それより怪我は」
「服はすぐ修復されるし、怪我も時間をかければ、今までみたいに治っていくよ」
負傷しながらも戦いを続け、時には王妃の勧めによりヒザ枕で休む事もあった。
しばらく歩くと光りの柱が見えた。
「あそこだ、あそこに着けば旅も終わりだ」
王妃の部屋でエヴェリナは涙を湛えながら治癒し続けた。
うるかのコートが突然破れ、大量の血が噴き出すのだ。
「天と大地に渦巻く精霊たちよ、その力を我に与えたまえ、この者を癒やしたまえ」
うるかに光りの粒子が集まり出血が止まる。それもつかの間でまた別の箇所から出血するのだ。
「天と大地に渦巻く精霊たちよ、その力を我に与えたまえ、この者を癒やしたまえ」
時には癒やしている時に出血するということもある。
夢の世界で数日間に及ぶ怪我が、現実世界では数分間に凝縮されるからだ。
うるかが眠りに落ちて、ずっとこの調子であった。
アッシリアの頬も乾くことは無かった。
純黒聖堂会の大司教の部屋をノックの音がした。
大司教が入れと声を掛けると、三人の黒ずくめの男が入ってきた。
「お伝えしたいことが」大司教の返事を待たずに、男は続けた。「王城内に常駐している枢機卿から連絡がありまして、見知らぬ少年が王妃にエクソシズムを行っているとか」
「どうせ出来はしません。小銭欲しさの小悪党でありましょう」
「それが、ダーケス・ナイトを名乗っておりまして」
「うむ、それは見過ごせませんな。枢機卿に見張らせるよう言いなさい」
「かしこまりました」
うるかと王妃は悪魔の名前を聞き出しつつ、確実に出口である現世の門、ブライトネスゲートに向かっていた。
ほんの数刻も歩けば付く距離であった。




