幽霊と、未練と、メロン二個
朝から財布の中身が寂しかった。
ボッチルフは宿の部屋で所持金を数えた。じゃらじゃらと硬貨を並べて、また数えた。
何度数えても、結果は同じだ。
「……まずいでございます……ふごっ……」
「おなかすいたニャン」
ニャリエナが腹を押さえた。
ボッチルフは硬貨をかき集めて、しまう。
「……ギルドに行くでございます……ふごっ……」
ギルドは朝から人でごった返していた。
掲示板の前には冒険者たちが集まり、紙を剥がしたり、奪い合ったりしている。
ボッチルフは人の隙間を縫うようにして、なんとか前へ出た。
壁一面に貼られた依頼書に目を走らせる。
「……ううむ……ふごっ……」
指で一枚ずつ押さえながら、内容と報酬を確認していく。
討伐依頼は報酬が高い。
だが。
「……全部ランクC以上……ふごっ……」
報酬の良い討伐依頼は、ランクD以下のものがない。
前にカイルが、近ごろ魔物が強いと言っていたが、討伐依頼の偏りを見る限り、ただの噂ではなさそうだ。
そもそも、ランクD以下向けの依頼が少ない。あっても雑用か、報酬の安い採取ばかりだ。
ボッチルフは眼鏡を押し上げた。難しい顔のまま、次の紙へ手を伸ばす。
「勇者様、これ」
ニャリエナが一枚の依頼書を指さした。
背伸びして、ぺたっと貼られた紙を押さえている。
「これ、稼げそうニャン」
ボッチルフがそちらを見る。
報酬欄が他より明らかに高い。ランクは不問と書いてある。
ボッチルフは依頼書を剥がして、目を通した。
「……こ、これは……」
眉を寄せる。
「何て書いてあるニャン?」
「幽霊屋敷の……調査……でございますか……ふごっ……」
「幽霊って、お化けのことニャン? これにするニャン」
「……ちょ、即答でござるか……その……あまり、いい予感がしないでござる……」
「お金、多いニャン」
「……そ、それはそうでございますが……ふごっ……」
「おなかすいたニャン」
ボッチルフは、依頼票を受付に持っていった。
屋敷は街外れにあった。
門をくぐると、空気がひんやりと変わった。庭の草が伸び放題で、屋根の一部が崩れている。
窓ガラスが割れていて、風が吹くたびに何かが軋む音がした。
「……古いでございますな……ふごっ……」
ボッチルフはぼそぼそと呟きながら中に入った。
ニャリエナは鼻をひくひくさせながらついていく。
「変なにおいがするニャン」
「……ど、どんな匂いでございますか……ふごっ……」
「普通じゃないにおいニャン。でも怖いにおいじゃないニャン」
ニャリエナはいつも通りの足取りで答えた。口調も変わらない。
「ニャリエナ氏は……怖くないでござるか?」
「お化けよりも、人攫いの方がよっぽどこわいニャン」
あっさりと言った。
「……それは……そうでござるな……」
ボッチルフは小さくうなずいた。
「……死んでいるものより、生きている者の方が……よほど怖いでござる……ふごっ……」
廊下を進んでいくと、奥の部屋から物音がした。
扉を開けると、やつれた男がそこにいた。
体が半透明で、足元が宙に浮いている。こちらをじっと見ていた。
「……女連れか……肝試しなら帰れ」
低い声だった。
ニャリエナは首を傾げた。声は聞こえているが、姿が見えないらしく、きょろきょろと辺りを見回している。
ボッチルフは固まっていた。でも逃げなかった。眼鏡を押し上げた。
「……そ、それは……できないでございます……ふごっ……依頼でございますので……」
幽霊がボッチルフをじっと見た。
「……依頼、か……」
ぽつりと呟く。
「……どうせ金だろ。生きてる奴は、皆そうだ」
幽霊の視線が落ちた。
「……働いても働いても足りない。誰も助けてくれない……いいことなんて、何もなかった」
幽霊は悲しげにそう言った。空気が、少しだけ重くなる。
「……ふごっ……それは……その……わかるでございます……」
少しだけ間があって、ボッチルフが言った。
幽霊が顔を上げた。
「……は?」
「……吾輩も……その……似たようなものでござる……ふごっ……」
ボッチルフはその場に座り込んだ。膝を抱える。
幽霊も、つられるように床の少し上にしゃがみこんだ。
二人で、並んだ。
「……頑張っても、報われないんだよな」
幽霊がぽつりと言った。
「……でございますな……ふごっ……手柄を立てても……その……たまたまと言われるでございますし……」
「……わかる。俺も、どれだけ働いても認めてもらえなかった」
「……存在が迷惑扱いでございますし……ふごっ……」
「……俺も、いるだけで場の空気が悪くなってた」
どんどん声が小さくなる。部屋の空気がじわじわと重くなっていく。
部屋の隅で、ニャリエナがぴょこぴょこと動いていた。鼻をひくひくさせながら、幽霊の周りをぐるぐる回る。
「やっぱり変なにおいニャン。この辺りニャン」
幽霊に手を伸ばすが、すり抜けた。
「さわれないニャン」
少しだけ残念そうにして、またくるくる回る。
「……女にも……縁がなかったでございます……ふごっ……」
ボッチルフが小さく言った。
幽霊が静かに答えた。
「……俺も、なかった」
「……ないまま……今に至るでございます……ふごっ……」
「……俺は、ないまま終わった」
二人の背中が、同じ角度で丸くなった。
しばらくの間床に視線を落とし、誰も何も言わなかった。
やがて幽霊が、ぼそりと言った。
「……でも、お前は今、誰かと一緒にいるじゃないか」
ボッチルフがちらっと横を見ると、ニャリエナがまだ幽霊の周りをくるくると回っていた。
「……ふごっ……そう、でございますが……その……よくわからないでございます……なぜ一緒にいるのか……」
「……羨ましいな。一人じゃない、ってことが」
ボッチルフは何も言えなかった。眼鏡を押し上げる。
「……俺も、仲間が欲しい。お前のこと、気に入った」
幽霊がゆっくりと立ち上がり、距離を詰める。
「……一緒に来るか」
次の瞬間、後ろの空間に暗い穴が開いた。ボッチルフの体がふわりと浮き、後ろへと引かれていく。
「……そ、それは……ふごっ……困るでございます……あわわ」
「だめニャン!!」
ニャリエナが叫んだ。ボッチルフの脚に飛びついて、両手でしがみついた。
「勇者様はわたしのものニャン! 渡さないニャン!!」
幽霊とニャリエナの、壮絶な綱引きが始まった。
ボッチルフの身体が、少しずつと暗い穴へ引き込まれていく。ニャリエナが両足にしがみついて、体重をかけて引き戻す。
「ちょ、ちぎれそうでございます……! ふごっ……!」
「絶対、離さないニャン!!」
幽霊が引く。ニャリエナが引く。ボッチルフが横に伸びている。
それでも、ボッチルフの身体は少しずつ暗い穴へと引き込まれていく。
そして、ニャリエナの衣服が、引っ張り合いの勢いで少しずつずり上がっていく。
「ふぎー、だめニャン! 勇者様を連れてっちゃだめニャン……ああっ!」
ニャリエナの腕からボッチルフの脚がすっぽぬけた。
勢いで、ニャリエナの衣服もすっぽ抜けた。
ぽろん。
立派なメロン二個が、こぼれ落ちた。
世界が止まった。
ボッチルフの思考が停止した。幽霊の動きも止まった。二つの視線が、そこに吸い寄せられた。
どばふっ。
ボッチルフの鼻から赤いものが噴き出した。
幽霊が、ぽつりと呟いた。
「……でかい……おっぱ……ぃ」
沈黙があった。それから幽霊は、静かに、ゆっくりと頷いた。
「……なるほど……これは……いい」
ふっと、力が抜けた。ボッチルフの体が床にどさりと落ちた。幽霊の輪郭が、ゆっくりと薄れていく。満たされた顔だった。
「……もういい……眼福だった……満足した……」
そのまま、消えた。部屋の空気が、すっと軽くなった。
屋敷の空気が、明るくなった。
ニャリエナは服を直しながら首を傾げた。
「いなくなったニャン?」
「……い、いなくなりましたでございます……ふごっ……」
ボッチルフは鼻を押さえたまま、壁に手をついていた。
ギルドに戻って報告すると、受付の男は少し驚いた顔をしたが、依頼達成として処理した。報酬が支払われた。
ボッチルフは硬貨を数えた。
「……しばらく困らなそうでございます……ふごっ……」
「よかったニャン」
ニャリエナが尻尾を揺らしながら笑った。
ボッチルフは硬貨をしまいながら、ぼそぼそと独り言を言っていた。
ギルドを出て、宿への道を二人で歩く。
ニャリエナは首を傾けて、不思議そうに言った。
「お化けは、なんで急にいなくなったニャン?」
「そ、それは……何故で……ございましょうなあ……」
ボッチルフの視線が泳いだ。
「これのせいニャン?」
そう言って両腕でメロン二個を抱えて持ち上げた。
ぼしゅふ。
ボッチルフから鼻血が噴出す。
「ちょ、ニャリエナ氏……そのポーズはやめるでございます! 吾輩も昇天してしまうでござる!」




