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もふもふにだけモテる勇者は、自分の価値がわからない  作者: 遠崎カヲル


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12/13

市場と、お買い物と、耳まで赤いニャン

 朝、ニャリエナが目を覚ますと、ボッチルフが机に突っ伏していた。

 目の下に濃いクマが浮かび、眼鏡が曲がっている。ローブがよれよれだ。


「……二度と発情期には近づかないでございます……ふごっ……」


 何かをぶつぶつとつぶやいている。


 ニャリエナは首を傾げた。昨夜、何かあっただろうか。よく思い出せない。

 ぼんやりとした記憶を探る。そういえば、勇者様の耳を噛んだ気がする。

 顔が、少し熱くなった。


「勇者様、おなかすいたニャン」


 ごまかすように言った。


「……食料が切れているでございます……ふごっ……本日は市場で買い出しでございます……」


 ボッチルフがよろよろと立ち上がった。曲がった眼鏡を直して、買い物リストを取り出す。いつも通りだった。


 ニャリエナはその背中を見ながら、昨夜の記憶をもう一度探った。

 耳を噛んだ。それは確かだ。

 それから、何か言った気がする。一生懸命思い出す。


(そういえば……交尾するニャン、って……言ったニャン?)


 顔が真っ赤に染まり、尻尾がぶわっと膨らんだ。




 市場は朝から賑わっていた。

 肉の焼ける匂い、野菜の青い匂い、香辛料の刺激的な匂い。色とりどりの屋台が並び、人々が行き交っている。

 いつもなら真っ先に屋台に突進する所だ。

 でも今日は、なんとなく足が重かった。


 隣でボッチルフが歩いている。

 いつもと同じ距離のはずなのに、妙に近く感じた。


(変ニャン……)


 ボッチルフは気づいていない。手元の買い物リストを見ながら、ぶつぶつと独り言を言っている。


「……まず食材でございますな……芋は日持ちするでございます……干し肉は割高でございますが保存性が……ふごっ……」


 ニャリエナはその横顔をちらりと見た。

 いつもと同じ顔だ。メガネが少し曲がったままだ。前髪が目にかかっている。

 なのに、なんだか落ち着かない。


(何か変ニャン。いつもよりドキドキするニャン)


 横目でボッチルフをちらちらと見る。

 ボッチルフは買い物リストに没頭している。


(勇者様はなんで平気ニャン……あんなこと言ったのに……)




 肉屋の前に来た。

 ボッチルフが値段表を確認しながらぶつぶつ言っている。


「……こちらの部位は筋が多いでございますが、煮込めば柔らかくなるでございます……コスパが……ふごっ……」


 店主がにこやかに顔を出した。


「いらっしゃい。兄ちゃん、彼女さんかわいいな! 二人は恋人かい?」


「ち、違うでございます!! 主人と奴隷でございます!!」


「がっはっは、わかってるさ。お前さんにはもったいもんなあ」


 店主が豪快に笑う。


 ニャリエナは耳をぴんと立てた。


 恋人。


 その言葉が、頭の中でゆっくりと広がった。

 昨夜のことが、また蘇ってきた。耳を噛んだこと。「交尾するニャン」と言ったこと。

 顔が熱くなった。


「ニャリエナ氏? 顔が赤いでございますが……まだ……後遺症が……?」


「ち、違うニャン!! なんでもないニャン!!」


 ボッチルフは首を傾げながら、店主に向き直った。


「こちらの肉は割高でございますな……隣の店の方が……ふごっ……」


 ボッチルフは平常運転だった。

 ニャリエナはその背中を見た。


(勇者様は、本当になんとも思ってないニャン……)


 なぜか、それが少し悔しかった。




 人混みの中を歩きながら、ニャリエナはまた、昨夜のことを考えていた。

 記憶は断片的だが、確かにある。勇者様の耳を噛んだこと。あんなことを言ったこと。

 足が止まり、人波にそのまま飲み込まれた。


「ニャリエナ氏!?」


 ボッチルフの手が、自然にニャリエナの手を掴んだ。


「危ないでございます」


 ニャリエナが停止した。

 手を掴まれている。ボッチルフの手だ。大きくはない。でも温かい。

 顔が熱くなった。耳がぺたりと伏せられ、尻尾がぶわっと膨らんだ。


「ど、どうしたでございますか?」


 ボッチルフが覗き込んできた。顔が近い。

 ニャリエナはその手を振り払おうとしたが、できなかった。


(……温かいニャン)


 手は繋いだまま。


「顔が赤いでございますな……やはり後遺症が……」


「違うニャン!! 後遺症じゃないニャン!!」


「では何でございますか?」


「……なんでもないニャン!!」


 ボッチルフは首を傾げながら、また買い物リストに目を戻した。

 手は繋いだままだった。本人は気づいていないらしい。

 ニャリエナは繋がれた手をじっと見た。


(……なんで平気ニャン、この人……)


 平常運転のボッチルフを少し羨ましく思った。




 服屋の前を通った時、ボッチルフが立ち止まった。


「そろそろ防寒具が必要でございます……ふごっ……こちらの方が丈夫で安いでございますな……」


 棚を眺めながらぶつぶつ言っている。値段を比較して、素材を確認して、また値段を見る。

 店員がニャリエナに話しかけてきた。


「ご主人、しっかりしてるねえ」


「そうニャン。頼りになるニャン。大好きニャン」


「お、二人は付き合ってるのかい?」


店員がニコニコしながら身を乗り出した。


「付き合うって何ニャン?」


「恋人かって事だよ」


 恋人。


 さっき聞いた言葉だ。

 ニャリエナの耳が、じわじわと赤くなっていった。


(恋人……勇者様が……)


 昨夜のことがまた蘇ってきた。何度目だろうか。


「ニャリエナ氏、顔が――」


「なんでもないニャン!!! ふー!」


 威嚇の声を上げる。

 ボッチルフが目を丸くした。


「は、はいでございます……ふごっ……」


 ニャリエナはそっぽを向いた。耳まで赤かった。




 夕方、荷物を抱えて帰り道を歩いた。

 ボッチルフは満足そうだった。


「本日は安く買えて満足でございます……ふごっ……芋と干し肉と根菜があれば一週間は……」


 ニャリエナはずっとボッチルフを見ていた。横顔、歩き方、そして荷物を持つ手。

 今日一日、何度も昨夜のことを思い出した。そのたびに顔が熱くなった


 少しだけ、ボッチルフの袖を掴んだ。

 ボッチルフが立ち止まった。


「……?」


 夕暮れで、空が赤く染まる中、ニャリエナはボッチルフを見下ろした。


「勇者様……今日も離れて寝るニャン?」


「当然でございます!!」


 少し間があった。


「……ちょっと残念ニャン。たまには一緒がいいニャン」


「ふごっ!?」


 ボッチルフは鼻を押さえながら、早足で歩き出した。

 ニャリエナはその後ろを、袖を掴んだまま、ついていった。

 耳はまだ、少し赤かった。

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