第七話 最初の授業
翌朝、鬼燈院の廊下は騒がしかった。
どこへ行けばいいかわからない新入りが廊下をうろうろし、上級生らしき者たちがその横を颯爽と通り抜けていく。渡り廊下の欄干に昨日の四本足の何かがまた座っていた。新入りの一人がそれに気づいて悲鳴を上げた。四本足の何かは迷惑そうに耳を動かし、どこかへ行ってしまった。
「どこだ、第一教室。」
アケルが廊下を見渡しながら呟く。
「こっちだよ。」
カヤが横を通り過ぎながら言う。
「知ってたなら声かけてくれよ。」
「声かけてる。」
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第一教室は、鬼燈院の中央棟にあった。
天井が高く、黒光りする木の机が並んでいる。窓の外には山が見え、朝の光が斜めに差し込んでいた。壁には古びた掛け軸がいくつも掛かっていて、そこに道術の型らしき図が墨で描かれていた。
生徒は20人ほどいた。
アケルはエンジとカヤの隣に座った。前の席にはすでにソウジが座っていた。背筋が真っ直ぐで、机の上に何も出していない。ライラは端の席に小さく座っていた。前髪が目にかかっていて、表情がよく見えない。
しばらくして、教室の扉が開いた。
入ってきたのは、男だった。
背が高く、細い。藍色の着物を無造作に着こなし、帯もどこか緩い。髪は後ろで軽くまとめているが、何本かがほつれて顔にかかっていた。顔つきは整っていて、どこか色気がある。目は眠そうで、口の端がわずかに上がっていた。全体的に、やる気があるのかないのかよくわからない——だが不思議と、目が離せない雰囲気があった。
男は教壇の前に立ち、生徒たちをゆっくりと見渡した。
それから、軽く手を上げた。
「よー。霧島ミサゴ。今年担当する。まあよろしく。」
教室がざわりとした。
「……先生、それだけですか。」
前列の生徒が恐る恐る聞く。
「あー、等級と専門も言った方がいい?五位。水と風。以上。」
「に、二系統ですか。」
「そう。まあ、それより自己紹介やろうか。お前たちのことが知りたい。」
ミサゴは教壇に腰を預け、腕を組んだ。眠そうな目で生徒たちを眺めながら、口の端を上げる。
「名前、出身、タオの系統、鬼燈院に来た理由。順番に。」
アケルは隣のエンジを見た。エンジは口の端を上げていた。
「五位って相当じゃないの。」
アケルが小声で言う。
「相当だね。」
「なのにあの感じ?」
「だから面白いじゃん。」
ソウジがちらりと振り返った。
「私語は慎めー。」
「はーい。」
アケルが小声で答える。ソウジは前を向いた。
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自己紹介は前の席から順番に進んだ。
様々なタオの系統を持つ生徒たちが、緊張しながら立ち上がっては座っていく。
「丘田ハルオです。城下の出身です。タオの系統は土です。父が術師で、自分も術師になりたくて来ました。よろしくお願いします。」
「常盤トワ。山間部の出身です。系統はまだわかりません。強くなりたくて来ました。」
「羽間リクオ。系統は水です。軍に入るための前段階として来ました。」
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ミサゴは生徒たちを眺めながら、時折軽く頷いていた。
やがてソウジの番が来た。
ソウジは静かに立ち上がった。背筋が伸び、視線が真っ直ぐ前を向く。
「天倉ソウジ。天倉一族の出身です。タオの系統は氷。鬼燈院に来た理由は——術師として、この国の役に立つためです。」
淡々としていた。感情が読めない。だがその声には、確かな芯があった。
ミサゴがソウジを見た。それまでの眠そうな目が、わずかに変わった。
「天倉、か。」
「はい。」
「貴族が術師になるのは珍しい。なんで?」
口調は軽かった。だが目は、しっかりとソウジを見ていた。
ソウジは少し間を置いた。
「戦争で、助けてもらったからです。術師に。」
ミサゴはしばらくソウジを見ていた。それから、ふっと口の端を上げた。
「そっか。座れ。」
ソウジが座った。その横顔は、変わらず静かだった。
次はエンジだった。
エンジはゆっくりと立ち上がり、軽く周囲を見渡した。飄々とした笑みが口の端に浮かんでいる。
「火箸エンジです。系統は鉄と…。まぁ、来た理由は——、いろいろあって。」
教室がざわりとした。火箸、という名前に反応した者が何人かいた。
「火箸一族って、戦争で名を挙げた——火と鉄の道術を得意とする名門じゃないか…。」
誰かが小声で言う。エンジはそれを聞いてか聞かずか、さっさと座った。
カヤが立ち上がった。
「深森カヤ。系統は植物。来た理由は、一族の意志を継ぐためです。」
短かった。座った。
火箸、と聞いてざわついていた教室が、深森、という名前でまたざわついた。
「深森と火箸が同じ教室に……。」
また誰かが小声で言う。カヤはその声が聞こえているはずだが、正面を向いたまま表情を変えなかった。エンジもまた、飄々とした顔のまま天井を見上げていた。
ミサゴが2人を交互に見た。
「……にぎやかになりそうだな。」
独り言のように呟いて、また口の端を上げた。
アケルの番が来た。
アケルは立ち上がり、軽く頭をかいた。
「麻波アケルです。出身は城下。タオの系統はまだわかってないです。来た理由は——強くなりたいから。」
シンプルだった。だがその言葉に、迷いはなかった。
ミサゴがアケルを見た。
「系統わかってないのに来たの。」
「先生に連れてこられた感じです。最初は。」
「最初は?」
「今は自分で来たいと思って、この場にいます。」
ミサゴはしばらくアケルを見ていた。それから、ふっと笑った。
「ふーん。まあ、そういうやつが一番伸びるから。じゃあ、座れ。」
アケルは少し面食らいながら座った。
最後にライラの番が来た。
ライラはゆっくりと立ち上がった。前髪が目にかかっていて、表情がよく見えない。声は小さかった。
「臼井ライラといいます。系統は雷です。来た理由は……術師になりたかったから、です。」
それだけだった。
教室に特に反応はなかった。ライラは静かに座った。
カヤがちらりとライラを見た。ライラは前を向いたまま、微動だにしなかった。
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自己紹介が終わると、ミサゴは軽く伸びをした。
「よし、以上。今日はこれで終わり。」
教室がざわめいた。
「え、それだけですか。」
前列の生徒が言う。
「そうそう。お前たちの顔と名前と系統はわかった。十分。明日から訓練が始まるから、まあ覚悟しといて。」
「訓練って、どんな——」
「明日になればわかる。」
ミサゴが教壇を離れ、扉へと向かいながら軽く手を振った。
その背中に、アケルが声をかけた。
「先生。」
ミサゴが足を止める。振り返った。さっきまでと変わらない、眠そうな目だった。
「なに。」
「先生は、なんで術師になったんですか。」
教室が静まり返った。
ミサゴはしばらくアケルを見ていた。
それから、扉に手をかけながら言った。
「さあな。忘れた。」
扉が閉まった。
教室に沈黙が落ちる。
「……忘れたって何だよ。」
アケルがぼそりと呟く。
エンジが肩を揺らした。笑っていた。
「面白い先生じゃん。」
「面白いか、あれ。変だろ。」
「面白いよ。絶対、なんかあるって。」
アケルはミサゴが出て行った扉を見た。
「さあな。忘れた。」——そんな答えを返す人間が、何もない人間のはずがない。
窓の外で、風が山の木々を揺らした。




