第十六話 封印された箱
「お前たち三人に、任務だ。」
ミサゴがそう言ったのは、いつもの第一教室だった。だが、放課後の教室には、アケル、ソウジ、ライラの三人しかいなかった。
「任務?」
アケルが聞き返す。
「そう。軍から俺に依頼が来た。運搬物の護衛だ。目的地はイヅルの国と隣国の軍事境界線——そこで隣国側に引き渡す。道中、荷物を守るのがお前たちの仕事だ。」
ミサゴは教壇に寄りかかり、いつもの眠そうな目で三人を眺めた。
「本来は俺一人の話だ。だが、お前たちも連れていく。この任務、難易度的にはお前たちの入門編としてちょうどいい。軍とも話をつけてある。」
「俺たち、まだそういう段階じゃないんじゃないですか。」
アケルが聞く。
「だから俺がついていく。何かあったときは俺が対処する。お前たちは荷物の横にいて、目を光らせてればいい。」
ミサゴが軽く言う。
「荷物?」
「封印された箱だ。」
ミサゴが軽く言う。
「中身は?」
アケルが聞く。
ミサゴが答えようとした、そのときだった。
廊下から、足音が聞こえてきた。
規則正しい、重い足音。一歩一歩が、床をしっかりと踏みしめている。迷いのない、真っ直ぐな足音だった。
教室の扉が、静かに開いた。
入ってきたのは、一人の男だった。
深緑の詰め襟に、金の刺繍が肩から胸にかけて走っている。腰には刀。革の帯が、きっちりと締められていた。髪は後ろで固く束ね、顔には余分な表情がない。軍の正装だった。それも、相応の位の。
男は教室を一瞥して、三人を順に見た。
「それは、お前たちが知る必要のないことだ。」
三人が思わず背筋を伸ばした。
男はゆっくりと教室に入ってきた。
「此度の任務、我々が霧島に依頼したものだ。」
冷たい目が、三人を順に見た。
「生徒を連れてくるとは聞いていなかったが——霧島の判断だ。口は出さん。」
「だが。」
軍人の目が、鋭くなった。
「お前たちも同行する以上、同じ規律に従ってもらう。」
「中身は教えてもらえないんですか。」
ソウジが静かに問う。
「教えられない。」
軍人が即答した。
「一つだけ、はっきり言っておく。」
軍人が一歩、前に出た。
「箱は、絶対に開けるな。封印に触れるな。中を覗こうとするな。何があってもだ。」
教室の空気が、張り詰めた。
「これは命令だ。守れない者は、今すぐ降りろ。」
誰も、何も言わなかった。
アケルは軍人の目を見た。本気だった。脅しでも、もったいぶっているのでもない。本気で、絶対に開けるなと言っている。
「……わかりました。」
アケルが言う。
軍人はしばらくアケルを見て、それから頷いた。
「結構。引率は霧島がつく。兵も数名同行する。出発は明朝だ。」
それだけ言って、軍人は教室を出ていった。
教室に、沈黙が残った。
「……なんか、ただの運搬任務じゃなさそうだな。」
アケルが呟く。
「当たり前だろ。」
ソウジが冷静に言う。
「ただの荷物に、軍人がわざわざ釘を刺しに来るか。中身は相当なものだ。」
「相当なものって?」
「わからない。だが、開けるなと言われたものを開けるほど、俺は愚かじゃない。」
ソウジはそれだけ言って、荷物をまとめ始めた。
アケルはライラを見た。
ライラは、端の席に静かに座っていた。前髪が目にかかっていて、表情がよく見えない。
「ライラは、平気?」
アケルが聞く。
ライラは少し間を置いて、小さく頷いた。
「……うん。だいじょうぶ。」
声は、いつも通り小さかった。
だが——その手が、机の上で、わずかに握られていた。
アケルは気づかなかった。
ミサゴだけが、ちらりとその手を見た。
そして、何も言わなかった。
「じゃ、明日の朝。寝坊すんなよ。」
ミサゴが軽く手を振って、教室を出ていく。
三人もそれぞれ、教室を後にした。
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その夜、ライラは寮の自室で、一人、座っていた。
灯りはつけていなかった。窓から差し込む月明かりだけが、部屋をぼんやりと照らしている。
封印された箱。中身を教えられない運搬物。軍人の、本気の目。
ライラは、思考を巡らせていた。
——あの箱の中身は、何だ。
軍がここまで厳重にするもの。隣国へ運ぶのか、それとも別の場所か。もし隣国に関わるものなら、報告する価値がある。いや、関わらなくても、これほどの警戒をする「何か」の存在自体が、情報になる。
ライラは無意識に、頭の中で報告文を組み立てていた。
そういうふうに、なっていた。見たもの、聞いたものを、価値ある情報として整理する。そう訓練されてきた。そうしなければ、生きてこられなかった。
——でも。
ライラは、ふと手を止めた。
明日、自分はあの三人と任務に行く。アケルと、ソウジと。
アケルの顔が、頭に浮かんだ。
「ライラは、平気?」
そう聞いてきた、まっすぐな目。疑いのない、ただこちらを気遣うだけの目。
ライラは、目を伏せた。
あの目を向けられるたびに、胸の奥が、ざわつく。
自分は、あの目に値しない。自分は、嘘をついている。スパイとして、この国にいる。いつか、あの三人を裏切るかもしれない。いや——裏切ることになる。それが、自分の役目だから。
ライラは、膝を抱えた。
——考えるな。
情報を集めて、報告する。それだけでいい。それ以外のことは、考えるな。
ライラは、自分にそう言い聞かせた。
守らなければならない人がいる。妹のような、あの子がいる。あの子のためなら、自分は何だってする。たとえ、誰を裏切ることになっても。
それが、ライラの生きる理由だった。
窓の外で、夜風が木々を揺らした。
ライラは、長い間、そうして座っていた。
月が、雲に隠れた。
部屋が、暗くなった。
それでも、ライラは動かなかった。
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翌朝。
鬼燈院の門前に、一台の荷車が止まっていた。
荷台には、大きな箱が乗っていた。木製の、頑丈そうな箱。表面には、見慣れない文字で封印が記されている。鎖が幾重にも巻かれ、札が貼られていた。
その箱を囲むように、数名の兵が立っていた。みな、隙のない構えだった。
アケル、ソウジ、ライラの三人が、荷車の前に集まった。
ミサゴが、欠伸をしながら歩いてきた。
「よー。揃ってるな。」
「先生、遅いです。」
ソウジが言う。
「朝は弱いんだよ。」
ミサゴが軽く言って、荷車を見た。
封印された箱。
その目が、ほんの一瞬だけ、鋭くなった。
「……さて。」
ミサゴが三人を振り返る。
「行こうか。簡単な任務だ。荷物を運んで、届けて、帰ってくる。それだけだ。」
そう言ったミサゴの口調は、いつも通り軽かった。
だが——その目だけは、いつもと違った。
アケルは、何も言わなかった。
ただ、封印された箱を、もう一度見た。
縄の隙間から、わずかに——何かの気配がした気がした。
気のせいだ、とアケルは思った。
荷車が、ゆっくりと動き出した。
任務が、始まった。




