第29話 泣いてぶつける本音(下)
大学に入って、ようやく出会えた理想の女の子。初めて好きだと思えた女の子――桃音がいれば、自分は幸せで満たされる。間違いない。そこにほかの女子など一切不要だ。
「だから……村山のことをなんとかする」
謙志は桃音の身体から離れた。顔を上げて、桃音の表情をのぞき込む。
「桃音も、力を貸してくれるか」
「うん……。結美ちゃんとも話していたの。村山さんときちんと話をして、決着をつけるべきなのかもしれないって」
「ああ……。俺に構うなって……もちろん、桃音にも近付くなって……はっきりとあいつに、わからせないといけない。それでもまだ諦めないなら、最悪、あいつのことを警察にでも相談するしかない」
将樹に言われたあと、謙志は何度か、華純と自分のやり取りをスマホに録画しておいた。こっそり操作したものなので、映像としては使い物にならないが、音声はしっかり録音できているはずだ。近付くな、迷惑だ、と華純に何度も伝えていたこと。華純がその要望を無視し続けたこと。第三者が見てもはっきりとわかるその証拠を基に、華純に「ストーカーされている」と、しかるべきところに訴えることはできるはずだ。
「村山さんと話すなら、もう少し人数がいたほうがいいと思うの。謙志くんの側には野中先輩にいてもらって……村山さんの側には、村山さんのお友達を二人。どうかな?」
「村山のほうにも?」
「うん」
桃音は膝立ちから再び横座りになった。涙はようやく止まり、スムーズに話せるようになってきた。
「村山さん一人だと、どうしたって一方的に責められるような形になってしまうでしょう? それだと、村山さんは萎縮して、きちんとこちらの話を受け止めてくれないと思うの。だから、村山さんの味方にもいてもらったほうがいいと思う」
「でも……それだと逆に村山が強気に出て、こっちの言うことを聞かないんじゃないか?」
「その可能性もあるけど……でも、そうとも限らないと思う」
そこで桃音は、学祭一日目、謙志と華純を見かけた直後に華純の友人、蓮花と麻衣子と話したことを謙志に説明した。彼女らは、謙志が華純を強く拒絶していることを華純から一切聞いていなかったと、とても驚いていた。だから普通に、華純のアプローチが奏功しているのだと思っていたと。そして言ってくれた。何度も拒絶されているのに謙志に近付く華純は、客観的に見てもさすがにおかしい。友人として、華純に悪質なストーカーになってほしくはないと。
「村山さんはとにかく自分に自信があって、全部を自分に都合よく解釈してしまう。そんな自分自身を、客観的に見ることができていない。だからこそ、村山さんのお友達にも、話し合いに参加してもらうの。私たちだけじゃなくて、自分の友達からでさえおかしいと言われれば……もしかしたら村山さんも、自分を客観的にとらえることができるかもしれない」
「なるほど……それはたしかに、効果があるかもしれない」
華純は物事を、見たいようにしか見ようとしない。それがいかに異常で、哀れで、そして罪深いことか。
自分に自信があるのはいいことだが、そんな自分を中心に世界が回っていると――他人がいつだって自分のために、自分が思い描いたとおりに動くと、いつまでそんな認識でいるのか。そろそろ自分のその認知のおかしさを、華純は自覚するべきなのだ。
「でも、どうやってそいつらを呼ぶ?」
「結美ちゃんに頼めば大丈夫。結美ちゃんが、福井さんたちと連絡先を交換してくれたから」
「井口が?」
「ふふっ……私たち、中高六年間、女子校だからね。女の子の世界は信頼できる仲間の数よりも、敵対していない人の数のほうが大事なの。結美ちゃんは美人だからクールに思われることもあるけど、意外と人懐っこくて社交的なところがあるから、それを活かしていろんな人に……特に年上の女の人の懐に入るのは得意なんだよ」
「えっと……つまり、桃音は村山から敵対視されているけど……井口はうまく取り入って、村山の友達とは仲良しってことか?」
「そういうこと。天文研究会でも、結美ちゃん、どの学年のどの人とも等しく仲良しの距離でいるでしょ?」
そう言われれば、と謙志は思った。
天文研究会の部室でおしゃべりをする結美は、どの学年のどの会員とも親しげに話す。自分から話しかけることはしょっちゅうだし、誰かに話しかけられることも多い。将樹に少し似ていて、誰が相手でも会話に乗ってくれるし、時には少しばかりよいしょして、相手を気持ちよくさせることもする。それでいて自分のことも気さくに話してくれるし、誰かを特別扱いすることもない。結美は無理をしたり取り繕ったりするということもなく、自然体で多くの人と関われるのだ。
「たまにはっきりと打算で動くこともあるけど……でも結美ちゃんのあの美人顔にのほほんと懐っこく笑いかけられると、だいたいのことは許しちゃうんだよね」
「才能だな……」
「うん、そう思う。ご両親譲りかな。美人な顔はお母さん似で、自然と相手を心地よくさせちゃうところはお父さん似なんだと思う」
結美は本当に、自慢の親友だ。一緒の大学に通えて、本当によかった。
「じゃあ、遠慮なく井口を頼ろう」
「うん。村山さんには、謙志くんが連絡するしかないと思うんだけど……できる? 体調に影響が出るなら、無理しなくても……」
「いや……大丈夫だ」
謙志はテーブルの上に置いたままのスマートフォンをちらっと見やった。
別れたあと一年もの間、華純の連絡先を消さないでいたのは、決して華純に未練があったからではない。「別れた恋人の連絡先」をどう扱っていいかわからず、削除の必要性もそれほど感じなかったからだ。それに、ブロックしたり消去したりすることで、自分が「悪者」になって華純を傷付けるような気がしたのだ。つまり、自己保身。他人に嫌われるのが怖かったとも言える。
だが、その情けなさのおかげで、いま華純に連絡をとる手段があることを、謙志は幸運に思った。そして、華純との話し合いが済んだら、必ず華純の連絡先は消そうと心に決める。人生には残しておく必要のない縁もあるのだ。
「場所は……どこかのファミレスとかがいいか」
「そうだね……大学内だと、それぞれの知り合いもいて邪魔されちゃうかもしれないし……」
「じゃあ、レンテバーの駅ビルの中にしよう。将樹への連絡も俺がするから……桃音は、井口を通して村山側の二人を呼んでくれるか?」
「うん、わかった」
桃音は頷くと、右手を謙志の頬に伸ばした。そして、わずかに残る涙の痕をやさしくなでさすりながら、心配そうな声で謙志に尋ねる。
「謙志くん……今の体調は? 学祭一日目、吐いちゃったんでしょ?」
「え、ああ……大丈夫だ。でも、なんで知って……」
「謙志くんからずっと連絡がないから……謙志くんを探そうとしたら、結美ちゃんが野中先輩に連絡をとってくれたの。それで、心配して五号館近くに行って……村山さんと一緒に歩いている謙志くんを見たの」
「そうだったのか……。ごめん、本当に……。五号館の男子トイレで吐いて、そのあと、保健センターの救護室に行ったんだ。そこで経口補水液を飲んで休んで……一人で帰宅した。でも、そこからずっと、村山とは関わってないから……吐いてもいない」
「本当に、村山さんがストレスなんだね……」
「ああ……あいつ、嫌いだ。桃音がほかの男子と一緒にいたから浮気してるとか……事あるごとにそういう話をしてきて……」
「ふふっ、予想どおりの離間策かあ」
「え?」
「ううん、村山さんなら、いつかそうやって、私と謙志くんを別れさせる方向に話を持っていくだろうなあ、って思っていたの。策略とか作戦のつもりなんだろうけど……こっちが簡単に読める手しか打てないなんて、別に考えが深いわけじゃないんだなあ」
謙志の体調を心配しつつもくすりと笑う桃音のほほ笑みは、どこか黒い。愛らしい顔立ちからは想像できない面もあるのだなと、謙志は妙に感心してしまった。
「ねえ、謙志くん。私、謙志くんより年下だけど、決して従順じゃないの。かわいくなくて……生意気なところもあって……村山さんから喧嘩を売られたら喜んで買っちゃうような勝気なところもあるんだけど……そんな私はいや?」
あなた、どう思われるかしらね?――以前、軽い口喧嘩をした際に華純からはそう言われた。生意気で勝気で従順でない桃音に対して、きっと謙志は幻滅するだろうと、華純は言いたげだった。
「嫌じゃない……。その……こんなふうに言うのは情けないんだけど、年下でも自分の考えがあってしっかりしていて……その……頼りになるし……」
謙志は少しばかり口ごもった。
桃音は見た目だけなら「ふんわり系」の女の子だが、その見た目に相反する強さが――小悪魔っぷりが隠れている。そこがたまらないし、そのギャップこそ、とてもいいと思う。むしろ、年下なのに勝気に誘導してくれるところなどは、本当に謙志の理想どおりだ。
「ふふっ……謙志くんの理想ぴったり?」
「ああ……どんな桃音も、俺は全部好きだ」
嫌なところなんてない。だから、絶対に桃音を手放したくない。桃音を見つめる謙志の瞳は、桃音を求めるようにどこか熱っぽかった。
そんな予想どおりの反応をしてくれる謙志に、桃音は満面の笑みを浮かべた。
「謙志くんも、私の理想にぴったり。どんな謙志くんも、全部好きだよ」
もらって嬉しい言葉を、桃音はそっくり返した。
理想にぴったりだから好き。でも、理想からずれた部分があっても好き。全部好き。それくらい特別に想うことのできる、とても特別な相手。大好きな人。
こうして謙志と桃音は、ようやく絆を取り戻すことができたのだった。
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