第28話 励まされて決める覚悟(中)
夏合宿で桃音と両思いになるまでの間も、情けない自分を何度も自覚した。異性と深く関わった経験が少ないせいで、気遣いもできなければ相手をリードすることも不得手で、同世代の同性に比べるとなんて自分は幼いのだろうかと。
だが、桃音と付き合っていく中で、以前よりは成長できたつもりでいた。
たとえば、桃音がかかとの高い靴を履いているのなら、いつもよりゆっくり歩くこと。暑い日なら、水分補給と休憩を適宜確認すること。桃音の家族を心配させないように、遠出のデートをしても、夜遅くならないうちに桃音を帰すこと。そうした心配りを、自分なりに考えてできるようにしていったのだ。
元カノたちと付き合っていた頃は、特に何も考えずに相手に合わせて頷けば、それで問題はないと思っていた。だが、そんな主体性のない人付き合いが許されるのは、せいぜい小学生ぐらいまでだろう。大人ならば、相手の立場に立って様々なことを想像し、そのうえで真に相手を思いやるもの。好きな相手ならば、そうした気遣いはなおさら必須だ。
それらが少しはできるようになり、自分は成長して大人になった気がしていた。それなのにいま、こんなにも情けなく、幼子のように自己保身に必死だ。そんな自分は嫌なのに。ちゃんと大人の男として、桃音のことを大事にしたいと思っているはずなのに。
(桃音はいま……何を思っている……?)
謙志は一度、自分自身ではなく桃音にフォーカスして考えてみることにした。
今日の片付けを終えて、桃音はおそらく、結美と一緒に帰っただろう。自分と一緒にいたくないどころか、顔すら見たくないということか。それほどに許せないと、怒っているのだろうか。ならば、これ以上桃音を怒らせないように、このまま何も連絡せずにいるほうがいいのではないだろうか。
(本当に……?)
ラーメンをすすりながら考える謙志の思考を邪魔しないように、将樹も黙ってラーメンをすすった。
(俺がすべきことは……桃音を怒らせないように黙っていることか?)
謙志は自分に問う。
相手を思いやるには、相手の立場に立って想像することが大事。けれどもそれは、相手の気持ちを勝手に決めつけるというリスクも含んでいる。
いま、桃音は怒っているかもしれない。けれど結美の言うように、もしかしたら自分と同じで、このまま別れることになるかもしれないという未来を恐れている可能性もある。あるいは、怒っているのではなく、とても悲しんでいるのかもしれない。
(桃音……桃音は、何を思ってる?)
謙志は急に、桃音の感情がわからないことをひどく不安に思った。
もしも桃音が悲しんでいるのなら、いつまでもこうして放っておかないで、安心させてやりたい。いや、そうすべきだ。悲しんでいるのではなく怒っているのなら、自分にいくらでも怒りをぶつけてくれていい。過去は変えられないので「ごめん」と謝ることしかできないが、何度でも謝るから、少しでも怒りが薄まるまで、いくらでも自分を殴ってくれていい。
でも、別れるとは言わないでくれ。桃音と別れるなんて考えられない。まだこの先もずっと、一緒にいたい。もっと桃音と一緒にいたい。
「あまり偉そうなことは言いたくないけどさ」
ラーメンを食べ終わった将樹は、ぼんやりと遠くを見つめながら呟いた。
「恋愛ってさ、時にはめちゃくちゃ格好悪い姿をさらすもんだよ。取り繕ってなんかいられなくて、醜いくらいに感情をむき出しにしてさ……自分で自分がコントロールできなくて、情けなくて無様で……でもそうやって、相手と自分の心をぶつけ合うことも必要なんだ」
将樹の口調は、謙志に説いているというよりも、過去の自分を思い出して語っているような穏やかな口調だった。
「そのぶつけ合いでどちらかが、あるいは両方が傷付くことだってある。でも本当に想い合っていれば、その傷をお互いに治してあげることもできる。自分の気持ちを言わないのも、相手の気持ちを確認しないのも……一番駄目なのは、お互いの感情をオープンにしないことだ。理屈とか理由なんてなんでもいいからさ、舟形ちゃんと話せよ。ちゃんと二人で……何があったのか、自分の気持ちがどうだったのか、それを全部……。俺と違って、お前はそれができるだろ。お前はまだ、舟形ちゃんのカレシなんだから」
夏休み前、将樹は結美のことが好きだった。しかし、どうアプローチしても結美からの良い反応はなく、そして桃音の助言を受けて、将樹は結美を諦めた。結美に対しては異性として接するのではなく、「同じサークルの先輩と後輩」という関係でいようと、あえて言葉にはしないが、将樹はきっと努力をしてきた。たやすくはコントロールできない自分の気持ちを、整理してきたのだ。
将樹はどう頑張っても、結美とは恋愛関係になれない。けれども、謙志は違う。ぎくしゃくしてはいるものの、謙志と桃音はまだ付き合っている。そして謙志はこの先も、桃音と付き合い続けたいと思っている。
(考えてる……場合じゃない……)
思考を整理するために考えなければ――そう思っていたが、そんな場合ではない。桃音は自分を避けたいと思っているかもしれないが、その桃音の気持ちは、今は尊重できない。だって、避けないでほしいから。話をしたいから。そしてまた、これまでのように仲良く一緒に付き合いたいから。
二人のその未来のためには、情けなくても格好悪くても、泥臭くても思考が整理できていなくても、桃音と言葉を交わさなければ。
謙志もラーメンを食べ終わると、リュックからスマホを取り出した。自分の心が「怖い、嫌だ」と怯えているのはわかったが、そんな弱気な自分は蹴り飛ばす。そして桃音にメッセージを送ると、将樹に「帰るか」と声をかけるのだった。
◆◇◆◇◆
「うーん……んぅ~……」
その日の夜、二段ベッドに上って横になった桃音は、手に持ったスマホを見ながら唸っていた。
<話がしたい。木曜日の三時限が終わったら、家で待ってるから来てくれないか>
今日の昼過ぎ、久しぶりに謙志から届いたメッセージ。それは話し合いを求めるものだった。
(私だって、謙志くんと話したい……でも……)
もしかしたら、謙志がしたい話とは、別れ話なのではないだろうか。
それは嫌だ。謙志と別れたくなどない。華純のことで謙志に対して怒る気持ちはまだ完全には消えていないのだが、だからといって謙志と別れたいわけではないのだ。
(怖い……)
話したい。でも、別れ話ならしたくない。
話さなければ。でも、言いたいことがまとまらない。
もしも怒りに任せて謙志にひどいことを言ってしまったら、どうしよう。謙志に愛想を尽かされて、振られてしまうかもしれない。そんなことにはなりたくない。
だけど話したい気持ちはある。なぜ無視をしていたの? なぜ村山さんと一緒にいたの? どうしてそんなことになったの? ちゃんと教えてほしい。
「うぅ~ん……」
謙志と顔を合わせるのが気まずくて、どうしようもなく怖い。そんな気持ちで、桃音の心はずっとざわざわしていた。
「桃音、どうしたの」
そこへ、パジャマ姿の光希がやって来た。光希は上段に上るための梯子に足を掛けて、ひょこっと柵の上から桃音の顔をのぞき込む。
「学祭で、何かいやなことでもあったの? 三日のうち、一日目しか大学に行ってないんでしょ?」
「うーん……」
一言で説明するのは難しい。「何か」が起きたのは学祭一日目ではあるのだが、華純の執拗なまでの謙志への付きまといなどは、もう一カ月も前から続いている。華純のことは望夢と光希にも相談したことはあったが、学祭前後の自分たちに何が起きたのかを第三者にわかるように説明するのは難しい。謙志側の事情がわからないので、自分側の主観的な話しかできず、客観性に欠けるからだ。
「私……謙志くんと別れるかもしれない……」
「ええっ!? どうしたのよ、突然。喧嘩でもしたの?」
「ううん……喧嘩は……してない……」
喧嘩以前に、そもそもここ数日、謙志とはまともに会話さえできていないのだ。対面でも、連絡アプリでも。
「じゃあ、桃音が謙志くんを嫌いになっちゃったの?」
「ううん……」
「謙志くんが、桃音を嫌いになっちゃったの?」
「ううん、それも……ないと思う。あまり……自信はないけど」
「じゃあ、どうして別れるかもしれないなんて話になるの? 相手のこと、お互いにまだ好きなんでしょ?」
なんだか思いのほか長引きそうだ。そう思った光希は階段を上りきり、よいしょと言って桃音のベッドの足元に体育座りをした。桃音は起き上がり、光希から離れて同じように体育座りになる。
「謙志くんと……その……ぎくしゃくしちゃって……」
「それで?」
「だから、その……もう……終わりなのかな、って」
「なんで?」
「なんで、って……だって……」
「ぎくしゃくなんて、するときはするものよ? 相手が恋人でも友達でも家族でも……あたしと望夢なんて、これまでに何回喧嘩してぎくしゃくしたと思ってるの」
双子の望夢と光希は男女ということもあって、双子ではあるが趣味嗜好がそれほど一致していない。何で遊びたいとかどこに行きたいとか、そういう小さな要望で意見が食い違ってはしょっちゅう言い合いになっていた。小さい頃は、見たいテレビ番組を争ってリモコンの取り合いになり、取っ組み合いの喧嘩になったこともある。
「なんかムカつく、だけどまずいことしたかな、自分が悪いかな、でも相手だって悪い……そうやっていろいろともやもやして、ぎくしゃくして……でも、なんだかんだ一緒にいる。まあ、同じ屋根の下で一緒に暮らす家族だからってこともあるけど……恋人でも同じじゃないかな。ぎくしゃくした、イコール別れとはならないでしょ」
「でも……」
「桃音は、謙志くんと別れたいの?」




