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奥手な二人は脱いだら淫ら(R15版)  作者: 矢崎未紗
第五章 悲しい亀裂

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第26話 交錯して冷える時間(中)

「うーん……あまり自分から連絡したくなかったけど、仕方ない。ここはおとなしく、松浦先輩の一番の親友の野中先輩をまずは頼ろう」


 桃音が悩ましい表情を浮かべていると、結美はそう言ってスマホを操作した。

 夏休み前、結美と将樹は連絡先を交換していた。そして幾度か、将樹からメッセージが来た。それは日常会話ばかりだったが、時々デートの誘いもあった。結美はのらりくらりと断り続けて、遠回しにではあるが、将樹と恋愛関係になるつもりはないことを示していた。

 そして夏休みを境に、将樹からの連絡は来なくなった。おそらく、結美と男女の関係になりたいという思いを諦めてくれたのだろう。部室や食堂で普通に話す分には気さくな先輩で、そういう存在としては決して嫌いではないので、将樹にはずっとそのポジションでいてほしい。

 そんな将樹に自分から連絡するのは少々気まずくてためらわれるが、桃音の恋人である謙志に何か起きているかもしれないのなら、話は別だ。


「連絡したけど、既読が付かない……。野中先輩も学祭に夢中なのかな」

「どうしよう……とりあえず、謙志くんを見かけていないか、天文研究会の人に聞いてみたらいいかな」

「そうだね、そうしよう。で、どこかに松浦先輩がいないか、移動中も探そう」


 二人はそう相談すると、在学生だけでなく卒業生や一般人も多く行き交うキャンパス内を注意深く見渡しながら、天文研究会の展示ブースを目指した。


「素子会長っ」

「おや、舟形ちゃんと井口ちゃん。どうしたー?」


 二号館に入って三階に上がり、「天文研究会」というのぼりが入り口に立っている教室に入る。すると展示の案内役として、会長の素子が立っていた。


「あの、謙志くん……松浦先輩を見ていませんか?」

「松浦? いや、見てないよ。展示の当番も、今日じゃなくて明日だと思うし」

「そうですか……」

「何かあった?」

「いえ……あの……連絡がつかなくて……どうしたのかなって……」

「松浦が? それは心配だね。松浦は基本無口だけど、返信が遅いとか無視するとかはないもんね。もし見かけたら、舟形ちゃんにすぐ連絡してあげるよ」

「あっ、ありがとうございます」


 話の早い素子にお礼を言うと、二人はひとまず廊下に出た。


「そもそも、キャンパス内にいるのかな……いるのなら、時間的にお昼ご飯を食べるために、食堂にいるかもしれない……?」


 学祭中、食堂の店はどれも休業だ。しかし、模擬店などで買ったものを持ち込んで食べるだけならできるので、食堂は一般向けにも開放されている。


「桃音、行ってみよう」


 結美は桃音に頷くと、一階の食堂を目指した。

 いつも営業している店はどこもシャッターが下りているが、ラーメンやらホットドッグやら、あるいはコンビニなどで買ったと思われるパンやおにぎりを広げて、誰も彼もがのんびりと休憩している。学生以外の客もいるので少し雰囲気は違うが、いつものにぎわいに近い空気が流れていた。


「私、右回りに見てみるから、桃音は左回り。中央の通路を通って、ここに戻ってこよう」

「わかった」


 結美の提案に頷き、桃音は入り口から左回りで、各ブロックのどこかに謙志が座っていないかと探しながら、食堂を進む。しかし謙志の姿も、あるいは将樹の姿もなく、半周が終わってしまう。中央の通路に差しかかったので入り口に戻ろうとした桃音だったが、少し離れたところで結美が誰かと話しているのが目に入り、そちらに近付いた。


「結美ちゃん?」

「あ、桃音……えっと……」

「君が舟形氏だね? 私は倉沼。社会総合文化学部社会共生コースの三年生」

「倉沼さん……?」


 結美が話していたのは、ずいぶんと野暮ったい服装の女性だった。伸ばしっぱなしの黒い髪は毛先があまりそろっておらず、長い前髪は大きなクリップで止められているだけ。ファンデーションは塗っているようだが、チークもアイシャドウも色はないので、ファンデーション以外は何も塗っていないのだろう。


「桃音、倉沼さんは一対一でしか話せないから、私は少し離れるね」

「えっ?」


 不思議な言葉を残して、結美は二人から離れて食堂の入り口に向かった。


「すまないね。聴覚に問題があるのか、聞き取った音声を認識する機能に問題があるのか、私は人と話すなら、一対一でしか会話が聞き取れないんだ。逆に誰とも話していない場合は、耳が拾える限りの会話すべてを拾ってしまい、それはそれでとても疲れるので苦労しているがね」

「はあ……」


 雰囲気といい、話し方といい、なんだか少し浮いた感じのある倉沼に、桃音は気の抜けた返事しかできなかった。


「単刀直入に言おう。君が探している松浦氏だが、先ほど、『髪の長い美人と腕を組んで歩いていた』と、彼の友人たちが話しているのが聞こえたよ」

「えっ!?」

「それから、彼の友人が慌てて食堂を出ていくのも見た。どこへ行ったのかはわからないが」

「友人……野中先輩?」

「全学生の顔と名前を正確に把握しているわけではないから、名前はわからない。申し訳ないね。だが、松浦氏とよく一緒にいる友人だよ」

「それは……きっと野中先輩です」

「そうか」


 そこで倉沼は、ガラスのコップに入っているお冷を一口飲んだ。


「私は、派手を好む同性からはいたく嫌われている。嘲られている、と言ったほうが正しいか。そんな彼女らの私へのジャッジはどうでもいいのだが、私を特に嫌う者たちに、君も二回ほど、意地悪をされていたね?」

「派手……二回……村山さんのことですか」

「ああ、そう。彼女だ。その友人の福井氏が、残念ながら私と同じ学部、同じコースなんだ。彼女たちの下品な声は、特によく聞こえてしまう。彼女たちの声も言葉もたいそう不愉快だが、村山氏に言い返す君の声は、とても気持ちがよかった」

「倉沼さんは……いつも食堂にいるんですか」

「昼休みは食堂にいる。至極当然のことだろう? まあ、サークルや部活に入っていないから、空き時間もだいたいここにいるが」

「ここは……人の会話がたくさん聞こえて、つらくはないですか」


 いったいどういう感覚なのか想像できないが、倉沼は一人でいると、拾える限りの会話をすべて拾ってしまうという。それが疲れるというのなら、なるべく人のいない場所か、あるいは会話をする人が少ない図書館にいるほうが楽ではないかと思う。


「疲れることは疲れる。だが、いいこともある。井口氏のように社交的な人に話しかけられて会話を楽しむこともできるし、あらゆる方向から飛んでくる会話を拾うことで、私なりに他人と関わっていると思える。世間一般的に言われる友人の定義には当てはまらないだろうが、名前も知らぬ人々の話が耳に入ってくることで、私はすべての人と友人になれたような気がしている。まあ、そんなのは飾り立てた言葉で、ただの地獄耳なだけだ。他人からしたらいい迷惑だろうから、基本的に私は、一人で黙っていることにしている」

(なんだか……不思議な人……)


 大学に入学して半年、様々な人と関わって世界が広がった気がしていたが、倉沼はその中でも群を抜いて個性的な学生だった。三年生ならば謙志や将樹と同学年ということだが、彼らと同じ年数を生きてきたようには、なんだか思えない。

 けれども、華純に感じたような不快な印象は一切ない。とても不思議な人で、その世界観に付いていけないと言えば付いていけないのだが、倉沼の言葉を聞いていると、自分の心にこびり付いていた、凝り固まったものの見方がリセットされていくようだった。


「村山氏は、認知バイアスが相当強い。はるか昔、この大地こそが宇宙の中心で、ほかの星々すべてがこの地を中心に回っていると信じられていたように、彼女もまた、自分こそが世界の中心で、他人はすべて自分のために動くと信じている。それは相手が友人だろうが男だろうが、関係ない。彼女のその認知の偏りやゆがみを正すのは、一朝一夕でできることではない。よほどの強い衝撃が彼女の心に起きない限り、修正されることはないだろう。なぜなら、彼女は努力ができる人だからだ」

「努力ができる人だから……?」


 倉沼の言葉を、桃音はとても不思議に思った。

 努力ができる人というのは、様々なことを考えているはずだ。それなのに、そんな人だからこそ認知がゆがんでしまうというのは、どういうことだろうか。


「彼女は、実に様々な努力をしてきた。勉強にしろ運動にしろ美容にしろ、私と違って流行を意識することにしろ……あらゆる努力が、今の彼女と、彼女のこれまでの成功体験を作ってきた。だからこそ、ゆがんだのだ。正しい努力をして正しい成功をした人ほど、努力ができない人、努力しても成功できない人を理解できない。努力して成功した自分は誰よりも正しい存在なのだと、盲目的に思い込んでしまう。努力は美しい行為だが、それによって達成された成功ばかりを重ねると、彼女のように認知がゆがんでしまう。人は、時には挫折も味わうのが肝要だな。成功と失敗の両方を重ねるからこそ、バランスのとれた考え方ができるというものだ」

(面白い話……)


 桃音はふと、自分にも当てはまる話かもしれないと思った。

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