第24話 売られて買った喧嘩(中)
謙志が無反応なのはなぜか。その答えは単純だ。彼は華純にはっきりと、「構ってくれるな」、「関わらないでくれ」と言った。華純と関わりを持ちたくないのだ。
しかし華純は、謙志からそう言われたことを、蓮花と麻衣子には言っていなかった。自分が男から拒絶の言葉を投げられたなんて悔しくて言えないし、たとえ今は拒絶の姿勢を示している謙志でも、自分の女の魅力をもってすれば、必ず自分のものにできる自信があったからだ。
謙志の放つ拒絶の言葉は些細なことで、そのうち必ず、彼はこちらの虜になるはず。なぜなら、自分は最高の女だから。華純は疑うことなくそう思っていた。
「堅いね~。ほんと松浦って堅物。まあその代わり、カレシになったら絶対裏切らなさそうで、そういう意味ではいいよね~」
「ちょっと、やめてよ。謙志はあたしのなんだから」
「はいはい、わかってますよ~。華純の片思いの邪魔はしないって~」
不機嫌そうな表情を浮かべる華純に、蓮花は軽い口調で返した。
「でも、攻略が難しそう。そのへんの男なら、華純が少しいい顔をすればイチコロなのにね」
「そうなのよ……あたしのどこがいけないのかしら。今カノに負けてるところなんて、一つもないわよね?」
「うーん……年齢?」
「あははっ、たしかに。年齢だけはどう頑張っても今カノには負けるね~」
「ちょっと、あたしがおばさんだって言いたいの?」
麻衣子の答えに、蓮花が大きな口を開けて笑う。すると華純は、キリッと眉をつり上げて蓮花を睨んだ。
「ごめんごめん、怒らないでよ、華純」
「だけど、今カノに負けてる要素はそれくらいしか思い浮かばないね。どう見たって華純のほうが美人でかわいいし、スタイルもいいし……ほんと、松浦はわかってんのかねー。自分がずいぶんと高嶺の花から気に入られてるってこと」
麻衣子の言葉で、華純は少し気分を良くした。
桃音は謙志に釣り合っていないと思うが、自分と謙志とでも、正直釣り合っていない。謙志は決して不細工な男ではないが、誰もが振り返るようなイケメンというわけでもないし、周囲から頭一つ飛び抜けた素晴らしい何かの実績を持っているわけでもない。スポーツ科学部にいる典型的なスポーツマンという感じでさわやかな大学生の見た目だが、モデルにスカウトされるような華純からすれば「下」のランクの男だ。
謙志からしてみれば、自分は高嶺の花のはず。本来なら不釣り合いなほどの極上の女からアプローチされているのに、謙志はそのことを理解していない――いや、何かが妨げとなって、華純のことを素直に受け入れられないのかもしれない。その妨げとはおそらく、桃音という今カノの存在だろう。
「こうなったら、今カノのほうをなんとかするのが先かしらね」
「なんとかって?」
「別れさせるの。今カノがいるから、謙志はあたしに何も言えないのよ」
「ああ、真面目だからね、松浦は。今カノがいるなら、ほかの女子に現を抜かすことはしなさそうだもんね」
「そういうこと。だからまずは二人を別れさせて、謙志をフリーにさせるの。そうすればきっと、謙志もあたしがいいって思うはずよ。前だって、あたしが告白したらすぐ頷いてくれたんだもの」
「今カノちゃんって、経済経営学部だっけ。誰か知り合いの子がいたら、どんな子なのか聞いてみるよ~」
「ありがとう、蓮花」
持つべきものは友だ。華純は情報収集を買って出てくれた蓮花にお礼を言った。
しかし次の日、意外にも早く、桃音と接触する機会が訪れた。二時限を終えて蓮花と一緒に食堂に行くと、桃音があの美人な友人と二人で着席するところだったのだ。
華純は蓮花と順番にガパオライスを買ってトレイを持つと、とても自然に桃音たちに近付いて席に座った。
「ここ、いいかしら」
「えっ……あ、村山さん……?」
「どうぞ」
美人の子――結美のほうは狼狽した表情を浮かべたが、謙志の今カノこと桃音のほうはにっこりと華純にほほ笑んだ。
「今日は謙志と一緒じゃないのね?」
「そうですね」
「せっかくできたカレシなんだし、もっとべたべたしたくならないの?」
「なりますよ? だから、時間が合えば、謙志くんとはいつも一緒です」
桃音の前に華純が座り、その隣にそれぞれ結美と蓮花が向かい合って座る。
華純は食事をしながらも、桃音に話しかけた。
「ねえ、あなたと謙志はどちらが告白したの?」
「どちらというか……同時でした」
「同時? 何それ」
華純の眉間に皺が寄った。
いくつもの恋を華々しくこなしてきた華純だが、それはいつも、男か女のどちらかがどちらかに告白するのがセオリーだった。恋愛とはそういうものだろう。より深く恋に落ちたほうが、どうしようもなく恋焦がれて相手を求め、告白する。それが普通の恋愛だ。同時に告白するなど、そんな流れになるはずがない。そう思った華純は、桃音の回答を馬鹿らしいと感じた。
「村山さんは、まだ謙志くんのことが好きなんですか」
華純が隙を見せたその瞬間、今度は桃音が華純に問うた。それも、核心を突く直球の質問だ。
「そうねえ……あたしが謙志を振ったんだけどね、あたし、謙志のことが嫌いになって振ったわけじゃないのよ。だからまあ……ちょっと心残りで」
「まだ好きなんですか?」
明確に答えない華純に、桃音は同じ質問を投げた。その声には、問いかけに答えるまでは逃がさない、という桃音の意志の強さがあった。
「さあ、どうかしら。大人の女の恋はね、子供のそれより少し複雑なのよ」
主軸を決してずらそうとしない桃音に、華純は大人の余裕を見せつけるようにもったいぶって答えた。自分は大人で、桃音は子供である――そう婉曲的に嫌味を言うことも忘れずに。
「謙志も大人だから、きっとあなたにいろいろと合わせてくれているでしょうね。そういう相手の気遣い、ちゃんとわかっているのかしら」
「ふふっ、変な心配をするんですね」
嫌味な華純の言葉を、桃音は静かに笑った。
「私が謙志くんと付き合ってること、そんなに気に入らないですか」
「あら、失礼ね。謙志と別れちゃった元カノとして、同じ轍を踏まないようにアドバイスしてあげているだけよ」
「そのお気遣いはまったく必要ありませんよ、村山さん。私は村山さんと違って謙志くんには何も不満がないですし、私から別れを切り出すこともないので」
ピキッ――。
それは場の空気が凍りついてひびが入った音か。それとも、華純の表情に怒りの電撃が走った音か。
桃音の隣にいた結美は思わず固まり、しばらく視線を泳がせたあと、ふと前方を見つめた。すると、同じように動きの止まっていた蓮花と視線だけが合い、思いが同じことを感じて少し面白く思ってしまった。
「謙志くんに声をかけても無視されるから、私と謙志くんを別れさせる作戦に方針転換したんですね。売られた喧嘩は私、全部買いますよ」
(この子……っ!)
幼くて気弱そうな見た目からは想像できないほど生意気な態度の桃音に、華純は自分の中でカッと熱くなるものを感じた。自分の狙いがお見通しなのも、それを真っ向から受けて立たれるのも、華純がめったに他人から返されない態度なので、とても腹立たしい。
「先輩に向かって……ずいぶんな口の利き方ね」
「私にとっての先輩とは、自分と同じ学部か同じサークルにいる、上の学年の方のことです。その定義からすると、村山さんは先輩ではありません。年上なので最低限の敬語は使っていますが、そもそも遠回しにずいぶんと失礼なことを言ってきているのは村山さんのほうです」
「失礼? あたしのどこが?」
「ご自覚がないんですか? そんなはずはないでしょう。言外に嫌味を含ませるのは、村山さんの常套手段じゃないですか。遠回しの表現なら失礼にならないなんて、そんなことはないんですよ?」
「はっ……謙志もかわいそうね。かわいくて従順な年下のカノジョだと思っていたら、中身がこんな生意気なんてね。謙志が知ったら、あなた、どう思われるかしらね?」
「それも、村山さんが気にする必要のないことですよ。それに謙志くんにどう思われるか、私にはわかります」
「へえ? 謙志のことならなんでもわかるって言いたいわけ?」
「そうは言っていません。でも、私がこんなふうに村山さんと言い合いをしたって聞いたらたぶん、謙志くんは……」
驚き、申し訳なさそうな表情を浮かべ、しかしこんな勝気な桃音を、謙志はどこか熱い眼差しで見つめるだろう。
おそらく華純は知らないだろうが、謙志には被虐を願う心がある。それはとても強くて明確なものではなく、謙志自身も普段は決して表に出さないようにしているが、えっちな雰囲気になれば、彼のその欲望はすぐに見て取れる。
強気な桃音を知ったところで、桃音に幻滅するとか落胆するとか、謙志がそういう反応をすることはないだろう。生意気な面が桃音の唯一の性質だとか正体だとか、そんなふうにとらえることもしないはずだ。むしろ、年下なのに強気な桃音に主導権を握ってもらいたいと、甘くかわいく、もじもじとねだってくるような気がする。
「ふふっ……わかるけど、村山さんには教えてあげません」
桃音はいつも謙志に向けているような、たおやかな笑みを浮かべた。
「ふん……余裕そうね? あなたは謙志を振らないと言うけど、あなたが謙志に振られる可能性はあるのよ?」
「そうですね、その可能性は決してゼロではありませんね。謙志くんの気持ちは謙志くんだけのものですから、いつどう変わってしまうのか、私にはわかりません。でも、とても低い可能性だと思います」
「そう言っていられるのも、今のうちかもね。もしあたしが好きだと言ったら……謙志も揺らぐと思わない?」
「思いません。謙志くんは村山さんのこと、好きではありませんから」
いよいよ敵意を隠さなくなってきた華純に、桃音はきっぱりと言い返した。
二人の会話に一言も口を挟めず、ずっと黙っていることしかできない結美と蓮花は、桃音と華純の表情を交互にちらりと見やる。二人の間にただよう空気は極寒の空のように冷えていて、それでいて激しい稲妻がバチバチとぶつかっているようだった。




