第24話 売られて買った喧嘩(上)
「はあ……」
「おい、謙志、大丈夫か? ちょっとやつれてね?」
学祭が近付く十月の終わり頃。
二時限の講義が終わり、謙志と共に食堂の席に座って昼ご飯にした将樹は、親友の重たいため息を心配した。その顔をのぞき込んでみれば、心なしか青白い。
「またヌきすぎたとか?」
「いや……そっちはいま、全然……そんな気分じゃなくて」
「え、どうした? 舟形ちゃんとなんかあった?」
「桃音とじゃなくて……村山が……」
チャーハンの山をレンゲで崩しながら、謙志はもう一度深いため息をついた。
ここ最近ずっと、キャンパス内で華純に見つかるたびに、謙志は華純に話しかけられていた。華純は「おはよう、謙志。二時限? どこの教室?」と言って謙志の行く先を確認してきたり、「ねえ、ボルダリングの招待券をもらったの。今度一緒に行ってみない?」と遊びに誘ってきたり、以前よりもやけに明確に、謙志に関わろうとしてくる。連絡アプリにも、相変わらず華純からのメッセージが二、三日おきに送られてきていて、謙志は既読スルーを続けている。しかし大学で会えば、「もう、また既読スルーするんだから! 返事してよー」とせっつかれた。
先日あれほどはっきりと、「友達だとは思っていない、関わらないでくれ」と言ったにもかかわらず馬の耳に念仏だったようで、華純は謙志の拒絶など何も聞いていないかのように、「いま帰り? 駅まで一緒に行きましょう。あ、ねえ、見てみて。このSNSの動画、超面白くない?」と親しげに話しかけてきた。
わずかな距離でも、謙志がキャンパス内を歩いていると華純は必ず隣を歩き、やたらと謙志の腕や肩をたたき、ボディタッチをしてくる。女子にさわられることを喜ぶ男もいるのだろうが、謙志としては、桃音以外の女子に身体をさわられることはただの不快な接触なので、そうやって身体にふれるのもやめてくれ、と何度も言おうとした。しかし、言う前にはすでに華純の手が離れているので、制止する機会を失ってしまう。
謙志は基本的に華純を無視しているし、どこかへ行こうと誘われても頷いたことは一度もなく、連絡アプリのメッセージにも一切返信をしていない。謙志としてはかなり明確に拒絶の意思を示しているつもりなのだが、華純にはまったく伝わっていないようだった。
「え、村山……まだお前になんかしてんの?」
「なんかしてるというか……一人でいると、必ず話しかけられる」
「それだけ?」
「それだけ……いや、まあ……アプリでしょっちゅうメッセージが送られてくるし、どこかに行こうって誘われたり、やたらとボディタッチされたりしてる気がするけど……」
「それって、しっかりアピールされてるじゃん」
「アピール……?」
「やっぱり、村山はお前のことが好きなんだよ」
「はぁ……もう……」
将樹の指摘に、謙志はがっくりと肩を落とした。
基本的に異性のことは苦手なので、女子にモテたいと思ったことは、人生で一度もない。だから、桃音というカノジョがいる身でありながらも別の女子から秋波を送られることを、謙志はありがたいとも嬉しいとも思わなかった。それどころか、拒絶の意思を示しているのに付きまとってくる華純が迷惑で、気味が悪くて、むしろたいそうストレスだった。
「俺に関わるな、って言ったのに……なんでだよ」
「じゃあ、今度俺が村山に言おうか? どんなにアピールしても謙志はなびかないから諦めろって」
「将樹が言えば、村山は引き下がってくれるか?」
「さあ、わかんねぇけど……でも、本人が言って駄目なら第三者が言うしかないじゃん?」
「それでも……あいつは諦めない気がする」
自分のどこに華純はこだわっているのか、まったくわからない。
華純が本来好むタイプは、自分のような堅物で女性慣れしていなくて甲斐性のない男ではなく、もっと一目でわかるようなイケメンで、常に流行りを追いかけてチャラチャラ遊んでいて、ぐいぐいと女性をリードできる男だろうに。
華純の真意はまったくわからないし、自分のことを好いていると言われても、そうだとは素直に思えない。そんな華純に将樹が何かを言ったところで、彼女がおとなしく諦めてくれるとは到底思えなかった。
「舟形ちゃんは大丈夫か?」
「え?」
「いや、ほら……自分のカレシがそんなふうに元カノに付きまとわれていて不安に思ったりとか……村山が舟形ちゃんに何かするとかさ」
「それは……大丈夫だと思う」
月曜日は食堂で一緒に昼ご飯を食べ、木曜日の午後は二人でゆっくりと過ごす。それがここ最近の、桃音との毎週のルーティンだ。
謙志が華純のことで少し滅入っており、えっちをする気分ではないので最近はご無沙汰だが、桃音は決して不満を口にはしない。いつだって、会えばやわらかく笑いかけてくれて、落ち着いた声音でゆっくりと話をしてくれる。図書館などで隣に座って読書をしたり勉強したりすれば、何時間でもそうして穏やかに、一緒に過ごしてくれる。
「桃音は……強いから」
「ならいいけど……でも謙志、舟形ちゃんは俺らより年下で、俺らのほうが大人なんだからな? 大丈夫だと思って、舟形ちゃんに何もフォローしないでいるのもよくないと思うぞ」
「フォローって……どうすればいいんだ。俺は構うな、ってはっきり伝えたのに、村山が勝手に寄ってくるんだよ……」
「うーん……最悪の場合だけどさ」
将樹は鶏肉のカレーを食べ進めていた手を止めた。
「証拠を持って学生課に相談するとかしないと、駄目かもしれない」
「証拠って?」
「お前がはっきり村山を拒絶してる動画と、それでも村山が近寄ってくる動画とかだよ。村山は好きな男子に自分をアピールしてるだけのつもりかもしれないけど、お前としてはそんなにやつれるほどストレスに思ってるわけで、村山のやってる行為は立派な付きまとい……迷惑行為だ。俺じゃない、まったく本当の別の第三者に証拠付きで訴えて、村山を止めてもらうしかないかもしれない」
「それは……」
少し大げさじゃないか。謙志はそう思った。
自分も華純もただの大学生で、自分の現状は、キャンパス内で女子学生から何度も話しかけられているだけにすぎない。たしかにとてもストレスには感じているが、どこかに訴えるほどの事態なのだろうか。何より、男の自分がそんなふうに第三者に訴えるなど、みっともなくはないだろうか。自意識過剰でただの思い込みだと言われて、話を聞いてもらえない気がする。
「いや、まあ、最悪の場合だよ。自分で解決できるなら、それに越したことはないし……でも今のところ、村山は全然引き下がらないんだろ? そのうちエスカレートして、舟形ちゃんにも何かするんじゃないか」
「まさか……さすがに村山でもそこまでは……そんな、俺なんかのことで……」
「俺も、村山がなんか変なことをするとは思いたくないけどさ……でも正直、構うなってはっきり伝えたのにそれでも寄ってくるって、ちょっと異常だと思うぞ。いくら謙志のことが好きなんだとしても、拒絶されたら普通は引き下がるもんだって。そうしないと、ますます自分が嫌われるだけじゃん? なのに村山は、全然引き下がらないんだろ? なんか……どっかおかしいって」
将樹は謙志と違って、交友関係が広く男女の機微にも聡い。恋愛の駆け引きを何度もしてきたから、片思いの相手にあの手この手でアピールをして、距離を測りながら徐々に相手に近付いていきたいという気持ちを十分に理解している。だから、華純がまさにいま、自分のことを恋愛対象として見てもらえるように、謙志に自分を意識してほしがっていることも、容易に読み取れる。
けれども、客観的に見て華純はおかしい。謙志ははっきりと伝えたはずなのだ、「構わないでくれ」と。いくら好きな相手でも、それだけはっきりと拒絶されたら諦めるか、少なくともアピールすることをやめて、冷却期間を置くのが普通の感覚での対応のはずだ。その点、華純はあまりにもしつこくて一方的すぎる。嫌がっている謙志の意思も主張も、何もかもを無視しすぎた。
「たぶん、村山はお前の一週間の時間割を把握したんだろうな。曜日と時間別の、お前に声をかけられるタイミングは全部使うつもりだ。そうして今後も付きまとってくるなら、とにかく拒絶の意思を示して、そのやり取りを録音なり録画なりしておいたほうがいいかもしれないぞ」
「はあ……そんな……大げさなことなのか……」
「お前、相当ストレスに感じてるんだろ? 見た目にも出てるってことは、心だけじゃなくて身体がかなり弱ってる証拠だよ。そこまで影響が出てるんだから、軽く見ないほうがいいと思うぞ」
将樹はそう言って最後まで謙志を心配し、忠告した。
◆◇◆◇◆
「あ、またあそこ、松浦たちがいるよー」
「華純、どうする? あっちに行く?」
数日後のある日、食堂にやって来た蓮花と麻衣子は、空いている席がないかとあたりを見渡した。そしてある一角に男女四人が座っているのを見つけて、華純に声をかける。
「ううん……別のところで食べましょ」
しかし華純は首を横に振り、三人は謙志たちからだいぶ離れたブロックのテーブルに腰を下ろした。
「まだ松浦にアピールしてるの? でも、全然反応ないんでしょ?」
「そうなの。連絡アプリだって、一度も返事をしてくれないし……」
「わー、徹底してるね~。でも華純のアカウントをブロックしないってことは、松浦は華純のことを嫌いってわけじゃない気がするなあ~」
「そうよね……嫌いだったらブロックされるわよね」
謙志は華純のアカウントをブロックしていない。既読マークが付くということは、華純のアカウントを削除していないし、送ったメッセージには一応目を通しているということだ。つまり、謙志の友好リストの中に華純はまだ入っているはずで、彼の気を引くことができる可能性はあるはずなのだ。
「学内で話しかけた時の反応はどうなの?」
「ん~……それもほとんど無視されるわ。スポーツ系のアクティビティに誘っても、全然興味を示してくれないし。さりげなくボディタッチしてるんだけど、照れてるのか反応はイマイチなのよ」




