第23話 重ねて勝ち得た自信(下)
華純は長い髪の毛を耳にかけながら、小首をかしげて上目遣いで謙志を見つめた。
そんな華純に時折、男子大学生が視線を向けている。そうして見られていることに気付きながらも、華純は謙志だけを見つめて、甘さを貼り付けた表情で続けた。
「カノジョがいる男の子でも、女友達がいるなんて普通のことよ。あたしはもう、謙志のカノジョじゃないけど……友達だと思ってる謙志と話したっていいでしょ?」
よくはない。謙志はそう反論したかった。華純から友達だと思われて友達扱いされること、それ自体が迷惑なのだと。
だが、相互承認のもとに築かれる恋人という関係と違って、「友達」という関係には明確な定義や決まりがない。謙志が華純のことを友達と思っていなくても、華純が謙志のことを友達だと思うのならば、華純の視点と立場では、謙志との間に友情が成立していると言えないこともない。恋人同士のように、互いのことを好きでないと友人関係が成り立たないかというと、それは一概に肯定できないものだ。
「それとも、あの子……舟形ちゃんだっけ? そんなふうには見えなかったけど、嫉妬深いの? カレシの女友達は一切許せないタイプ? なんかそれって、束縛が強くない? 謙志には謙志の人間関係があるのに、そこに口を出してくるような性格の子なの?」
「違う。桃音はそんなんじゃない」
「ふーん? なら、いいじゃない。大学生がキャンパス内で友達と一緒にいるのって、別に特別でもやましいことでもないでしょ? あ、そうよ謙志、既読スルーしないで、たまにはアプリで返事してよ」
華純は話題をそらすことにしたのか、謙志に既読スルーをされ続けている連絡アプリのことを思い出して言った。
「さすがに、こんなにずっと無視されると、悲しくて傷付くわ」
そう言われても、華純と関わりたくない謙志としては、一切返信をしたくない。華純のアカウントをブロックするか削除するか、さっさとそのどちらかの対応をすればいいのだろうが、それをしたらしたで、桃音が危惧したとおり、こうして何か言われるのだろう。
「とにかく、俺はお前のことを友達とすら思っていない。俺に関わらないでくれ」
謙志は沈黙のあとに、どうにかその思いを吐き出した。
自分が悪く言われるかもしれない。不必要に華純を傷付けるかもしれない。そんな臆病で優しい心が、ずっとせき止めていた言葉だ。
「どうして……?」
しかし、華純は謙志のその心を知ってか知らずか、自分のほうがひどく謙志に傷付けられた、という悲哀の表情を浮かべた。謙志が懸命に伝えた気持ちなど、華純にはまったく見えていないようで、自分が虐げられたという空気感を全力で出してくる。
「せっかく同じ大学にいる友達と、仲良くしちゃいけないの?」
異性にそんなふうに弱々しい態度をとられると、どうしても謙志としては、自分が悪者になったかのように思ってしまう。とても悪質な言葉を使ったわけではないのに、自分が見えない凶器で相手を殴ったかのようにさえ思ってしまう。
「友達じゃない……」
謙志は弱々しく、小さな声で繰り返した。それしか言えなかった。
「じゃあ、これから友達になりましょうよ。それでいいでしょ? 女友達がいると、便利なこともあるわよ? カノジョが喜びそうなプレゼントを一緒に考えてあげるし、カノジョに何かサプライズするなら協力するわ」
「必要ない」
桃音にプレゼントをする機会があるのなら、正直あまり柔軟に案が浮かぶとは思えないが、自分の頭で考える。サプライズをするつもりも、今のところはない。そもそもおとなしい性格の桃音は、他人の協力が必要になるほどのサプライズを喜ぶとは思えない。
女友達という存在そのものを否定する気はないが、少なくとも、華純とは「友達」としてすら関わりたくないのだ。
「俺に関わらないでくれ」
謙志はもう一度そう言うと、なるべく大股ですっと歩きだした。
「ちょっと! 待ってよ、謙志! あなた、何か変よ。あの子に変なことでも吹き込まれたんじゃないの?」
ああ、ほら。
そうやってなぜか、華純は必ず桃音を悪者にする。
なぜそこまで桃音を敵視する? 俺の今のカノジョという存在が、そんなに気に食わないのか? いったいお前はどんな立場だっていうんだ。桃音のことならいくらでも悪者にして、下げて、見下していいとでも思っているのか。
それに、なぜこんなにも同じことを伝えているのに、その言葉と気持ちを受け取ってくれないんだ? 言葉は聞こえているはずだろうに、彼女には言葉の意味がまったく通じていないようで――。
(――気味が悪い)
華純は謙志に追いついてまだ何か言っていたが、謙志は徹底的に無視をした。いま口を開いたら、本当に汚くて強い言葉を使ってしまいそうだったからだ。
東門に着き、横断歩道が青信号になるのを待つ。そして「返事、してよね」と言い残す華純を一瞥もせずに、謙志は駅構内を抜けて急いで自宅マンションに帰るのだった。
◆◇◆◇◆
<君、かわいいね。ホ別3でどう?>
謙志と別れて自動電車に乗った華純は、つり革を片手で掴んで立っていた。
そんな華純の視線の先に、隣に立っていた四十代くらいのサラリーマンの男が、スマホの画面を見せてくる。そこにはテキストアプリが表示されており、華純を援助交際に誘う隠語が書かれていた。
(はあ? キッモ!)
華純はサラリーマンの顔をよく見ることもなく、人混みをぬってサラリーマンから離れる。そして念のため次の駅で降りて、後続電車を三本ほど見送ってから、もう一度自動電車に乗り込んだ。
(あたしは価値のある女なのに……)
自分は、女子の中では背が高いほうで、食べすぎたり飲みすぎたりしないように日頃から気を付けているし、チアリーディングの練習で身体を鍛えているから、すらっとした細身を維持できている。それでいて胸は大きく、メイクもネイルもばっちりで、服装だって一日たりとも気を抜いたことはない。ファッション雑誌の編集者からモデルにならないかとスカウトされたことだってあるし、たまに更新するSNSに自撮り画像を上げたら、有名なインフルエンサーからコメントをもらったことだってある。先ほどのような四十代の男ではなく、一流企業に勤めている二十代の社会人カレシと付き合ったこともある。
大学にいれば、学年を問わず異性からちらちらと見られたり、声をかけられたりすることはしょっちゅうだ。乗り気はしなかったが、電車で偶然隣に立った初対面のサラリーマンからパパ活を持ちかけられるほどにも、女としての良質な魅力が自分には備わっている。今は気分じゃないので軽い付き合いさえもしないで全部あしらっているが、自分の女としての価値はピークに達している自信がある。自分になびかない男なんて、いるはずがない。
(それなのになんで……)
友達じゃない、俺に関わらないでくれ――あんなふうに謙志から、いや、異性からはっきりと拒絶されたのは初めてのことだった。華純はうまく言葉にできないものの、先ほどの謙志の態度にひどく苛立っていた。
こんなに価値のあるいい女の自分を異性として見ないどころか、友達とすら思わないなんておかしい。このあたしが、異性から嫌われるはずがない。謙志のようなごく普通の男子からしたら、自分のような完璧な女子は、むしろ友達でいられることすら光栄に思うはずなのに。
(〝友達〟の距離感で近付いてから、謙志にあたしを意識してもらう……って作戦じゃだめってことね)
謙志と別れたこの一年。海外留学期間も含めて、何人かの男と付き合った。時には一晩限りの相手とも楽しんだ。皆それぞれ良かったし、それぞれ低俗だった。ただ揺らがなかったのは、男から見た自分という女はたいそう価値があるということだ。
その自信をつけて帰国した華純は、しかしふと思い出した。こんな極上の女である自分に手を出さなかった、唯一の男。恋人にはなったものの、結局最後まで、恋人らしい関係になれなかった相手。それが謙志だ。
一年と少し前、謙志という男を知った頃のこと。背は高いし、ずっと空手をやっていて今もスポーツ科学部で学んでいるくらいだから、謙志の体格は同学年の中でもたくましい部類で、顔つきは地味だが見た目の印象は悪くないと思った。本人は表情も口数も少なくて、同性とばかりいるような堅物だったので、心から魅力的に思う相手ではなかったが、だからこそ、自分の色気で十分に落とせると思った。しかし付き合えたものの、結局は彼の甲斐性のないところとセックスをしてくれないところに不満がつのってしまい、別れを告げた。
あれから一年。自分はもっといい女になった。そしてオリエンテーションの日、久しぶりに会った謙志も雰囲気が変わっていた。野暮ったさが少し抜けて、なんだか男らしくなって垢抜けていた。そんな謙志を今度こそしっかりと、自分という女の虜にさせたい――華純はそう思った。
(それがまさか、あんなふうに言われるなんて……あり得ないわ)
女子と積極的に関わらない謙志は、しかし女子を強く拒むこともしなかったはずだ。自分から関わろうとしないだけで、話しかけてきた女子をひどく邪険にしたという話は聞いたことがない。だから、謙志があたしを拒むはずがない。そんなことはあり得ない。
(今カノ……あの子が何か言ったんだわ)
謙志の今のカノジョ――桃音という年下の女子。
自分に比べればひどく子供っぽくて、「大人の女」としての魅力なんて一粒も見えない。あの幼い顔つきは、幼女好きのような変態にはウケそうだが、背の高い謙志と並ぶと、なんとも不釣り合いで笑えてしまう。あんな地味で子供っぽい女が謙志の恋人として我が物顔をしているなんて、絶対に許せない。
(謙志……なんであんな女がいいの? あたしのほうがイイ女なのに)
初対面のサラリーマンでさえ声をかけてくるような美貌を持っているのに。花の女子大生で、アクロバットをする運動神経も持っていて、海外留学をして外国語も話せて、取り柄しかないあたしが欲しくないの? どうしてあたしの価値に惹かれてくれないの?
(こうなったらストレート勝負に出るか……それとも、あの子との仲をつつくか……その両方を進めるのがいいかもしれないわね)
自動電車のガラス窓の外、夕暮れの中に浮かぶ建物の灯りをぼんやりと見つめながら華純は考える。その胸中には、自分が桃音よりも優位であるという絶対の自信があった。
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