第22話 狙って近寄ってきた女(下)
「うん、そうだよ。サークルとか部活の出し物、模擬店なんかの当番があるならほぼ強制ではあるけど、自分の担当時間以外は自由行動だよ」
「三日間もやるって、長いですよね」
「高校に比べたら規模が大きいからね。特にこのレンテバーキャンパスは学生が多くて、この大学のメインキャンパスだし」
謙志と桃音は交際している恋人同士だが、それ以前に四人は同じサークルのメンバーだ。それもあって、四人で集まってもそれほど話題に困ることがない。最近の主な話は近々行われる学祭のことで、天文研究会は毎年恒例の豚汁の模擬店を出すことになっており、桃音と結美は初めてむかえる学祭をとても楽しみにしていた。
「楽しそうね。一緒にいいかしら?」
「えっ……」
そんな折、会話を楽しみながらゆっくり食事をしていると、誰かが声をかけてきた。その誰かは女性で、ほかにも二人の女性がいる。最初に話しかけてきたロングヘアの女性が、荷物が置いてある席を挟んで謙志の隣に座り、あとの二人が向かい側の、桃音の二つ隣に並んで腰掛けた。
突然加わった三人の女性を知らない桃音と結美は、不思議そうな表情で謙志と将樹を見やった。すると将樹は女性たちと知り合いなのか、「お、おう……」とぎこちなく挨拶をしていた。
「えっと……あー、一応紹介するね。そっちは俺らと同じ三年生で、国際政治学部の村山と上尾。それと、社会総合文化学部の福井」
「どうもー。福井・ベルタ・蓮花でーす」
「上尾・カリーナ・麻衣子です。そしてチア部のエース、村山・ジョアンナ・華純ちゃんでーす」
将樹に紹介された二人が、それぞれフルネームで名乗る。
「こっちの女子二人は、俺らのサークルの後輩で、一年生の舟形ちゃんと井口ちゃん」
次に将樹は、三年生の女子たちに桃音たちを紹介した。しかし、その声は妙な緊張感をはらんでおり、つられるように桃音と結美も、少しばかり警戒するような表情で自己紹介をした。
「舟形・エリーズ・桃音……経済経営学部です」
「井口・アリエル・結美です。学部は福井先輩と同じ、社会総合文化学部です」
「へえ……よろしくね」
一人だけ自ら名乗らなかったロングヘアの女子――華純は、口の端をつり上げて静かにほほ笑んだ。
「さ、三人も……もしかして、このあとの青年心理学の講義をとってる?」
「そうだよ~。ウチと麻衣子がとってて、華純はとってないけどね~」
「なんか、面白くて人気なんでしょ? 後期になっても受講者が減っていないって聞いたわ」
「華純も前期にいれば、履修できたのにね」
「前期にいれば?」
残念そうな麻衣子の言葉を不思議に思い、結美は首をかしげた。
「村山はこの一年、海外に留学してたんだ。で、後期からこっちに戻ってきたんだ」
「へえ……そうなんですね」
「あたし、チアリーディング部に所属してるんだけど、せっかくだから本場のチアリーディングを学んでみようと思ってね。まあ、カレシとも別れちゃった直後だったし? ね、謙志」
「え……」
華純に視線を向けられた謙志は、蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。
オリエンテーションの日と同じく、突然現れた華純の存在に、謙志の身体は冷たく緊張していた。将樹が場をとりなしてくれたが、正直、今すぐにでも華純の隣から逃げたいと思った。
自分と将樹だけならまだしも、今日はここに桃音がいる。いま付き合っているカノジョと一緒にいるタイミングで元カノが来るなんて、いったい自分は、二人に対してどういう態度をとればいいのか。謙志は生まれて初めての状況に、表情にはあまり出さないものの、ひどく困惑していた。
「謙志はあたしと別れたあと、新しいカノジョはできていないのよね?」
表情の固まっている謙志にくすりとほほ笑みながら、華純は至極普通に尋ねる。
華純は先日も同様の質問をしてきており、その時の謙志は「いや……」という曖昧な返事をした。それなのにいま、この場で再度華純からそう問われる理由がわからない。
(桃音と付き合ってることを……ちゃんと言え、ってことなのか?)
華純がしてくる会話の意図が、謙志にはさっぱりわからない。元カノに向かって、「今は別の女の子と付き合っている」と、正直に答えてよいものなのかどうかもわからない。かといって、助けや同意を求めるように桃音のほうを見ることもできない。
困った謙志は華純に答えることなく、ひとまずまだ残っているカツ丼を平らげることに集中した。
「えっと……謙志は……」
「私がいま、謙志くんとお付き合いをさせていただいていますよ、村山さん」
謙志の代わりにどうにか返事をしようと将樹が目をぐるぐるさせていると、桃音がとても自然な声音で華純のほうを見て、にっこりとほほ笑んだ。
「へえ? あなたが、謙志の今のカノジョなんだ? ちょっと……意外ね。謙志の好みのタイプって、大人っぽい女の子だと思っていたわ」
「一年も経てば、人はいろいろと変わるものですから」
華純の小馬鹿にしたような言い方にもひるまず、桃音はのほほんとした表情でほほ笑みを浮かべる。華純の嫌味には気付いているが、その嫌味を真正面から受け取る気などなく、鮮やかに受け流すような余裕の態度だ。
そんな桃音に華純は内心で苛立ち、一瞬だけ頬が引きつった。
「天文研究会は、今年の学祭もいつもどおりなの?」
「あ、ああ……いつもの豚汁だよ。それと、写真の展示も」
「そう。チア部もいつもどおり、普段の応援とは違う演目をやるの。だから見に来てよ、謙志」
「えっ、と……」
華純の問いかけに答えた将樹を無視して、華純はまたも謙志個人を狙って話しかける。しかし、謙志はろくに返事ができないままだ。
「福井さんと上尾さんは、何かサークルに入ってるんですか? 学祭で何かする予定はありますか?」
その時、桃音は自分の二つ隣にいる蓮花と麻衣子のほうを見て問いかけた。桃音から話しかけられたことを不思議に思いつつも、二人はダンス部所属であること、華純が入っているチアリーディング部と同じように、いくつかのグループに分かれてダンスを披露する予定であることを答えた。
すると結美が、「ダンスって間近で見たことがないから興味があります。時間が合えば、見にいきますね」と言って、二人に笑顔を向けた。
そこから、桃音と結美はうまく蓮花と麻衣子に話しかけた。時折、華純に話しかけることもあったが、話題はダンス部の話が主だった。その話に将樹も積極的に相槌を打ち、三時限が始まる時間が近付いてくる。そして華純以外の六人は、それぞれのペースで青年心理学の講義が行われる教室へ向かった。
◆◇◆◇◆
(なんで……)
三時限が終わり、謙志は自宅に帰ってシャワーを浴びて着替えると、上京してからずっとお世話になっている空手道場に向かった。
稽古の時間にはまだ少しあったが、気持ちを落ち着けたいのでと言って道場の隅で正座をさせてもらい、目を閉じる。しかし、何度深呼吸をしようとも――集中集中と自分に言い聞かせても、心の中でざわめく不快な波が鎮まることはない。汚れた水でできたようなその波は何度も謙志の心を濡らしてきて、とても不愉快だった。
(なんで……俺に近付いてくるんだよ、村山……)
オリエンテーションの日も、そして今日も。
それだけではない。スマホのアプリに届く、華純からのメッセージ。読みはしたが一切返事をしていないそのメッセージが届いたのは、一回二回ではない。二日に一回は、一言二言、華純からメッセージが届く。
桃音に自慰行為禁止を命じられていた先週までは、自慰ができないつらさと、桃音に管理されているという興奮と、その興奮をおさえるために勉強しなければとの思いでいっぱいいっぱいで、華純からのメッセージは目を通すものの、そこまで気にならなかった。しかし、管理プレイが終わって身体に余裕ができたからなのか、華純の存在によって、謙志は再び心を気持ち悪く揺らされていた。
(わけわかんねえ……)
そもそも、女子という生き物のことはよくわからない。何が楽しくてそんなに甲高い笑い声を上げるのか、何がよくてそんな加工だらけの画像や動画を羨むのか。わからないからあまり近付きたくない。その思いで、これまでの人生のほとんどの時間を過ごしてきてしまった。
たしかに、華純とは二カ月ほど付き合った。華純から告白されて、大学生なら誰かと恋人付き合いをするのが普通だろうと、一人目のカノジョの時と同じように思ったから付き合いを了承したのだ。だが、一人の女性として華純を好きだったことはないし、いま思えば、華純だって異性としての自分を心から好いていたわけではないように思う。ただ、「カレシ」という名のアクセサリーが欲しかっただけだろう。
(別れようと言ったのはあいつなのに……)
華純から別れを切り出された時、謙志の心は何も感じなかった。「わかった」の一言だけ返して、それで華純との関係は終わった。終わったはずなのだ。
それがどうしてまた、なんだかくすぶるように新しい関係が始まろうとしているのだろう。
(いや、始まらない……もう関係ない。俺は桃音が……)
この春桃音に出逢い、なんだか不思議で卑猥な関わりを持ちながら、今は両思いで正真正銘の恋人同士になった。華純とは違って、互いに心から好き合っている同士だ。桃音も「女子」ではあるが、ほかの女子と違って、彼女と関わることを忌避したいと思ったことはない。桃音は謙志にとって、それだけ特別な女の子なのだ。
桃音がいれば、自分はそれでいい。桃音以外の女子なんて知らない。必要以上に関わりたくない。特に華純とは、もう関わりたくない。桃音ではない女子だから、という理由だけでなく、蛇のように真意を隠して近寄ってくる華純のことは、ほかの女子以上に理解不能で、むしろどこか不気味で怖いのだ。
(そうか……俺は、村山と関わりたくないのか)
稽古の時間になるまで一時間近くずっと正座をしていた謙志は、ようやく自分の中のその気持ちを明確に理解したのだった。
◆◇◆◇◆




