第23話 重ねて勝ち得た自信(上)
「こんにちはー」
「あら、舟形ちゃん。こんにちは」
「藤田先輩、お疲れ様です。大石先輩も」
「おう。サボり?」
「いえ、今日は四時限が空きで、五時限の講義があるんです」
「ありゃりゃ、そうなのー。まあ、ほら、おいでおいで」
ある日、桃音が天文研究会の部室に行くと、三年生の先輩が二人いた。藤田・マリーナ・恵子と大石・ディップ・文尋は、桃音と謙志のようにサークルメンバー同士で付き合っている二人だ。
パイプ椅子に招く恵子の隣に座ると、文尋が細いチョコレートクッキーのお菓子の箱を差し出してくれたので、桃音は笑顔でお礼を言ってから、ありがたく一本頂戴した。
「松浦は一緒じゃないの?」
「はい。今日はたぶん、三時限終わりで帰ってるかと。あの……もしよければ、お二人に教えてほしいことがあるのですが」
「私らに? いいよ、なーにー?」
ピンポイントで恵子と文尋に用があったわけではない。誰かいないだろうか、と思って桃音は部室に来たのだが、思いのほかぴったりの先輩がいたので、正直に尋ねた。
「村山・ジョアンナ・華純さんって……国際政治学部の方をご存じですか」
「村山って……ああ……あの?」
「チア部の子だっけ?」
国際政治学部の文尋は当然ながら、同じ学年である恵子のほうも華純を知っているようだ。
「一年留学してて、最近戻ってきたんだよな」
「それで、あれでしょ。松浦の元カノでしょ? その村山がどうかしたの、舟形ちゃん」
「少し前に、謙志くんたちと食堂にいたら、村山さんに話しかけられまして……。どうしてなのかなあ、というか……どんな人で、何を考えてるのかなーって」
「ああー……うん、なるほどねー」
「まあ……そうか……」
恵子も文尋も何か合点がいったのか、桃音に伝えるべき言葉を探し、ややぎこちなさをはらみながらも答えた。
「村山がどんな子なのかは……文尋のほうが詳しいかな?」
「詳しいわけでもない。同じ学部だけど学科は違うし。まあ、でも、入学直後からずっと、何かと目立つ学生だから、そこそこ話は聞く。大手商社の社会人カレシと付き合っているだの、インフルエンサーからコメントをもらっただの、雑誌のモデルのスカウトに声をかけられただの……まあ、カースト上位って感じの女子だな」
「見た目は美人でナイスバディだもんねえ。チア部だから運動神経もいいしね。女子のことが苦手で堅物の松浦が、短期間とはいえ付き合っていたのが不思議なくらい、派手な子だよね。でも、たしか松浦を振ったのは村山のほうだったよね? それなのに、また松浦にちょっかいを出しに来たのはなんでかな」
「さあな。実はまだ、松浦のことが好きで……ヨリを戻せるって思ってるんじゃないか」
(〝戻せる〟……戻したい、じゃなくて……)
わずかな違いだが、文尋のその言葉選びが、桃音の中でやけに印象的に引っかかった。
「美人で自分に自信があるタイプだから、松浦みたいに女慣れしていない男子なら、いくらでも自分の思いどおりにできるって思ってるのかね~。舟形ちゃん、厄介なライバルだねえ」
「いえ、そんなことはないですよ。私、村山さんとは同じ土俵にいないので」
「ひょほっ! 強気でいいね~。舟形ちゃんって、見た目に反して勝気なところがあるよね? いいぞいいぞ、村山なんか相手になんないって。だって、あの松浦が舟形ちゃんにはメロメロだもんね」
謙志と同学年で、謙志のことを比較的よく知っている恵子は、カラカラと気持ちよさそうに笑った。思いもよらないことを言われた桃音は、少しだけ動揺して目を見開く。
「そっ……そうですか?」
「そうだよー。松浦といえば、野中みたいに女子とつるまないし、基本的に交友関係は狭いし、感情があまり表情に出なくてとっつきにくい印象だし……。協調性がないわけじゃないから、サークルのことは意外と前向きに活動してくれてありがたいけど、誰が相手でも女子ってだけで壁を作ってたからねえ」
「村山の前にもう一人ぐらい付き合ってたこともあったと思うけど、なんか恋愛してるって感じじゃなかったよな。告白されたからなんとなく付き合った、って感じだったと思う」
「そうそう。それがさ、舟形ちゃん相手には全然違うもん。舟形ちゃんの何が松浦の琴線に触れたのかはわからないけど、あいつの中の恋愛スイッチを押したのは、間違いなく舟形ちゃんだけだよねえ」
恵子はそう言って、お菓子の箱に手を伸ばす。
「村山はまあ……松浦のことが好きっていうか、簡単にもう一度自分のものにできる、って思ってるんじゃないか。それで話しかけてきたんだろ。舟形ちゃんっていう今カノがいても奪えるって、謎の自信を持っていそうだ」
「松浦も災難だね。なんでそんな執着されてんのかしら?」
「わかんねぇけど……」
文尋もお菓子の追加を頬張りながら、首をかしげる恵子に相槌を打った。
「たぶん、松浦が村山に、本気でなびかないからじゃないか。プライドの高い村山は、それが許せないんだろ。男は全員、自分の言うことを聞いて当たり前……なんて、ナチュラルに思ってるんじゃねぇの」
「恋心じゃないんですね」
「村山は、恋愛をゲームか何かみたいに思ってる気がする。勝者はいつも自分で、チートで無双するのを楽しんでるっていうか……まあ、村山のことをよく知りもしない、ただいくつかの噂を聞いただけのオレの勝手な印象だけど。だから、まともに相手しなくていいんじゃないか。舟形も、松浦も」
「そう……ですね」
文尋のアドバイスに、桃音はゆっくりと頷いた。
第三者の評価は、あまり当てにしないほうがいい。そこにはその第三者の偏見や思い込みなどが多分に含まれるからだ。相手の人となりを理解するためには、自分の目で見て相手と関わり、相手を知るべきだ。
そう思うのだが、しかし華純と直接関わる機会がない桃音としては、こうして華純と同じ学年の先輩から彼女の話を聞けて、少しは参考になったのだった。
◆◇◆◇◆
数日後。
二時限が終わった謙志は桃音と待ち合わせて食堂へ行き、二人でご飯にする。またどこからともなく華純が来るのではないかと、謙志は少しばかり怯えたが、華純が襲来することはなく、いつものように、桃音との穏やかな時間が過ぎていった。
「桃音、ごめん……ほんと……」
「ううん、謙志くんが謝る必要はないよ」
先週のランチにやって来た華純のことを、謙志は桃音に謝った。自分がうまく華純をあしらわなければいけないはずが、元カノと今カノが同じ場所にいるという状況に混乱して頭の中が真っ白になってしまい、何一つうまく対応できなかったからだ。本当ならば、以前華純と付き合っていた自分がはっきりと華純を拒絶すべきだろうに、その姿勢を示すことはできなかった。
そんな謙志の葛藤を知ってか知らずか、華純は桃音に喧嘩を売った。
なぜ華純が桃音のことを敵視するのか、それはわからない。だが、華純の言動に桃音は嫌な思いをしただろう。自分のせいで桃音に迷惑をかけたと、謙志はうなだれた。
「私は気にしてないし、平気だから。でも、謙志くんが困るよね」
しかし、桃音は暗い表情一つ見せず、逆に謙志を心配する。
桃音のその強さと優しさに全面的に甘えてしまいたいと謙志は思ったが、そんな自分がつくづく情けなくて視線は下を向き、つい背中が丸まってしまう。
「村山さんは、謙志くんとヨリを戻せると思ってるんじゃないかな」
「え? いや、でも……別れたいって言ったのは向こうのほうだし……それはないんじゃないか」
「えっと、うーんと……変な言い方なんだけど、村山さんは謙志くんのことを自分のものだと……自分が好きにできる相手だと思ってるんじゃないかな」
「自分のもの? 俺はあいつの言いなりになんか、ならないけど……」
「うん。私も、謙志くんが村山さんの言いなりになるなんて思ってないよ。でもね、村山さんはたぶん、すごく自分に自信があるタイプ。美人だしスタイルもいいし、なんでも自分の意のままにできると、とても自然に思ってるんじゃないかな」
それは文尋が言っていたことではあるが、実際に華純と対峙した桃音自身もそうかもしれないと思ったことだ。
短時間ではあったが、華純から敵意を向けられ、遠回しに見下されたからこそ、華純は自分と謙志をみくびっていると桃音は感じた。
「謙志くんのことは、自分が言い寄れば必ず自分になびくって、そう思ってるんだと思う。それなのに謙志くんは、村山さんじゃなくて私と付き合っているから……たぶん、それで私のことが気に食わないんじゃないかな」
「そんな……なんだ、それ……」
桃音の推測がにわかには信じがたく、謙志は険しい表情になった。
たしかに、華純から告白されて付き合った。大学生ならそれが当然かと思ったからだ。決して華純のことを魅力的に思ったからではないし、好きだったわけではない。だが簡単に了承したその過去が、「謙志は自分に簡単になびく」と華純に思わせ、過大な自信をつけさせたのかもしれない。
「村山さんが謙志くんを振った理由って、聞いてもいい? 当時、何か言ってた?」
「えっと……なんか言ってた気はする……。釣り合わないとか、不満だとか」
「不満?」
「いや、あの……その……村山とはシたいと……全然思わなかったから……」
理想の声ではなくて耳障りだからという理由によって、消音状態で卑猥な動画鑑賞をするほど自分の中の理想にこだわっていた謙志は、華純に対して少しも性的な気持ちを持てなかった。せがまれてキスはしたものの、それはなんの感慨もない、ただの作業だった。謙志が性的な気持ちを向けられる相手は、桃音だけなのだ。
「そっか……じゃあやっぱり、村山さんはやり直したい……やり直せると思っているのかも……。前はできなかったけど、今ならきっと、謙志くんを誘惑して虜にできるって……その魅力が自分にはあるって……そう思っているのかもしれない」
「いや……はあ……」
もしそうだとするならば、なんとも迷惑な話だ。
謙志は確信があった。どんなに美人だろうがかわいかろうが、体型がエロティックだろうが、自分が華純になびくことはない。自分はもう、桃音の虜になっている。桃音のことしか特別な異性として意識できないし、桃音としか性行為をしたいとも思えない。先日の性欲管理の一連の流れのように、とても自然に自分の理想を叶えてくれるのは、桃音しかいないのだ。
「俺は……桃音がいい……」
「うん……」
「どうしたらいいんだ……俺は、村山と関わりたくなんかないのに」




