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凪の瓶を携えて  作者:
5/6

5話 一件目

 僕が遅刻したからかそれとも単にせっかちなのか、磯崎さんの歩く速度はまるで競歩をしているかのような速さだ。


 普段歩きなれていないから付いて行くだけでやっと。

 仕方ないので合間合間で小走りを繰り返す。

 

 ロータリーを抜けて住宅街に入ると少し彼女が歩く速度を緩め、僕の方をチラっと見る。



「……もしかして海を見るのは初めてだったんですか?」

「え、あーそうですね。海自体は何度か見たことがあります。けどこんな近くで見たのは初めてです」

「そうですか」


 彼女は短く答え、そのまま沈黙する。


 普通、ここから会話を広げるものじゃないのか?

 まあこのお届け旅が終わったらもう二度と会うことはないだろうし、慣れ合うつもりはないってことか。



 でもそれなら質問の意図がわからない。

 ここは僕の方から別の話を持ちかけてみるべきか?


 だけど話題がまったくない。

 職業……は突っ込まれたらこっちがマズいか。

 別に普通に答えられるけど、家の仕事手伝ってるけど実質無職みたいなものです。なんて答えたら確実に今より空気が悪くなる。


 出身校とか趣味なんて聞いても仕方ないし、なんで僕みたいにおじいちゃんの代わりに届けることになったのか、その理由でも聞いた方がいいかもしれない。


 いや、そもそも彼女の方は代わりで来てるんだろうか?

 まずはそこからだな。


 とりあえず無難に出身でも聞いて、そこから話を広げていこう。



「あの、磯崎さんのご出身はどこですか?」

「愛媛です」

「愛媛ですか、良い場所……ですね」

「ありがとうございます」


 会話が終わり、足音と町の喧騒が耳を支配する。


 あー、失敗した。

 やっぱり知らない人と会話するのは苦手だ。

 特に女子相手は。


 少しはマシになったと思ったんだけどな。



 高校の時にたった一か月で女の子に振られた出来事を思い出す。

 何故か勝手に付き合ってることにされて、私のことに全然興味がなさそうだからと、勝手に振られて終わりを迎えた。


 別に自分が告白したわけでもないからショックはほとんどなかった。

 けど何となくその日の帰りにふと本屋が目に入って、気が付いたら会話術の本を買っていた。


 他にもネットの動画とかでも勉強して、自分なりに練習もしたつもりだったけどまだ足りなかったらしい。



 とりあえず適当にまた何か話しかけようか。

 それともこのまま無言を貫くべきか。


 そんな風に悩んでいると磯崎さんが突然立ち止まり、白い外壁の家を見上げる。


「一件目はこちらのお宅ですね」


 彼女はスマホを軽く見て何かを確認した後、引き戸の隣にあるドアホンを押す。



『どちら様ですか?』


 ドアホンから落ち着いた男性の声が流れる。


「私は磯崎と申します。桂木さんとお酒を届けに参りました」

『おお、聞いてるよ。ずっと待ってたんだ。今開けるから少し待っててくれるかい』

「はい、わかりました」


 その後、しばらくして玄関のドアがガラガラっと音を立てて開けられる。


 現れたのは丸眼鏡をかけた白髪の男性だ。

 目元も柔らかく紳士風の衣装を着ていることもあってか、知的で穏やかそうな印象を感じる。



「待ってたよ。源蔵さんとおさむさんのお孫さんだね?」

「はい、ともりと言います」

叶都かなとです」


 名前を言って頭を軽く下げる。


 パッと見の印象は、立派な口髭を生やした五、六十代くらいの老紳士という感じだ。でもおじいちゃんの知り合いだと考えると、歳は六十代後半から七十代前半辺りくらいになるんだろうか。


 肌の感じは五十代でも通じそうなくらい若いけど、髪とか髭は見事に真っ白だしな。



「そうかそうか、良い名前だね。私は上田登うえだ のぼる、よろしくね。まあ立ち話もなんだしさあ入って入って」

「はい、失礼します」

「失礼します」


 玄関で靴を脱ぎ、中に入る。

 床を一歩踏むごとにギシギシと床が鳴る。


 そういえば屋根も瓦だったな。

 壁も色あせが見られるし、結構古いお家のようだ。



「狭い家で悪いね。とりあえずここに座って待っててくれるかい。お茶でも持ってくるから」

「あ――」


 磯崎さんが何か言おうとしたが、その前に姿を消す。

 そしてすぐお盆の上にお茶のペットボトルとグラスを載せて戻ってきた。


「それで今日はどんな用でうちに来たんだい? 修さんからは何か届け物があるとしか聞いてないけれど」


 上田さんが座布団の上に腰を下ろしながら尋ねる。



「今日は祖父に頼まれて、上田さんにお酒とお猪口を届けに来ました」


 そう言って磯崎さんは、リュックの中から小さな木箱を取り出し、上田さんに手渡した。


 上田さんが箱を開けると、中から白地の陶器が姿を現す。

 陶器はそば屋で出てくる麺つゆの入った陶器に形がよく似た感じのものだ。


 渡されてから気にはなってたけど、割れ物ってコレだったのか。



「へえ、これはそば猪口かい?」

「はい、そうです」

「外は唐草、内側は太陽か。赤も使ってていい感じだね。いつもながら見事な砥部焼だ。これなら美味しいお酒が飲めそうだよ。それで肝心のお酒は――」


 あ、僕が渡すのか。

 二人の目線を感じ、慌ててリュックの中から新聞紙に包まれた酒瓶を出す。

 それから新聞紙を剥がして、茶色い二合瓶の中に入ったお酒を見せる。



「これです」

「刻のときのしずくか……。結局この名前にしたんだね。さっそく一杯飲んでもいいかい?」

「はい、もちろんです」

「ありがとう」

「それと飲んだ後に、このノートに感想を書いてもらってもいいですか?」

「ノートにかい? はは、それじゃあ真面目に飲まないとね。それじゃあ悪いけど注いでくれるかな?」

「はい、わかりました」



 封を切り、そば猪口にお酒を注ぐ。

 薄い琥珀色の液体が瓶の口から流れ出し、部屋にお米の甘い香りが広がる。


 こうやって誰かにお酒を注ぐのは久しぶりだ。

 二十になった時に、おじいちゃんと一緒にお酒を飲んだ時以来かもしれない。


 そういえばあれが日本酒を飲んだ最初で最後の時でもあったよな。

 どんなお酒を飲まされたかはよく覚えていない。


 けれど辛口のお酒だったことや、ジュースを飲んだ方が百倍マシだと感じたことだけはよく覚えている。



 それ以来、お酒自体ほぼ飲まなくなってしまった。

 飲んだとしても付き合いの時にどうしても断りづらい時だけ。


 人生でお酒を飲んだ回数は多分、両手……いや片手で収まる回数だろう。


 でもこうやってお酒を注ぐ時に聞こえる、とくとくと流れるお酒の音を耳にするとお酒を飲んでみたいという気持ちが、ほんの少しだけ湧いてくる。


 ジュースでは感じることのない不思議な感覚。

 一体どうしてなんだろうか。



「ありがとう。うん、落ち着いた良い香りだね。それじゃあ新しい出会いに乾杯」


 上田さんは、嬉しそうに頬を緩ませながら一口飲む。

 それから目を閉じ、何度か頷いてからゆっくりと目を開けた。


「お米の甘みを感じる良いお酒だね。後味もすっきりしてるから、少し冷やして飲んでも楽しめそうだ」

「ありがとうございます」


 別に自分が作ったわけではないけど、おじいちゃんの代理としてお礼を言う。



「口当たりもまろやかで飲みやすいお酒だね。うん、気に入ったよ。もう一瓶貰えたりするのかな?」

「あるにはあるんですが、他の人達にもお届けしないといけないので……」

「そうか。じゃあ残りは冷やしてから飲もうかな。その間、お礼に淡路島のお酒をご馳走したいんだけど、ちょっと付き合ってくれるかい? 若者にも飲みやすいビールがあってね、それを是非君たちに飲んでほしいんだ」


 ビールか。


 本音を言うと、かなり苦手な部類であまり人前で飲みたくない。

 前に勤めていた会社の上司はやっぱりこれだよなぁ。とか言いながら美味しそうに飲んでたけど、僕からすればただ苦いだけの飲み物だ。



 何より好みに合わなかった時が困る。

 あまり隠し事は得意な方じゃないので、多分まずかったりしたら思いっきり表情に出てしまう。


 それを見られて残念がられでもしたら心が辛い。


だけど断れる雰囲気や状況じゃないし、今回は覚悟を決めて飲むしかないだろう。


 もしかしたら上田さんの言う通り、案外飲みやすくて大丈夫かもしれないし。



 磯崎さんはどうだろうか。


 彼女が嫌というならば、僕も流れで断れる可能性がまだある。

 期待を込めて、磯崎さんの方を見る。


「ありがとうございます。それではお言葉に甘えてご馳走になります」

「それじゃあ僕もお言葉に甘えてご馳走になります」

「ありがとう。じゃあとりあえず車がある駐車場まで……っといけないいけない。いま酒を飲んだばかりだし、今からも飲むんだから車は絶対駄目だね。まあ近くだから徒歩ですぐだよ」


 大きな不安と、少しの期待を心に抱えて上田さんの後を追いかけた。

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